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こころが痛いひと

【恐ろしく長いので、覚悟されたし】

昨夜は安藤さんからご案内をいただいた
慢性疼痛患者さんとのコミュニケーションを学ぶ研修会が
Zoomでありまして。
参加させていただいたのだけども。

グループワーク時が苦行とでもいいますか。
非常に居たたまれない気持ちになりましてね…

安藤さんも同じグループで、ファシリテーターをされていて。
わたしの様子を見て、これは…と思われて。

会が終了してから
「グループワーク、大丈夫でしたか?」と
メールをいただきましてね…。

朝、お返事をさせてもらいました。

―――――

昨日はありがとうございました。
ご心配いただき、ありがとうございます。

グループワーク、大丈夫ではなかったです。
「慢性疼痛患者としてのわたし」が傷ついているのだと思うのですが。
感情を見失っているひと(失感情症あり)なので
感情を同定して言語化することが少し難しくて。
リハノートを使って整理しているところです。

看護って、こんなに体温を感じないものだっけ?
ここにいるひとたち、なんだか機械みたい。
わたしが大事にしてきて、大事にしたいって思っている
「あなたのお話、聞かせてください」
「わたしはあなたの味方です」
「忙しいオーラを消す」ことは、このひとたちには大事でもなんでもないのかな…

そんなこと考えたり、大事にしているから
効率が悪いし、問診技術もアセスメント能力も
コミュニケーションスキルも低いんだよ。
だからあなたは、看護師としてダメなんだよ。
だからあなたは、慢性疼痛患者になるんだよ。
あなた、場違いなんじゃない?
ここはあなたみたいな慢性疼痛患者の来るところじゃないのに。
と受け止めてしまう
慢性疼痛患者あるある(空気を読みすぎて空回りする、完璧主義、自己肯定感の低さ、破局的思考)が全開になってしまっています。

そのやり方で「押して」来られたら
間違いなくわたしは「閉ざす」か「抵抗」する。
このひとたちに関わってもらいたくない。
グループワークは優劣を確認したり、競う場なのかな…
マウントを取り合う場なのかな…
「あなたはそんなだから、慢性疼痛になるんだ」
ということなのかな…
なんだか追いたてられているようで、居たたまれない…と「患者」としてのわたしが反応して
終了後、泣いてしまいました。すみません。

急性期看護と慢性期看護の違いなのか?
(わたしは学生時代のハンセン病看護と発症前の筋ジス・神経難病看護という
超慢性期看護の経験しかないのです)
わたしが拗れに拗れた慢性疼痛患者だから、なのか?
(医療職者なのに、強い医療不信があるので
はじめましての医療職者に対して、警戒心や猜疑心、不信感が強い)
圧倒されて、気持ちが右往左往して、泣きたくなって泣いて、混乱して、こころの傷が反応して、抵抗して、戸惑って
自分と他者に怒りが向いて、深く落ち込んで、全否定されたように感じているけれど。
果たしてそれはなぜなのか?

なぜ、そのように認知してしまうのか?
なぜ、そのような感情になるのか?
しばらく向き合ってみないと、「なぜなのか?」がわからないのですが…。

疲れもあって、心理的な柔軟性に欠けてしまっていたり。
不快な情動の処理能力に難があるので
うまい具合に脳内で処理ができずにいるのだと思います。

こうして「書くこと」で、感情を表出して。
書いたものを通して、状況を整理して。
自分の看護過程を展開していく、という
セルフケア・セルフマネージメントをさせてもらう場を提供してくださって感謝です。

朝からあまりさわやかではない内容のメールを送付してしまい、申し訳ありません。
ご心配いただき、本当にありがとうございます。
感謝。

近藤

―――――

そして、ノートを使って整理をしておりましてね。

【11/8 考え】
19時からの研修会に参加して、気持ちが右往左往してしまっている。
グループワークで参加者の意見を聞いて、激しく動揺している。
なんだか否定されているみたいに感じる。
理論とか、技術とか…それも大事なんだけど。
看護ってそういうものだけじゃないはず。
「あなたのお話、聞かせてください」
「わたしはあなたの味方です」
ってことを大事にしてきて、大事にしたいって思っているわたしはウェット過ぎるのかな…
ナラティブに偏っているのかな…
急性期看護と慢性期看護の違いなのかな…
わたしが大事にしていることは
他の看護師にとっては、どこが?ということなのかな…
居たたまれない気持ちになる

【11/8 感情】
なんだか…機械みたいなひと達だな…。
体温を感じない看護技術を見せられた感じがする。
悲しい。
患者が求めるのは、そういうことではないの。

【11/8 自分をねぎらうメッセージ】
自分の経験を言語化して伝える、いい訓練になったね。
そして、患者さんと接する時には
五感で受け取った情報から看護を組み立てていくという
自分の傾向にも気づくことができたね。
動揺したり、悲しくなったりしたけれど。
そう感じているんだね、と受け止めることができたから◎

そして、今朝。
【11/9 考え】
昨夜のグループワーク、大丈夫じゃなかった。
慢性疼痛患者としてのわたしの傷が反応していた。
わたしは「患者」でもある「看護師」なのだけど。
明確な線引きがない状態なんだな…
そして、患者側から看護を考えて組み立てているんだな…
だから昨夜は悲しくなったり、居たたまれない気持ちになったんだな…
わたしの「課題」でもあり「永遠のテーマ」なのだと思う。
NBM に偏ってしまったり
感情の同定が難しいので、思考や発言に瞬発力を求められると右往左往してしまう。
そして、自己肯定感の低さから自身の強み
(ハンセン病療養所での看護の学びを通して、傷ついた魂や尊厳とどう向き合うのか?寄り添いとは?傾聴とは?「看護師と患者」ではなく、「多少の看護の知識を持つ人間と、たまたま病を持つことになった人間」という対象の捉え方。
慢性疼痛患者としての自己)を全否定されたように受け止めてしまうこともまた、明らかになった。
看護師としての育ち方も、看護師としての経験も
一般的な看護師とは違っていることが
劣っていることのように捉えられている、と感じることは
自己の意識を投影した結果なのか?事実なのか?

安藤さんから「大事でしたか?」「気になりました」と気遣っていただいて。
率直に感情を言語化させてもらえたことも、感謝。

そして、やっぱりわたしは「患者」なんだな…
「患者」側に軸足を置いた看護師なんだな…

【11/9 感情】
わたしが大事にしたいって思っていること
大事にしていることは
他の看護師から見たら、鼻くそみたいな
ごみみたいなものかも知れない。
わたしの経験は、なんの役にも立たないものかも知れない。
でも、わたしは大事にしていきたいと思う。
大事にしているものを「価値のないもの」という扱い方をされて悲しいし、悔しいし、怒りも感じるけれど。
わたしにはこのやり方でしか看護ができない。
わたしの大事にしているものは、わたしがしっかり守らないと「わたし」がかわいそう。

【11/9 自分をねぎらうメッセージ】
他の看護師さん達と違っていて良いじゃない。
ハンセン病看護を知っているって、貴重よ?
筋ジス・神経難病看護を知っているって、貴重よ?
拗れに拗れた慢性疼痛患者がいる外来って、貴重よ?
地底で暮らしそうになるくらい、深く落ち込んでしまったり。
気持ちが右往左往したり、混乱してしまった時に
気にかけてもらえることも。
こうして自分でリカバリーしようと頑張っていることも。
慢性疼痛患者の看護を考えていく時に
ものすごい強みになると思う。
今、もがいている自分に◎をあげて良いと思うよ

と、現在はここに落ち着いております。

―――――

からだの痛みが強くなることはないけれど、こころが痛くて。
燕に向かう電車の中で、泣きそうになる。

燕の仕事があって、良かった…
違うことをして、「考えない」時間を作れるから。

まだまだ全然、大丈夫じゃないんだな…。
医療職者の中に入ることで、傷が反応してしまう。

やっぱりわたしは「患者」なんだな…

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