散った工業女子
私は10年間、工業女子として生きてきた。
夢はもちろんエンジニア。
工業高校、工業大学を経てIT系の会社で正社員をしたが、夢が叶ったかと聞かれるとなんとも言えない。
私は今、工業から完全に離れているし、たぶんもう戻ることはないだろう。
工業高校生だったとき私はものづくりに憧れ、楽しみながら学校生活を送っていた。
私にとって、ものづくりとは図工のようなもので自分を表現できる楽しいものだった。
自由に考えてロボットや電気で動くものを作るということがノートの端に落書きをして絵を描くことぐらい身近な校風は、自分の手で想像したものを創り出すことができるという自信を与えてくれていた。
AO入試で都内の工業大学に進学し、私に、とっての工業の形が少し変わった。
高校生の時より知識はあるはずなのに何かを作りたいと言う気持ちと行動力が少なくなり、工業が自分の思う幸せな生活をするための道具になっていった。
興味があったことは卒業してどこで働くか、そのためにいい成績を取ること。その当時付き合っていた彼氏との将来だった。
私はいい大学に入り、いい会社に就職して、好きな彼氏と生活できることが自分の目指すべき幸せだと信じて疑っていなかった。
社会人になり、日々の仕事に追われるようになってからは工業はただの労働でしかなくなっていた。全てがそうだったかと言われるとそうではないかもしれないけど、いっぱいいっぱいになって仕事を辞める前言っていたことは
工業が好きだったの、エンジニアになりたかったの、だった。
今もベイマックスみたいな映画を見ると涙が出てる。
夢と現実の差と言われてしまえばそれまでだけど、何か忘れたくないものがまだ少しそこにある気がしてる。
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