豊田 道倫 / サイケデリック・ラブリー・ラスト・ナイト (2019)
新元号を「令和」にどうせするなら、2"018"年からにすればよかったのに。
とか、くだらないことを眠い目をこすりながら考えていたら、2019年が早くも1/4が終了。そんなこんなで、時の流れに身を任せていたらいろいろと焦りも早々と生まれつつある平成後期なわけですが、そんな中、2019年にリリースされた新作の中で、自分の心のなかの奥にあるエモい部分にまでズカズカと入り込んできた数作のうちの一枚が、豊田 道倫「サイケデリック・ラブリー・ラスト・ナイト」であることを思い出し、今夜もこのアルバムを、俺は聴く。
パラダイス・ガラージ名義による18年ぶりのアルバムから3ヶ月で、今度は自身名義のアルバムが立て続けに送り届けられたわけで、長年、氏の作品をなんだかんだで聴き続けている身からすると、それはまあとてもうれしいサイケデリック・ヘイセイ・ラスト・イヤーなわけですが、こうしたくだらないことを眠い目をこすりながら考えて綴っているからには、当然それだけ彼の作品を聴いて揺さぶられた"なにか"があるわけです。
さて...、それを言葉にするならば、どうなるのだろう。
そこんじょそこらのマイブラ・フォロワーシューゲイザーバンド以上に、マイブラを聴いたときと同レベルの衝撃を受けた(気がする)一曲目から始まって、アシッド・フォークからソフト・サイケなど、ギターを中心とした"ロック"を一貫しながらも、アヴァンギャルドの沼に陥らず、とことんポップで聴きやすいのが彼の魅力であり、それを一言でいうならラブリーと呼ぶ。
あと、彼が綴る歌詞。これも昔からそうだけれど、目で追いながら、または耳で聞きながら思うのは、「嗚呼、極私的なアプローチで救いようのないかなりハードなことを綴ってそうでいて、とてもチャーミングだなあ、この人の選ぶ言葉は」ということで、それを一言でいうならやはりラブリーと呼ぶ。
多分そういう感じ、で、つまりは"豊田 道倫"という一人の男の、"音楽"に対してのアプローチの仕方自体が、乱暴に言ってしまえばラブリー、なんだと思う。だから、僕は彼の音楽をずっと聴き続けているし、僕同様に彼の音楽を追い続けている人たちがいるのだと思う。つまりはThis Charming Man言い換えThis Lovely Manっつーことだ、彼は。
もっと上手く論理的な文章として書ければいいのだけれど、言いたいことはまあなんとなくそういう感じ、なんだと思う。
このnoteでは主に音楽ストリーミング配信で(も)聴ける作品をピックアップしています(自分が主に利用しているのがapple musicのためリンクはそれ用で貼っております)が、instagramでは自分の手元にあるフィジカル作品を紹介していますので、ぜひチェックしてみてくださいませ。
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