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216【月と太陽と私】


2011年NHKの朝ドラは「おひさま」。井上真央が教師になり子ども達におひさまのように明るく元気な笑顔と希望をふりまいていく。

そういう存在って、教師として憧れるな~と思い、子ども達がおひさまのようにあたたかい心をもって、お互いに励まし合いながら力強く成長していけるように、また、広い心をもった人間に成長してほしいと学級通信を「たいよう(太陽・大洋)」としたこともある。

私にとって、太陽とか、ヒマワリとか、なんとなく活発そうな体育会系の人には憧れだったり、惹かれる存在だったりする。また、そういったことに若干、苦手意識もある。自分とは対極にあるという印象がある。1月生まれの私にとって、8月生まれの太陽は、憧れであり、苦手な存在だ。1月生まれの人はどこか現実的で、どんなに明るい太陽のようでも、共通する知性を感じる。

自分はバリバリの理数系、運動は苦手だし、人見知り。お酒の席で盛り上がるなんてよくわからない。みんなの輪の中で、思いやりをもってというのが、決してきらいではなく、むしろ体育会系のように盛り上がってみたいなという憧れと居心地のよさがあるのに、なぜか自分にはできない。

教師としても、自分は「おひさま」というより「月」。暗闇でひっそりと形を変えながら光る月である。

「こんな自分でいいんだろうか」

実は、教師を目指しながらも悩み迷ってばかりだった。そんな私がはじめて学校に勤めたときの校長が、

「きみは話せない子や、一人でいる子、困っている子、そういう子に光を当てようとするんだね。ずっと見てたけど、そういう指導をしているよ」
と言われたことがあった。

「あ~月でもいいんだなぁ」

ふっきれた瞬間だった。暗闇の中で光を放つ月は、暗闇という絶望の中の希望、みんなの希望になるんだ、暗い心を照らしてくれるのが月なんだなぁって。まだ自分がどちらかを決める必要もないし、まだまだ悩んだり迷ったりすることも多い。でもとりあえず、迷ってとどまらずに、突き進む。そうやって、進んできた13年間だったように思う。

その学校長は、この言葉を残し、教育長に栄転し、亡くなった恩師。仕事に対する熱心さ、子どもや教師の見方など、数ヶ月間の出会いだったが、ずいぶん支えられた。いつもにこにこしている方で、自分には神様みたいな先生だった。

どうして亡くなったの?といろんな方に聞き込む。仕事だったらしい。それも、過度なストレス。町の教育長として、人事やさまざまな提案をする中で、組合をはじめ組織の反発でかなり悩んでいたらしい。そして発症した癌。入院しなければならない状態でありながら、なんとか任期を全うしたいと亡くなる一週間前、というか直前まで働き続けたという。

「ああ、すばらしい人を亡くした」

そう思うでしょう。私もそうでした。いまでもそう信じている。でも現実に教職員から聞こえてくる言葉は違った。ふいに出てきた一言を拾う。。。そこで出てくる衝撃。

「悪名高き〇〇」

「やっとおっちんだ」

これらの言葉は、組合や組織からのもの。人事や学力向上に対する提案に対する言葉。嘘みたいって思うでしょ。でも、ほんとに言ってた。こうした傾向は、頻繁に見られることにも驚く。管理職というだけで、急に敵対関係になる。だから、管理職になりたくない、、という教員が多いのは単に多忙であるだけではない。こうしたいじめが、学校では本当に起きている。

3月は、「子どものため」という正論を盾に、単なる感情による行動が多く見られる。

「月でもいいかな」と思ってきたけれど、「おひさま」でないと、教育界は変えらんないように思う。教育界にある病気。制度の不備や現状の問題点。多くの教師が善意で動いているのに、変えられない実態。しっかりと知識のあるものが、大いなる指針を示し、世の中に役立てる、力を与える太陽にならなくちゃいけないなと感じる。

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