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304【人間万事塞翁が馬】

「人間万事塞翁が馬」
私が好きな言葉の一つ。

国境の砦の近くに馬の調教に長ける老人(塞翁)がいた。飼っている馬が胡人(国境外の異民族)の土地に逃げ、近所の人々は同情したが、塞翁は「どうしてこれが良いことにならないだろうか」と言った。数ヶ月してその馬が、胡人の駿馬を連れて帰ってきた。近所の人々は祝福したが、塞翁は「どうしてこれが不運にならないだろうか」と言った。息子がその馬に乗り足の骨を折る大怪我をした。近所の人々は同情したが、塞翁は「どうしてこれが良いことにならないだろうか」と言った。一年して胡人が国境を越えて攻め入ってきた。国境の働き盛りのものは戦争に駆り出され、十人のうち9人の者が戦死した。塞翁の子は戦争に駆り出されず命を永らえた。

・ 大学入試に落ちたけれど、そのおかげで社会を学べた。
・ 結婚したけれど、夫婦仲で苦しんだ。
・ 離婚したけれど、親子で協力して最高の家族になれた。

生きているということは「塞翁が馬」の連続である。そして、いままさにそんなことを考えている。1960年代、経済は発展したが、公害により人々は苦しんだ。2020年、経済活動を優先したが、世間を気にして休校措置を要請したが。本来ならば、もっともっと早くに対応しなければならなかったこと。なのに、そのときには、誰もが経済を優先した。好きなことを優先した。怒りをひとりぶつけても、だれ一人「杞憂」とせせら笑った。

この「塞翁が馬」が好きな理由は、もう一つある。塞翁は常に少数派ということだ。世間の多数派がなんと言おうとも、塞翁は自分の考えを持ち、前向きに取り組んだ。このことわざは、ひとつのことに一喜一憂してもしかたがないというだけではなく、少数派の考えも、向き合うべきという教訓を教えている。

政府の対応の理不尽さは感じる。しかし、それ以前に、私たちは何を語り、何を見てきたのだろう。ニュースを見てから、いままで、ずっと、何度考えても、いま学校を休みにするということが、事態を収拾する最適な解と思えない。そして、ピンチはチャンスという事態なのか。自宅でネット学習をしようとか、読書を推奨して本をネット販売しようとか、便乗しようとする人たちまでいる。ネットは、著名人のtweetを引用しまくり、自分たちの多数派を探している。

「主体的で対話的で深い学び」という言葉が、単に有名ブランド店の包装紙に過ぎないということを感じた。確かな学力とは?教育とは何なのかについて、真摯に考え直さなければいけないとわかった。何かと何かをくっつけて新しい価値を見い出すことをイノベーションともてはやしたり、真似したり、いまの日本は見た目や外見にしか興味がないのだと思う。見栄えのいい包装紙に包まれたからっぽの国だ。物事の本質や目的を、とことん探求していくことを、いま一度考えられるようにしたい。

優先すべきはなに?顧客は?時間は?ドラッカーも改めて考え直している。
みんなはどう考えているのだろう。一喜一憂することなしに、語り合いたいなと思う。

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