297【マイナスをプラスに転じるには】
『マネーボール』マイケル・ルイス著で
「神々は、破滅させたい人間をまず「前途有望」と名づける」
と言っています。自分の思いとは裏腹な結果、報われない思い・努力もある。
谷川俊太郎をはじめとした詩人とは、こんな人たちであると思う。
「詩人とは、普通の人の目には見えないものを見る能力のある人らしい」
普通の人からしたら、作者が感動し、普通のものが普通でなくなり、見えなかったものが見えるなんて不思議。聞こえなかったものが聴こえる喜び、美しさ、心に敏感になり、それが読む人に感動を与える。見えない世界での共感。詩人、作曲家、歌手、お笑い、これって特殊能力だ。
【寸草春暉】という四文字熟語がある。山より高く、海より深い父母の恩。子が親の慈愛に報いようと努力しても、その万分の一にも満たないという。寸草は少し伸びた春の若葉、春暉は春の日の輝き。寸草は、暖かい春の日射しを浴び、すくすく育っていく若葉、感謝の念はほんのわずかなものに過ぎない。親とは不思議なもので、昔は喧嘩したり、一人でいたいと思ったりすることもあった。でも、最近は、一緒に居られないことに、ちゃんと向き合えないことに、ぽっかりとした穴があいたような感じがしていた。
「マイナスをプラスに転じる」には?
「マイナスにマイナスをかけるとプラスになるから」
なんだけど、、それじゃあな~~と考えてみました。そもそもマイナス×マイナスってのは、具体的な例で考えると
「気球が時速3キロで5時間上昇すると15キロ上にいる。逆に、時速3キロで下降している気球は5時間前はどこにいた?」
こういうことです。
四則計算の規則で考えると
「+(-5)=-(+5)だから-5を足すことと+5を引くことは同じ。
-(-5)=+(+5)
-5を引くことと+5を足すことは同じ。したがって、
(-3)×(+5)は、
(-3)+(-3)+(-3)+(-3)+(-3)=-15
だから、
(-3)×(-5)は、
-(-3)-(-3)-(-3)-(-3)-(-3)=15」
ということです。
最初に戻って、「マイナスをプラスに転じる」には。。。
「個性として生かす」
「逃げずに、ありのままと受け入れる」
何か問題が生じたら、、、自分にとって負荷になる取り組みをするとプラスに転じるのかな。
友だち付き合いが苦手→あえて一歩踏み出す。
行き詰まる→さらに努力するのもいいけれど、関係のない方へ進んでみる。
困っている人がいる→手をかしたくなるけれど、じっと見守ってみる。
答えが見つからない→誰かに聞いてみる。たとえ納得がいかなくても従ってみる。
でも、出来ない、うまくいかないときは、努力という負荷をかけるのがプラスへの近道かな。でも焦ってがむしゃらに努力を重ねたくなるけれど、ちょっと待てよと意に反して立ち止まるのもいいかも。
「マイナスをプラスに転じる」
言うのは簡単だけど、難しいな~と思う。でもうまくいかないとわかっているのに進むのはよくない。状況を変えたかったら、自分のあれ?って思うマイナスを考えるのも大事かなと思う。うまくいっているときは、そのままプラスしていけばいいし。
民主党のヒラリー・クリントン氏は、演説で
「世界は以前とは違うから、従来と同じことをしていても、前には進めない」
と述べていた。変なところにひっかかり、考えてしまいましたが、世の中は広い。すごい人たち、ばっかりだ。うまく書けないけど、うまく行ってないときは、自分があれっ?って感じる若干の負荷のある取り組みをしてみるとプラスになる。見守るのが楽ちんな人は、手をかける取り組みをしてみる。声をかけすぎる人は、声をかけない取り組みをしてみる。
声のかけを少なくするとか、言い方を変える場合には自分に負荷のある取り組みを見つける。ベクトルを変える。忙しいから頑張らなきゃだとよりマイナスになるので、忙しいからこそ、休んでみる。「ピンチはチャンス」ってのも、個人のとらえ方によって全然意味は違う。ピンチを学びのチャンスと考える場合もあるし、ピンチをほんとにチャンスにする場合もある。勘が大事なんだと思う。仕事がはかどらない、ネットを我慢するという負荷をかけてみます。
「押してダメなら引いてみろ」
という恋愛における有名な言葉があります。押してダメ(-)だから引く(-)ことによって、プラスになる・・・でもよくあるのが、引いてもダメ、もしくは余計に悪くなる。これはなぜなんでしょう。「押してダメ」というのが主観による判断だからです。実は、+で、押し続ければ良かったのに。あるいは、押したつもりになっていただけで、何の効果もなかったかもしれない。しっかり押しているか、しっかり引いているか。それは本人の勘でしかない。ある程度は数値で傾向を予測することは出来るけど、最後はやっぱり勘。
たとえば、LINEの返信に絵文字が入っていたり、長めの文章だったり、毎日メッセージが来たりが続いたら、「押した!!うまくいってる☆」と思うとする。このアプローチは+だと。実は相手は、誰にでもこのくらいが普通で、特に意識もせず友だち感覚で送っているだけで、むしろーかもしれない。なのに押しまくる。逆に一言しかメッセージがなく、来ても月に一度程度。脈がないなと引いてみる。実は単に忙しいだけで、それでも送りたい一通かもしれない。+なのに引く。。。これってどうやって判断する?やっぱり勘。でも、このマイナスをプラスに転じる方法、もっともっと奥が深いように感じています。
プラスも、マイナスも、まあ、相手より自分次第しゃないのかなー( ̄▽ ̄)
相手がいる場合、自分次第の主観では足りない。正しい判断をするには、勘が必要で、勘を支えるには知識が必要って、流れでまとめていこうかと考えています。最近の世の中のマイナスやプラスの評価は、多数決、あるいは権威の強さによるところが大きい。
だから、
「〇〇さんが言っていた」
「〇〇のときは、こうだった」
「みんなが同じ意見だ」
と自らのベクトルをより強くし、グループを作り、その中で異方性を強くしようとする。この状態はさまざまな組織で見られ、2~3人のバルクで異方性を持つ。中には結晶構造のような美しい組織もあります。ですが、実際にはバルクが無機質に集まり、長距離秩序ははっきりしませんが、短距離秩序を持つアモルファス状態が多いように思います。特に高分子のように多くの知識・知恵を持つ集団はこの状態が多い。むしろ水、金、硫黄、シリコンのような比較的分子構造が単純で、分子間力に特性を持つものほど自己組織化的に発展していく。無秩序ではあるが、異方性を持つ集団、プラス・マイナスの評価はどのようになされるのか。
高分子の構造を作り替える。→知識・知恵を一点に絞る。
基板温度を調整する。→情熱を持つ。
親水基・疎水基、あるいは特質のある分子を組み込む。→カリスマ性のあるリーダーを投入する。
蒸着する。→一度、組織を解体する。
実際の世の中では、マイナス・プラスの評価よりもどれだけベクトルを揃えるか、異方性を持たせ、最大限の特性を発揮できるようにするかに重点が置かれているように感じます。だから、最後は神頼み、あるいは諦める、欝になる。てっとり早いのは、知識・知恵をたくさん持ち、自分がどでかい高分子になることだと思う。だから本を読むと、マイナスがプラスになるのだろう。マイナスをプラスにしようと、がんばることは、かえって逆効果。慎重になりすぎたり、不十分なまま突っ走ってしまう。また現状を理解しようと、現場に入り込むのも良くない。現場の苦労を理解してしまうと、冷静に、冷徹に、冷酷に判断することが出来なくなってしまう。
昔、ある方に、バスケットの指導をするときに、何かお手本にすることはありますか?と聞くと、
「そんなものはない、自分で考え、自分で判断する。誰かのまねをしていては、誰かを越えることは出来ない。」
と言われたことがあります。マイナスをマイナスではないかのように環境を変えて、ベクトルを変えてしまったり、見方がブレないように、ニーズを追いかけて、つまらない判断をしたりしない。複雑に絡み合った様々な状態から、プラスの異方性を持たせるには、、結晶化か、アモルファス化か。