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「おかね」のはなし

ここ2日間、「お金」について会話する機会が多かったので、そこで考えたことや思い出したことを書き出してみます。

・カミーノでのドナティボ文化

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SarriaからSantiagoの途中にあった、ドナティボ・プレイス。Donativo=Donation=寄付。

・珈琲や果物を、まずはありがたく受け取る
・感動がすごいから、感謝も倍増
・笑顔で喜ぶ私をみて、提供者も笑顔に
・感謝の気持ちの分だけチャリンする(お金を払う)
・後からくる人のためにも、チャリンする
・前にきた人がチャリンしてくれたから、私はバナナやゆで卵やクッキーをもぐもぐできて、心も体も満たされた状態で、そこからまた歩き始めることができる

(これ実は、提供者側の経済合理性も高かったりして。だから、持続性も高いんじゃないかな。なんだか、みんながハッピー。)

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同じ場所にあった、標識。コネクトできるのは、WiFiだけじゃなかった…!

・シェアハウスでのあたたかい文化

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なおちゃん作のお夕飯。玄米、お味噌汁、和風ハンバーグ、人参サラダ、大根サラダ。

・料理をつくる人がおかねを払う(食材費)
・食べる人は、ごはんをおいしく(しかも、ただで)食べられてハッピー
・作り手は、つくるのが楽しい、おいしいって食べてくれるのが嬉しい
・食べる人が、今度はつくる人になったり
・あるいは、「家にカステラ買って帰ろう」って思ったり
・みんながハッピー。最高。

(その場で、いちいち清算しないのがポイントな気がする。だからこそ、持続的にまわっていくんじゃないかな。シェアハウスの外にも、少しずつ広げていけないかな。)

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お菓子置き場。不思議と日々増えていく一方。うれしい!

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日本に帰ってきた日に、むかいが買ってきてくれたケーキ!♡

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おろしたてのホットカーペットで温まっているところ。♪

・お会計のときの、ちょっとヤな感じ

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(超なんとなくの感覚のはなしですが、、、)
友人たちとレストランでの食事が終わって、お財布を出す時、急に現実に引き戻されるというか、空気がなんかちょっと変わる。そんな経験、ありませんか。

支払いをスムーズにする(見えないようにする/価値体験後にするetc..)ことは、その場で、価値を感じることだけに100%ひたれることなんじゃないか。スマートな男性の「会計はもう済ませてあるよ」は、まさにこれ。ラクーア館内での飲食やサービス料金がすべて後払いなのも、まさにこれ。

でも、「価値」に対する「対価」の支払いに、ちょっとヤな感じがするのはなぜだろう?「支払う」こと自体が嫌なわけではない気がする。実際に、たとえば、一人でレストランに行って食事がおいしかった際、すっごい満足した気持ちで「ありがとう」って思いながら、お金を払うこともある。

「価値」の余韻に浸っているときに、「お金」が唐突に登場することで、分断されちゃう感じがするのかな。あとは、都度都度清算することで、関係性が薄まっちゃうように感じるのかな。

・さいごに

カミーノで感じた「あの感じ」。シェアハウスで感じている「この感じ」。もう少し、形にできないかな。すでになんらかの構想をもっている人がいたら、つながりたい~

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盛り付け・飾り付けにこだわった今晩の夕飯。♪




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