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イノチを感じる、カラダを感じる

夏の朝、近所の小径

両側に大きな樹々が並んでいて、道幅は二人並んで歩けるくらい
全方向からのサラウンド蝉しぐれがすごくて
すごいなぁ……でも夏って感じを体験させてくれるいいものだよなぁ……好き
って感じながら歩いていく

シュワシュワ~って音が、ぎゅぃぃぃぃいいいいん!!!
になっていって

一歩進むごとに
「うるさ……」
「いや、うるさすぎん……?」
「いや、い、痛い!!」
鼓膜が震えすぎて耳にレイピアでも突っ込まれたかのような痛みに、思わず耳を手でふさぐ

ヨガへ

これまで両手では足りないくらいの先生に、ヨガをそのときどきで教わったけど
今の先生に出会って、はじめてヨガがなにをしているのかを知った

「自分のカラダを感じる」

いろんなポーズをとる
ねじったり伸ばしたり、筋力で耐えることでそこを強化していったり
そして必ず、呼吸をする
ポーズよりもまず呼吸だという
息が止まっていたら頑張りすぎ
でも、楽すぎてどこにも効いてない感じだとそれも違う
程よいところを、自分のカラダに聞く

「他人のポーズと比べても意味がないですよ~。カラダは全員違うんですよ~。自分のカラダがどうしたいのかをしっかり感じてあげてくださいね~」

カラダの内側から絞られるように、汗が吹き出す
タオルがびっちょびちょになるくらい
暑い中にただいて皮膚から汗が浮き出るのとはまた違う、汗が出る感覚
汗が出る、というカラダの機能や動き一つでも、その場のカラダの状況で全然違うのだということを知る

ポーズの最中は
「手のひらの全部を使って床を押す、骨に頼らない、脇腹を伸ばす、背骨を最大限に伸ばす、背骨の骨ひとつひとつに隙間を作る、お尻を天上に突き刺す、坐骨を閉める、腹筋を緩めない……はい、呼吸忘れてませんか~?思いっきり肋骨を広げて呼吸一つでさらにカラダを変化させ、ポーズを深めていきます」
なんて言われる
もう、思考なんてできやしない
カラダのありとあらゆる部位を意識し、伸ばし、そして呼吸を忘れない
頭もカラダも意識はそれだけになる
それだけの生きものになる

ヨガをはじめて一年半と少し
急に「腹筋をいれる」がフッとわかったり、脇腹を使うと頑張らなくてもポーズが楽にできたり
ちょっとづつちょっとづつ、カラダとしての気づきが起こって、カラダの変化を感じる

近所の喫茶店

おじいさんがネルドリップで丁寧にコーヒーを入れてくれる
特別おしゃれでも特別レトロでもない、なんてことのない、街の地元の珈琲屋さん
でも、なにもかもが程よくて入りやすく居心地がいい
地元色が濃すぎず、常連さんがいても適度な距離感で
なにより、おじいさんとか自分より年上の人がなにかしてくれるという感じが、なんかいい

ゆっくり歩く
ゆっくり、ゆっくりと
足の裏の感じる
足の裏から、足の裏側の筋肉を使って、お尻の筋肉を使って、歩く
それが上半身に連動して、背中から肩も使って歩いている
足や脚だけで歩いていると、とてもしんどい
全身で歩いていると意識すると、スッと軽くなる

そうやって自分のカラダの感覚を感じながら、意識はあくまでも自分の内側に、胸やお腹の辺りに置きながら、ふわっと世界を感じる

いろんな人が歩いている
病院がある
スーパーがある
コンビニがある
アスファルトの隙間に草が生えていたり街路樹があったり、マンションや一戸建てのポーチにも緑がたくさんある

空が、大きく、デーンと上にある
いっときも同じ空はなく、雲はなく、刻一刻と「いま、この瞬間」を刻んで現して消えて、また現して、目の前にある
古い映画のフィルムみたいに
アニメーションみたいに、パラパラ漫画みたいに
「いま、この瞬間」という一枚絵をつなぎ合わせて、まるでつながっているように見せている

蝉しぐれ攻撃にあったワタシは、もうここにいなくて
ヨガをして汗だくになったワタシも、もういなくて
さっき飲んだ珈琲のあの香りも過ぎ去っていて

夕方になって

蝉の鳴き声はおとなしくなっていて
陽の光が落ちて、でもまだ充分に明るく、湿度は上がっていて蒸し暑くて

家路につく
夕飯を食べる
夜半まで、本を読んで過ごす

夏の、一日

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