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安楽死について

昔ニュースか何かで海外では助かる見込みがない疾患にかかったペットを安楽死させるというのを聞いて憤りを感じたことがある。その時に流れていた映像ではまだ飼い主と遊びたがっているぐらいに元気な犬を癌が見つかったという理由で家族の見守る中で安楽死させていたように記憶している。
”弱っていくのを見ているのが辛いという人間側の都合で治療も受けさせずに動物の命の期限を決めるなんて”と思った。

一方で最近になって、癌にかかった犬や猫に抗がん剤の投与が行われているというのを聞いて”人間は抗がん剤に副作用があることを理解して、それでも治りたいと覚悟を決めて抗がん剤治療に挑めるけれど、説明を受けられない犬や猫が訳も分からないまま薬の副作用で具合の悪くなるのはかわいそうすぎる。1日でも長く一緒にいたいと思う飼い主のエゴだ”とも思うようになった。(ペットに抗がん剤治療を受けさせている方には申し訳ありません)

今回自分が同じ立場に立たされて改めてペットに治療を受けさせること、命の期限を決めることについて何度も考えた。ねねちゃんにとっての幸せとは何か、動物が本来あるべき姿とは何なのか。

私はかつての”まだできる治療があるにも関わらず死なせるなんて”という自分の考えは誤りだったと思った。そもそも治療を受けさせるという時点で自然の摂理から外れた人間のエゴだ。ではねねちゃんに治療を受けさせるのをやめるのか、治療を受けさせた場合にはとことんまでやるのか。
輸血をすれば元気になると分かっているのにそれをしないという選択はできないと思った。ではその先もとことんまで治療を受けさせるのか。

私はかつての信念を曲げることにした。もし抗がん剤が必要だった場合、積極的治療はしないが苦痛を緩和するための抗がん剤は受けさせよう。そして助かる見込みがなく痛みやけいれん等、ねねちゃんにとって苦痛な症状が出る場合には、点滴などをして延命のためにその状態を長引かせるよりも、ねねちゃんがねねちゃんらしくいられるうちに腕の中で家族に見守られて旅立てるよう安楽死を選択しようと。
家族にもその考えを伝え、同意をしてもらった。

この考えが正しいかどうかは分からない。10年後に同じ状況になったらまた違う判断をするかもしれない。正解なんてどこにもないのだろう。

動物を飼うということは、その動物を自然界から切り離し人間の都合に振り回すことだと思う。例えその方が動物にとって幸せだったとしても。(まあその自然界も人間が元の姿からかけ離れた姿にしてしまったため、もはや犬猫が野生でその動物らしく生きていくことは不可能だけれど。)
でも一旦飼うと決めたからにはフード選びにせよおもちゃ選びにせよ病院選びにせよ、どんな些細な選択に対しても、自分でその犬生・猫生の選択をできなくなってしまった(人間ができなくさせてしまった)動物に成り代わり、人間の都合ではなく犬が犬らしく・猫が猫らしく生きるためにそれが正しい選択なのかを真剣に考えることが飼い主には求められる責務であり、選択の自由を失ったペットへのせめてもの罪滅ぼしだと思う。
(まぁ当然のことなのだけれど。でも何か最適なのかかんがえるって本当に難しい。ねねちゃん、私は正しい選択をできていますか?)

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