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実は全然コミットしていなかった自分をぶん殴ってやりたい

「いいこと聞いた」で終わらせない!
日常に活かしてこそ!

と、常日ごろクライアントさんたちに言っている自分自身が、「いいこと聞いた」「目からウロコでした!」と、わかった"つもり"になって、

実は全然、コミットしていなかった...

  
ということに気づいて愕然としました。


コミット!コミット!コミットしないと!!

「わかった」だけでは人は変われない。
「で、どうしたいのか?」
自分の意志をはっきりと宣言しなければ、人間というものは変われないものなんだと思い知りました。


うーん、そういうことじゃないな。
そんなおりこうさんの話がしたいわけじゃない。

わかったつもりになっているけど、コミットすることから巧妙に逃げるよね、人間というものは。ってこと!

口はいくらでもウソをつく。

  
かつてこの言葉を聞いて、私は衝撃を受けた。


でも自分もやっぱりやらかしていた。

日曜日、葉山まで、FloweryKissのみわこさんに会いに。スペシャルセッション、別名「みわこ貸切り」を受けた。

でもねぇ、ちょうど一年前にも葉山まで行って、こんなことを書いてたんですよ。まー、エラソーに!(笑)


わかった!
私は変わる!

そう口はしゃべるけれど、私の意識そのものは、何も変わろうとはしなかった。一瞬の高揚、そのときだけの気持ちよさを味わって、またいつもの慣れ親しんだ自分をやり続けていた。

何もコミットしてない!


それを今度ばかりはもう、全身全霊で理解しました。


歩みは、ゆっくりでいいのです。
歩みだすことが、大切です。
その時が、来たようです。

FloweryKiss


その時が来た。

だから昨日は一日中、セッションを振り返り、余韻を味わい尽くし、訪れる気づきを言葉にし、「コミット」することに意識を合わせていた。放っておくとまたそのまま、なあなあで忘れてしまいそうで。


鳴かず飛ばずのセラピストだったころ、毎日毎日、ブログに書いていた。

「私が見たい世界は美しい世界です」
「どうか私を使ってください」


祈りは届いた。

でも皮肉なことに。
起業が軌道に乗るにつれて、私は「祈り」を忘れていった。
この世のことに夢中になるあまり、私がいちばん伝えたかったこの世界の美しさを語ることから、いつしか離れていってしまった。


でも、それが間違っていたとも思ってはいない。
里の行、この世のこともとことんやりつくして、いまここに到着した。
それをやったからこそ伝えられることがある。


この日引いたカードは「到着 - ARRIVAL -」だった…

    
    

現実に活かせないスピリチュアルなんて意味が無い!

この想いは、今も1ミリも変わっていない。

そしてまったく同じように、

稼がせてあげるだけのコンサルにはなりたくないし、なるつもりもない。

この想いにブレは無い。


それは、冒険のはじまりでした。
愛を学ぶ、壮大なアドベンチャーでした。
愛であることをいったん手放し、
愛を知るための旅にでたのです。
あなたの故郷へ、帰還する時が来たのです。
それは、忘れてしまった、
未来の記憶です。


かつてわたしは、神の眼で世界を見るという経験をした。
世界は愛だということを、体感しました。

私が見ているままのこの世界のありようを、ストレートに表現したい。
     

と言っても、ビジネスコンサルをやめてスピリチュアルや自己啓発を伝える人になるわけではない。

起業を通して、豊かさを生きる人を増やしたい。
この世界の美しさに目覚めていく人を増やしたい。

ひとり起業というのは、ほとんどが対人援助職。誰かの人生と関わることだ。当然、起業家の意識がクライアントに影響を与える。
たとえば、コーチが「お金のブロック」なんてものを持っていたら、当然そのクライアントもお金から自由にはなれない。

起業家の意識が変わらないと、世界に豊かさは増えてはいかない。
起業家の意識が変われば、世界は加速度的に豊かさがあふれていく。


あなたが自分は誰であるかを思い出しさえすれば、あなたという器にふさわしい豊かさは、自然と入ってくる。
でも、お金という一時的なものにフォーカスしている限り、それは見えては来ない。私たちが求めるものは、「お金」ではなく「豊かさ」だったはず。

だがしかし!
現実的な「お金」と向き合うことから逃げていたら、お金は逃げていく。
どれだけ「私は豊かです」とアファメーションを唱えようと、現実から目を逸らしていたら、豊かさの扉は開きはしない。

この資本主義という現実の仕組みと、世界を動かす大きな力と。
その両方を知ることが、豊かさを生きる土台となる。

でも、どちらかだけに偏ってしまっている。
両方が必要なんだよ。


ずっと、「伝えたい」と思っていた。

伝えたい。
伝えなければ。
でも、伝わらない...

そんなジレンマに悩んでいた。

でもわかった。今度こそ本当に。

「伝える」必要はない。
「伝わる」のだ。

私が私を解放してあげれば。


「伝えたい」は執着で力づくだ。

こだわりを捨て、
エゴを捨て。

なんのことはない、
私自身が私であることを赦せば、自然とそれは伝わる。


あなたが、もし、真に交流したいのなら、
あなたは、ただ、それを感じてください。
決してそこから、答えをみつけようとしないでください。
決して、与えられるのを欲して、待たないでください。
あなたが求めることを手放して、
与えることを手放して、
ただ、空っぽで感じる時、
そこに必ず、ひとつの声が生まれるのです。
それが、真の交流です。


だからもう一度、祈り始める。

どうか私を使ってください。

    
私にしかできないことを、私にさせてください。

私をここまで連れてきた流れのままに、
私の行くべき流れへと、
私を連れていってください。

わたしがわたしであることを、まっとうさせてください。

その流れにコミットします。



で、何にコミットしたのか?
続きはこちらです。