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「メメントモリ 死を忘れるな」45歳で受けた衝撃
年齢が「大台に乗る」ときって、やはりいろいろと考えますよね。
たとえば20歳になるとき、思いませんでした?
「ああ、もう "ティーンエイジャー" じゃなくなっちゃうんだ…」
年齢が大台に乗る「節目」には、今までを振り返り、否が応でもこれからを考えてしまいます。
そんな節目を、既にもう何度も迎えてきました(笑)
少しだけ先を歩いている経験者として。
もしかしたらシビアに感じるかもしれない、だからこそ、一度はしっかりと向き合って欲しいことを、今日は書いてみようと思います。
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いつまでも「コドモ」じゃいられない。
ティーンエイジャーを卒業するとき、そんなことを思ったような気がします。
だけど実際はまったく「コドモ」のまま、
20代は過ぎ去っていきました(笑)
私は20代の頃が、いちばん焦ってあがいていたように思います。
どうにかしたいけれど、どうしていいかわからない。
まだまだエネルギーたっぷり。
そのエネルギーの向ける先が無くて、いつもイライラ、怒りの中にいました。
自分を活かせる場所を探して、20代で転職を2回、3つの会社を経験しました。
「もう30になっちゃうよ!」
なんか、そんなふうに焦ってましたね。
「30なんてもう遅い」感があったんです。
でも20代の終わりごろのある日、友達に言われました…
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きっと40になるときも思うんだよ。
40になっちゃった。
せめて30代のうちに、もっとなんかしとけばよかった。
もう遅いよ、って。
だとしたらだよ、
「30になったらもう遅い」なんて、言ってる場合じゃないんだよ。
今からでも全然遅くない。
いつからだって全然間に合う。
40になった時に、また同じこと言いたくないよね?
「ああ、もう遅い。せめて30代のうちにやっとけばよかった」
なんてさ。
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今でもこんなにもハッキリと、あの日あのときの光景がよみがえる。
だからたぶんこの言葉は、私の潜在意識に深く刻み込まれたのでしょう。
29歳のときに、4つめの会社に転職しました。
そして、30歳になるとき思いました。
もう、"若さ"で許される年齢じゃない。
20代のころはどこかで「そんなのカッコ悪いじゃん!」と思っていた、「落ち着き」とか「安定」とか、はたまた「責任を負う」とか。
そういったことも引き受け、自然と身につけ、自分というものを確立していったのかなと。
今、あらためて振り返って思います。
そしてそれは決して悪いことじゃない。
大人になるって素敵なことだよと、20代の自分に言ってあげられます。
さてそんな会社員生活の中、
40歳になるときにまた、「節目」を感じました。
仕事はいろいろ任されるようになった。
だけどその分、もどかしい思いも増える。
見えない壁も感じる。
私はどう生きたいんだろう。
この先、どんな人生を送りたいんだろう…
「問い」の質が変わりました。
そして次の「節目」、
50歳になるとき、
と思いきや!!!
なんと!
次に「節目」を感じたのは、45歳になるときだったのです。
40歳の次は45歳?!!!
そのことに何より驚きました。
これまでは「大台」に乗るとき、
つまり10年おきに、「節目」を感じていました。
それが5年になった?!
これはホントにホントに衝撃でした。
10年間隔ではなく、5年間隔?!
時間に対する感覚が、変わってる???
7歳の夏は永遠に思える。
なぜなら、7歳の少年の一年は7分の1。
だけど70歳の老人の一年は70分の1。
あっという間に過ぎていく。
そういえば、むかーしむかし、10代か20代のころに読んだ何かの本の中に、こんな一節があったっけ。
記憶の奥にあった言葉が蘇り、
「ああ、そういう意味か…」と妙に納得したのです。
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この時から、「人生の残り時間」を考えるようになりました。
当時の会社の定年は55歳、
つまり、あと10年。
10年というのは、想像できる時間、
リアルに測れる時間です。
それまでは、"ばくぜんとした未来"だった。
いつか来るとはわかっているけれど、まるで実感を伴っていないものだった。
それがリアルな感触を持った、
"必ずやってくる近い将来"
に変わりました。
未来と将来。
似てるようでずいぶん違う。
そう思ったことを、よーく覚えています。
40代前半に考えていた問い、
私はどう生きたいんだろう。
この先、どうやって生きていくんだろう?
それが45歳を超えたあの日から、リアルな "人生設計" に変わりました。
このままいくと、55歳の定年を迎えたとき、自分はどうなっているんだろう。
そしてその後、どう生きるんだろう?
今の現実の延長にある未来と。
自分は本当はどうしたいんだろう。
どんな55歳になっていたいんだろう。
残りの人生、どう生きたいんだろう?
心の奥の奥の深いところが求めている未来と。
その2つの未来を、リアルに考えるようになりました。
定年まで勤めあげて、退職金をもらって。
だけどきっとそのときの私は、身体も心も疲れ果てているに違いない。
そのときに、その後の人生を考えられるだろうか?
それから考えるその後の人生と、
今、次へ踏み出したその先にある人生と、
私にとって、どちらがしあわせなんだろう?
どっちが後悔しないんだろう?
そして49歳と10ヵ月のある日、
唐突に思ったのです。
「終わった」
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その声に従い、私は会社員を卒業しました。
不思議なことに、それは強い決心や覚悟ではありませんでした。
その声を聞いた瞬間、もう決まってしまったこと。
単なる「事実」でした。
東日本大震災が、無意識の自分に大きなインパクトを与えていたのだと思います。
あと2ヵ月在籍していたら退職金は倍になっていた。
それを知ったのは、退職の手続きを済ませた後でした(笑)
50歳以上で退職金の倍率が、ガッツリ変わる規定だったんですよね。
だけどそれを悔やむ気持ちは、まったくのゼロでした。
辞めてよかったと、心の底から思いました。
お金のためにあと2ヶ月我慢していたら、きっとまたずるずると辞められなかっただろう。
それも確信としてありました。
そして今では、もはやネタ。
こうやって笑い話に出来るからオイシイよね!
なんて思っとります(笑)
今日の続きに明日があると、
そしてそれがずっと続くものだと、
私たちは無意識に思っています。
だけど人生は意外に短い。
メメント・モリ
死を忘れるな。
なんだか辛く厳しいことのように思えるかもしれません。
だけど私は思うんです。
いや、「思う」のではなく実際の体験として、
自分にとっての事実として、
断言できます。
だからこそ人生は美しい。
そして、
だからこそ人生は楽しい。
55歳の誕生日に、ふと思い出しました。
「そういえば、会社にいたら定年だった!
もしかしてワタシ、あのとき望んだ未来を生きてるってこと?!」
もうそんなことはすっかり忘れるくらい、自由に好きなように生きることは、あたりまえで普通になっていました。
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永遠に「今日」が続くわけじゃない。
「終わり」は必ずやってくる。
45歳の誕生日に感じた衝撃。
それがあったからこそ、よりリアルに、
自分はどう生きたいのか?
どんな人生を送りたいのか?
自分の生き方を考えるようになりました。
人生は意外に短い。
だけど、いつからでも遅くない、
いつからだって間に合う。
「じゃあ、自分は本当はどう生きたいんだろう?」
心の奥の奥の声に、耳を傾けてみてください。
耳を澄ませてください。
その魂の声に従ったとき、
本当の豊かさが見えてきます。
真実の自分を生きるという自由が、
手を広げて待っています。
経験者は語る(笑)