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すでに3億円持っている
「ワタシ、3億円持ってるじゃん!」
昔、そう気づいたことがあるんですよね。
今日はそんな話を書いてみようと思います。
もしかしたら、
「お金は幻」
ということに、気づいてしまうかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1692092285213-PjSfw1ynL1.jpg?width=1200)
会社員のころは、よく宝くじを買っていました。
「宝くじ当たったら、今すぐ会社なんか辞めてやる!!」
20代、30代のころは、そうイキマイテました。
でも、40代になったくらいからか、
「宝くじが当たっても会社辞めないな」と思うようになりました。
もしも宝くじが当たって、3億円が自分の銀行口座にあるとしたら、
「いいんだよ、いんだよ~。
いつでも辞めるからね~。
いつ辞めたっていいんだもんヽ(^。^)ノ」
ハラの中でエヘラエヘラと思いながら、理不尽な上司の話も聞き流せるだろうなぁと、考えるようになったんですよね(笑)
まあもちろん、3億円が当たることはありませんでした。
10枚買えば必ず当たる末等と、せいぜい1000円とか3000円の末等の次くらいしか、当たりを引き寄せることは起きませんでした。
そして私は、ある日突然、会社員を卒業し、
そして、ある日突然、「なんにもない私で始めてみよう」と、人さまからお金をいただいてやっていくことを決めました。
そしてまたある日突然、
起業してどのくらい経ったころだったでしょう。
まだまだ起業は軌道には乗っていないころでした。
「そういえば、宝くじ買ってないな。
久しぶりに買ってみるか~」
と思ったのです。
で、その瞬間、気づいた。
「あ、ワタシもう3億円持ってる?!」
![](https://assets.st-note.com/img/1692092326105-oEolIgcUsE.jpg?width=1200)
もしも3億円当たったとしても、
明日も私は
「誰かに届きますように」
「どうかわたしを使ってください」
と、ブログを書くだろう。
3億円あろうと無かろうと、私の暮らしは変わらない。
ならばもうすでに私は、3億円持っているのと同じじゃないか!!
そう気づいて、宝くじを買うのはやめました。
本当の豊かさとは何か。
あのころの私は、寝落ちしながらも毎日毎日、ブログにそれを書いていました。
だからまず、自分自身の意識がそうなってなきゃおかしい。
自分のブログの一番の読者は自分ですから(笑)
結局わたしは、会社員を卒業してから一度も宝くじを買わないまま。
きっともう、宝くじを買うことはないのかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1692092366588-Ms8AxBVTYX.jpg?width=1200)
始まりは、「食っていくため」でした。
だけどやり始めてみたら、起業という生き方は、
私が私らしく生きていくため
世界とかかわり続けるため
この世界にいる証として、
この私で「生きるため」にあたりまえにやるべきこと
になっていました。
3億のお金を積まれるよりも、
「明日もあさっても、これをやっていきたい!」
そう思える何かがあることの方が、とてつもなく豊かだし、幸せだし、人生は楽しい。
自分の中にあるそんな何かに気づいて、起業という生き方を楽しめる人が増えるといいな。
そう願いながら、この仕事をやってます。
始まりは、「もっと稼げるようになりたい!」で全然かまいません。
それも大事なことです。
そして、それを実現するサポートも、どうやら私はかなり得意です(笑)
だけど私とご縁を結んでくれる人たちは、さらにその先へ。
自分がなにものであるかに目覚め、
他の誰でもないこの「私」という天職を生きる。
それを自分のクライアントさんに伝えていける人になって欲しい。
そう心から願って、サポートさせていただいています。
本当の豊かさを生きるようになれば、お金という扉も自然と開かれていきます。
でも、「足りないから欲しい」のではなく、すでに満ち足りて「ある」
ということがわかってしまうと、必要以上に欲しくはなくなります。
だって、本当の豊かさ(Abundance)とは、
する必要があることを
する必要があるときに
やれる能力
以上!
ですから。
![](https://assets.st-note.com/img/1692092659816-pMkQwlsboG.jpg?width=1200)
人は何も持たずに生まれてきます。
そしてこの世界を去るときにも、何も持ってはいけません。
ただ、この世界で生きた体験だけが、魂に刻まれていきます。
だからこれからもずっと、問い続けていきます。