題字 (言葉遣いを昔のえらい人が書いた感じにしてそれっぽくすれば内容がいくら現代的でもそれっぽくできるだろうか という実験 前章)
こんな感じでいいのかしら。
初めまして。思ったことを書きます。即ちエッセイです。
早速「言葉遣いを昔っぽくするとそれらしくなるのでは疑念」をこの場で検証してみます。夏休みの宿題に御使い下さい。責任は取りません。
または、日記を後世に発掘された時のために、体裁だけはそれらしく繕っとこうかと思う方にも参考になるかも知れません。知らんけど…。悪口と愚痴は後で抹消しておくのが賢明ですね。あと好きなジャンルに対する叫び。(先例:芥川龍之介芥川龍之介……)
まずタイトルを漢字二字にすれば昔の小説タイトルっぽくなるのではと感じ、そのまま置きました。意味はありません。
1.う→ふ
これだけでなんとかなると云ふものです。
↑の文も適当に作者と年代を付せば名言っぽくなりましょう。
例:「これだけでなんとかなると云ふものです。」(田中館、1942)
勿論全くのフィクションです。田中館って名前が偉そうですね。愛橘ですか。(cf.田中館愛橘:1856~1952、物理学者。本当にあたまがいい。)
2.漢字をなるべく使う
例:私は中学時代、珈琲車厘部部長でした。部員は大体三十人弱で、只管珈琲車厘を愛でる同好会の様なものでした。
車厘はゼリーの漢字表記です。何だかまずそう(主観)。こんな個人の詰まらぬ回顧も、漢字を無駄に使えば偉人の自伝みたいな雰囲気が出ているような気もします。感じないとすれば、それは例文がまずかったという事ですね。
つまり1の例文を2の要素と合わせると、
「之れ丈で何とか為ると云ふものです。」
ですね。ぽくなりますね。漢字の使い分けですが、特に明治期とかは今より基準がガバガバなので、それっぽいと思ったのを使えばいいと思います。数を読む内にフィーリングが身につきます。ただ、送り仮名の判定が激甘になりがちな所は気を付けましょう。我々は現代人ですから、現代の規範にのっとって生きなきゃいかんときもあります。へへえ。今も「確める(正しくは確かめる)」とか書く上司居ますけどね。我々はちゃんとしておきたい。
……と、申しましたように、次は、
3.送り仮名をあえて削る
例:ドーナツを口にする時は、毎度生れて良かったと思えるんだ。甘いし旨いし、死んでもいいかなという危い考えにも陥る。
上の例文は「生まれる」「危ない」がそれぞれ「生れる」「危い」となっています。別に送り仮名の法律があるでもなし、昔の本をぱらぱら読むと散見します。
ですが「思える」が「思る」、「死んで」が「死で」にはあまりならない気がするので、この点は上級者向けかもしれません。
まあ見た目が普段の生活で見ない感じになりますので、パッと見の違和感が「遠さ」をより読者に認識させる役割を持つのではないでしょうか。
4.え→へ、わ→は、ろ→ら
例:考へても見給へ、君の上司が広瀬アリスならば、目を奪はれて仕事どころじゃないだらう。
取り敢えず気が抜ける字に置き換えればいいわけですね。「だろう→だらう」は直ぐに使えるうえ、一気に雰囲気が出ますから良い装備品ですね。ちょっといいきずぐすり的立ち位置です。
私は常に下画面でダウジングマシンを起動し、アイテムを一個たりとも逃さず全てを取り尽くして進みたい者でした。生きるの下手そうですね。正解です。(完璧主義ではないけれど、好奇心が強く、物事の一端を知ると全部を知りたくなる。)
5.接続詞に漢字を混ぜる
例:扨、併し私はピーマンが苦手と云う話であったが、即ち之に就いて…詰まり私は黙秘権を行使したい。
詰め込む為に例文のなめらかさが犠牲になりました。扨(さて)、併(しか)し、即(すなわ)ち、詰(つ)まり、です。
ここで汎用性をもつ武器を貴方に授けますと(白髭の長老の顔で)、「然」を乱用するといい感じになります。然(しか)し、然(さ)る、然(そ)ういう…など、汎用する語句に使えます。
「しかし」は「然し」、「併し」、など色んな表記がありますがお好きな子を連れて行って下さい。厳密には漢文とか見ると使い分けがありますが、ここは噓をつかぬ程度に見た目を繕う事が目的ですからね。気楽に。
上の例文でも「就いて」に3を適用して「就て」にするといいですね。
ピーマンと打つと私のパソコンではpimentoと出てきます。これはスペイン語なのですね。英語だとgreen pepperですね。単にpepperともいうそうですが。確かにあのピリッと来る独特の苦み、pepperに値する…。的確な表現。
此の辺にしておきますかね。
それでは、ちょっと上記の事を踏まえて軽く実践してみます。
後編でまじめにやるので適当程度に。
敢えて現代人の表層を描く為に、私のイメージする渋谷の住人の生活を例文に取ります。モデルは私ではありません。偏見です。
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タピオカは牛乳紅茶に限る、と云ふのは私の持論だ。七時、山手線に揺られ竹下通りに馳せ参ず。早寝早起美容の参謀。車内で欠さず蒼鳥確認。友人と待ち合はせ、朝一でタピオカ屋に往く。
此の頃思ふ事に、私のパソコン上の履歴を辿って、死後、小説だのウェブログだのを遺族に発掘されまいかと云ふのが在る。黒歴史である。
其の昔、友人と創作リレー小説を綴って居た事が在った。然し九割が未完結の儘令和に遺されて居る。否、是れも過去の遺物として片付ける事も出来ないかも知れぬ。今、比較的真面だと思って居る蒼鳥の呟きも、数年後の私が見れば等く黒歴史か。遺言に「PCと携帯電話は開かず処分為て呉れ」と書かなきゃ不可ないだらうか。
兎に角、渋谷区でイケて居る生活を送る都民は眼前の享楽に目を奪はれ、死後の恥など気にせぬ人種に思へる。何が悲しくて郊外に住まうか。公会堂が徒歩圏内に無ければ私は死んだも同然だ。
私の生れ故郷には車で行ける範囲にカラオケ店とコンビニエンスストアが在る程度なのだ。今の享楽を知った身では二度と戻れない。
彼処は何だ。砂漠か?唯、野菜が旨い。安い。然し此処に来て気付いた。関東近郊は東京と云ふ中央政府の為に、即ち城下の士族の為に獲れた肉や魚を貢いで居るのだと。御疲れ様である。
嗚呼、地域格差。取り敢えずタピオカは美味しいし珈琲車厘は神の授けし食物だから良しとしやう。
其の内、液体とタピオカが丁度良く同時に消費出来る魔法のストローが開発される事を願って筆を置かう。
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え?難しいですね。
今回は題材がまずかったのが明らかでしたので、
次はもう少しポイントを加え、日記の体で書こうと思います。
佐藤栄作日記をパラ見したことはありますが絶妙にテンポが良くて面白かったですね。印象に残っている一節は「豆腐でくらす話をした。」です。私もとうふをこよなく愛しておりますので大変気になるところです。何をどう話したのか、お聞きしたいところですね。
日記は色々ありまして、明治ですと田健次郎はがっつり漢字のみの漢文で書いていたり、原敬は漢文調ながら、いわゆる古文な口調を入れつつ砕けた感じでまた独特ですね。ではその辺の話は次回の導入で話す事にして、失礼致します。暇つぶしにはなりましたでせうか。
よい休日をお過し下さい。
終りッ。