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長男誕生日と祖母


ううーん…毎朝この時間には動いているのですが今日はなんだか体が動かない。ので日記書きます。




数日前、長男の誕生日でした。5年前、妊娠7ヶ月だったのに仕事終わりに血がドバッと出て病院行って翌日緊急帝王切開で生まれた子です。


当初は無事生きて帝王切開手術を終えられるかどうかも確かではないと言われていました。後遺症が残る可能性も充分あると言われていました。

ところが、5歳になった彼は今、他の子と変わらない毎日を過ごせています。ありがたや…

本人の性格も、毎日の吸入やお薬、たまの入院も嫌がらずにやってくれるので助かります。1歳までは飲み薬を嫌がる日がありましたが、今や慣れっこみたいです。




最近は母が晩御飯の用意をしてくれているので、二人を連れて家に帰るとその日は唐揚げが食卓に並べられていました。やったー!とやっていると一本の電話が。入院している母方の祖母が危ない、とのこと。

そこから母はちょっとわたわたして、でも今すぐ来なきゃいけないわけではないらしかったので次の電話を待つことに。

唐揚げやケーキを食べて、子供主役の一日を寝かしつけて終えるまで、なんとかその電話は鳴らずに済みました。


そういえばその日の夜、元夫が「子供の誕生日だからお祝いの電話したい」と言うので子供達とビデオ通話させました。なんか元夫の背景、日差しがあって明るいな…日本じゃない?と思ったので所在を聞くとTHAILANDと書かれたパンフを見せてきました。なにがTHAILANDじゃ。

今は無職で、残った貯金を使い切ったら死ぬとか言って飲んで食べて暮らしているっぽいです。この前月々たった数万の養育費を減額してこようとしたので無視しました。
はー離婚してからずっと…その選択が間違いではなかったと思わせてくれて有難いなあ…



そういえばが長くなりがち。
息子の誕生日の翌朝、七五三の写真撮影の予約を入れていたので3歳児と5歳児を連れてスタジオアリスに行きました。

ポケモンの袴があったので、上の子がリザードン、下の子がピカチュウみたいな柄のにしました。我が子ながらくそかわいいと思っていました。
2着まで着られるってことだったので洋装も着させました。ただ、撮影が2時間弱ほどかかったので(それでも猛スピードで進めたし全部の撮り方は断ってもいる)子供達は疲れた様子でした。


ポケモン袴はこんな感じ




終わったごろ、祖母が旅立ったとの報せを母から受けました。急いでそのまま病院に向かいました。

その途中、全然泣くつもりなんかなかったのにどんどん涙が溢れてきたのでびっくりしました。子供達にも簡単な説明をすると、「なんでみんな死んじゃうの?」と話していました。なんで死ぬんだろうね、いや、なんで意識を持って生きてしまうのだろうね。私にもわからん…



私は10歳まで祖母宅で暮らしていたので、その歳までの思い出は母よりも祖母が多いです。その話を母にすると微妙な顔をするのであんまり言わない方がいいらしい。母との記憶は思春期にめちゃくちゃ嫌だったってものばっかりだし、実質「母とのあたたかい思い出」みたいなのは祖母が強い。

食べるのが大好きで、枕の下やポケットによくおかしを入れていた祖母。糖尿病でインシュリン打ってたのにこっそり糖分摂取していた祖母。緩和ケア病棟に移ってからも死ぬ二日前までご飯を完食していたそうです。

目鼻立ちのはっきりした色白顔で、髪も死ぬまでふさふさだった祖母。まつ毛もふさふさで、目もぱっちりなので死ぬ前看護師さんに「どうしてこんなに目を大きく開かれているんですかね?」と聞かれ、母が「元々こんなです…」と言うしかなかったらしい。なんでその遺伝子が全く受け継がれなかったのか。受け継がれたのは食いしん坊の方だけ…



死ぬ前、乾燥しているのか口をぱくぱくしていたらしい。母が祖母の唇にリップクリームを塗ってあげると(いつものように)舐めるように広げるように唇を動かしたそうです。
それから、安心したように目と口を閉じて眠るように、亡くなったと聞きました。


私が病院に着いた時は死後30分程だったので、まだ温かかったです。そのうち死後50分経つ頃には手や足、おでこの方も冷たくなっていました。

目も口も、全然生きてるみたいに閉じているけれど、少し瞼を開けると真っ黒な瞳が浮かんでいました。


今日はお通夜です。子供達がいるので私はほぼいつも通り過ごすことになるのですが…なんだか心細い…さあ動け体…



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