(4)病気のお話し②謎の肺の病気の巻

はいはい来ました来ました。私の人生における大問題。いやいや、①の内臓火傷も相当大問題よ?そもそもソレが無かったらこの病気にもならなかったのだから。それはそうなんだけど、なんていうかなぁ・・・この病気については、もう頭ぐるっぐる。気持ちぐるっぐる。オバチャンになった今でも色々腑に落ちないし納得できやしない! なんやねん?!どういうこった?!な感じでねぇ・・・。遠い目になる訳ですよ。ええ。だからきっと、理路整然とは語れない。でもここを書きたいんです。ここを!!

だから、気持ちの整理全く出来てないまま書きます。

と、その前に。前の(3)を書いている最中に、ふと通知を頂きまして。自分の気持ちを整理するために書いた駄文だというのに、読んでくれた方が居た模様。なんとも有りがたい!びっくりだよもう! 余所さまが読んで楽しめるのか?という疑問は一度ヨイショと隣に置いて。Twitterでもふぉろっわさんがこの自分語りについてイイネをしてくれているし、自分の気持ちを見直し整理し分析し、前向きに生きようとしているって事を「イイね」って言ってくれてるんだと思うのですよ。有りがたいことだね・・・本当に、涙が出るよ(´;ω;`)

本来は、プロのカウンセリングを受けたりするもんだろうけれど、またいつか書くけど・・・その手の先生とは色々あって、私はいま、この方法で自分に向き合うつもりでいる。とりあえず今辛い状況なので、連投で語っている訳ですが、書く事で徐々に落ち着きを取り戻しているのでそれについては良かったと思っている次第。

さて、前置きはこのくらいにして。本題に入ろう。今までは自分語りとして書いていたので読む人の事は余り考えられていなかった。面白い面白くないはともかくとして、読んでいて状況が伝わったのか?と気にはなる。のでここから先は出来るだけ分かりやすく書きたいと思う。

まずは登場人物だ。「私」と「医者」と「看護婦」が出てくる訳だが、この医者も看護婦も複数人登場する。分かりやすくABCと銘打てばいいのかもしれないが・・・面倒なので、その辺はさらっと上手い事まとめてしまおうと思うw 

あれw 全然分かりやすく無いwww まぁでも、多分読んでいれば分かると思う。話の流れは至極単純なのである。

事の始まりは、4歳の私が風邪をひいたことからはじまる―――

 §   §   §   §   §   § 

まずこれを書かねばなるまい。

母曰く、私は「食欲の少ない子供」だったらしい。食事量が少なく、偏食も多い。特に穀類を一切食べようとしない。けれど、他のおかずは食べているし、まぁいいか。母はそう思っていたそうだ。

そして、内臓火傷も落ち着き、ズタボロだった肌も1年経ってやっと綺麗になってきて、もう火傷の心配は無くなったそんな頃合いだ。

私は風邪をひいた。別に、本当に普通に風邪をひいた。けれどそれは、あっと言う間に悪化をした。肺炎になったのだ。即刻入院となった4歳児。前述した通り、普段走り回っていた子供だ。絶対安静という医者の指示などこれっぽっちも聞かず、小児病棟を走り歩く肺炎の子供。

いやそれ、どうなのよ?と自分でも思うけど、仕方ないじゃないですか。入院が初めてで、面白かったんですよ!!同年代の子供が大部屋に集められて、大人は居なくて(医者と看護婦はずっとは居ない)、楽しいに決まってる。いや私は楽しかった。高熱でてようが、咳がでてようが、もう楽しくてねぇ・・・覚えてますとも。ええ。ベットの下にもぐって探検ゴッコとか、楽しかったですとも。(なんて問題児!!)

私の性格というか性質というか。家業やら躾やら、例の超人祖母の影響やら・・・まぁ色々な要因があって、私はとにかく「人前で何時も笑顔で明るく元気なお嬢さん」で、しかも「良い子ちゃん」でした。当時から。

でも病院では、良い子にしなくて良かったのですよ。なんでかって?

良い子である演技を見せねばならない相手・・・「親と親族と親の仕事関係者」がそこには居なかったからです。家業に携わる人が誰も居ない。そこで初めて、悪い子ちゃん発動! 看護婦さんを、医者を、困らせる入院患者でしたwww

んでね。それが災いしたのだと思うのだけど・・・

肺炎で高熱で絶対安静であるべき4歳児は、ニコニコ笑顔で楽しそうに走り回っていた訳ですよ。そりゃもう元気いっぱいに。そしたら、看護師さんだって勘違いしますよね。しても仕方ない。いや本当はあっちゃいけないんだけどね・・・(^^;) 絶対安静、入浴禁止、となっていた筈の私を、看護師さんはお風呂に入れてくれました。

覚えているのは、楽しいお風呂だった。看護師さんとワイワイキャーキャーと、おふざけしてお風呂に入った思い出・・・

はい!その夜から肺炎重篤化!!!

大変です。肺炎めっちゃ酷い事になりました。でも何がどうしてどうなったのか。いまだに不明なのですが・・・数日後、またまた、看護師さん。私をお風呂に入れてくれました。子供なので、入浴禁止の指示が出ていてもわかりません。お風呂に入ろうね~と言われたら、熱で苦しくても、咳が出てても、そうなんだ~!ハーイ(^o^)丿 ・・・っと従います。お風呂に入っちゃいました。

ら、はい!肺炎もっと大変な事になったよ!!

しかも検査をしたら、なんか風邪からの肺炎が、マイコプラズマ肺炎まで併発していると別のお医者さんが言いだした??? 肺炎と、マイコプラズマ肺炎は、違うものなのですね~。同じに思うけど、原因が違うんだよね~。

で。あれよあれよという間に、元気いっぱいに走り回っていた4歳児。瀕死になりましたのことよ。

驚いたのはうちの母ですがな。入院させていた子供が、病院のミスで入浴したことで肺炎が重篤化。しかもなんか別の病気にまでなった? 訳わからん!というまま、入院は続きます。でも一向に回復の兆しを見せません。見る見る4歳児は衰弱していきます。息も絶え絶え。今にも死んでしまいそうな呼吸困難。顔は紫。窒息寸前です。

このまま入院させて居たら、死んでしまうかもしれない。

母は決断しました。転院させると。

そこで出てくる次の医者。この人はO先生とします。何故なら、この先長い事お世話になる主治医となる先生だからです。

ここで、O先生の話をしておきましょう。この先生は呼吸器の名医でした。有名な大学病院の偉い席が用意されるような先生でした。その先生がしていた病気の研究・・・その協力者であり被験者が、前述した祖母でした。肺を片方失った祖母。祖母の病気はO先生によって研究され、実験を繰り返し、薬が出来上がったり治療法が探し当てられたり。祖母はずっとO先生と共に病と闘っていました。病など微塵も感じさせない超人の祖母でしたが、O先生によって救われた命でした。

私が肺を患ったその頃・・・O先生は「大学病院なぞ興味ないわ!」と重鎮の席を蹴り、小さな個人病院を建てて、町医者として活躍されていました。祖母の主治医で在り呼吸器の名医である事を知っていた母は、私をO先生の元に連れて行きました。しかし先生の病院は大人の、隔離するような結核患者の入院施設しかありませんでした。4歳児が入院出来るような環境になかった。それでもと、母は私を連れて行ったのです。それしか、生きる道が無いと思ったそうです。

そこで検査をし、分かったのは。

確かに風邪から肺炎となり、マイコプラズマ肺炎にもなった。けれど、どうやら現状、この児童の肺はそれだけでは無いらしい、という事。

後から聞いた話ですが「症例が無い」。そして「病名が無い」。謎の肺の病気という・・・。

病名はO先生が適当に付けて呼んでいました。通称、毒膜。毒の、膜です。ドクマク。怖い名前ですねぇ。

もしかしたら、今はもう病名があるかもしれません。調べていないので分かりませんが・・・当時、私が4歳の時点では謎の肺の病気であり、私は瀕死の状況。ここまでになったのは、前の病院での医療ミス(入浴による肺炎悪化など)が有ったのは事実。でもそれだけでは説明がつかない。

はいはいはい。そうなんですよねぇ・・・内臓、機能低下してたんですよ。肺もそうです。機能はすこぶる不調。ついでに、食事量が少なくて「栄養失調状態」だったんですよ私の身体。

栄養失調で、機能が低下している内臓の子供が、謎の肺の病気になっている。大変です。治療の見込みがありません!そもそも治療法がありません!治るか全くわかりません!薬もありません!

O先生は、そんな私を「自宅療養」させながら「長期治療する」と決めました。子供の入院の設備が無かったんですよ。センセの病院。でも、他の医者に任せたらダメだって判断したそうで。自分が治すしか無い、と。

そうして、O先生を主治医に、私の病気治療が始まりました。その時私は4歳です。覚えているのは、数多くありません。何せその頃、自分の状況を把握するだけの意識が無かったので。

覚えているのは、外出禁止になったこと。家に布団を敷いて、その上から動いては駄目だった。というか、動けません。動けるはずが無い。

それまで外を走り回るのが「普通」だった子供が、(その前の火傷の事も確かにありましたが)突然「寝たきり」になるんです。わかりますか? 動きたくても動けないんです。お布団の上だけが私の世界になりました。

薬は、子供用など無く、大人が飲む粉薬。その他錠剤が沢山。薬が効くかわからないので、試し試し、次から次から薬は変わります。大量の苦くて飲めない薬達。飲まなければ下手をすれば死にます。(その時点では飲んでもどうなるか分かりませんでしたが・・・)

けど4歳児ですよ! 薬を飲ませるの・・・相当苦労した様です。いや、覚えていますとも。飲みたくないと拒否りましたとも! 飲まないと死ぬから!とこれまた無理やり飲まされましたとも。ええ。

オブラートってご存知ですか? 透明のフィルムで、水に溶けます。それに薬を包んで飲むんです。パンパンになったオブラート2つ。それが私の1回の薬量でした。それを1日3回・・・地獄の思い出ばかりです(´;ω;`)

少しして、薬が功を無したのか、私の状態は改善します。それが何歳だったのか私は覚えがありませんが・・・多分5歳くらいでしょう。絶対安静は変わりませんが、でも多少動けるようになりました。肺の状況はすこぶる悪かったですが、でもとりあえず起き上がれるようにはなったし、幼稚園も行けたし、小学校にも上がりました。

でも治った訳ではありません。ドクマクは一向に私の肺を蝕んでいました。

その頃、喘息発作が頻繁に起きました。気管支と肺が、酷い炎症を起こしていた為です。ドクマクの治療と喘息の治療。今思えば、私の薬量は本当にドン引きする物でした。

そして、その薬について私は言いたい。

その薬、太る薬でした。

・・・いえ、その言い方は正しくない。正確には、副作用として太ってしまう成分の薬であり、本来服用時にはそれを抑える薬を一緒に飲むものでした。でも私は栄養失調の子供。体力も無ければ、栄養も無い。病と闘うためには少しでも栄養を付ける必要があり「太る事止む無し」という事だった様です。

ご想像できると思います。薬の副作用で、パッツン!と太った子供を。勿論突然太る訳ではありません。4歳から飲み続けた薬で徐々に、徐々に、太っていくのです・・・子供心に、恐怖でした。

その頃の私の状況は、学校に行ってもいいが、基本安静。運動禁止。偏食で食事量が少なかった私ですが、親や親戚たちの努力の甲斐もあり「3食シッカリ食べねばならぬ!」の呪いがかかりました。食べたく無くても、食べれなくても、出来るだけ食べること。食べなくてはならないと、私は強く固定観念を植え付けられます。

ここで、私の「食」と「病」が繋がります。

元々小食で偏食だった私。ですが、病気と闘うために「食べる事」を強いられます。そして「太る事」を強いられました。

食べたら太ります。食べなくても太ります。薬でどんどん太ります。怖い。見る見る肥えていくいく自分を見るのが怖い。変わっていく姿が受け入れられない。子供心に、酷く恐怖したのを覚えています。

自覚したのは小学校2~3年生でしょうか。太りだして、パッツンとしてきました。病気治療は継続中で、学校にはまともに通えていませんでした。

月に5~10日は休んでいたと思います。一度喘息発作が起きると3日間は呼吸困難窒息寸前で、その後1~2日はダウンでした。それが月に2回以上あった。

学校に行くと、もう授業はチンプンカンプンです。でも私は、家業の影響もあり「なんでもできる完璧な子供である演技」をしていました。この辺については、また別に改めて書きたいので割愛しますが・・・

勉強が出来ないなんて、許されない雰囲気を感じていました。学校では品行方正の良い子ちゃんでした。優等生ぶっていました。そんな子供なので、いじめにも合いましたし、病気への理解が学校にも先生にもクラスメイトにもありませんでした。

おっと、この辺の事も、今は置いてしまおう。今はそれが書きたいのではないのだから。

話は戻り、肺の病から私は病気を抱えながら小学校に通って居ました。前述の超人祖母たちの影響で、学校を休むなんて「悪」でしかありませんでしたが、私はとにかくすぐ寝込んでしまっていました。

祖母も病気を持っていた人で、痛みも苦しみも知っていた筈です。でも彼女はとても強い人だった。どんな体調でも、どんな状況でも「休む」という事をしなかった。働き続け、動き続け、活躍し続けていました。それが出来ていました。

だから、私が病気であっても「休む」のは良しとはされず、悪い事をしていると子供心に自分を責める・・・そんな状況でした。

まぁ、その辺の精神状況についてもまた後述するとして・・・(またか!!いやだって、一度にまとめて語れないwww)

私のこの肺の病との戦いは、中学生になる頃まで続きました。正確には、いつ薬が無くなったのか記憶していません。薬の量はある程度から減っていきましたが、でも喘息発作の度に薬は出ていたし、いつも薬を飲んでいたという記憶しか無く、その時飲んでいたのが「何の治療の薬か」というのは、もう慢性化して意識していなかったからです。

だから実際何歳まで治療していたか分かりませんが、多分中学生くらいで、私の肺の治療は終わりました。多分。

実際の所「治った」と言えるのか良くわかりません。肺は病巣がびっしりで、レントゲンを撮ると、それを見た医者が「大変だ!再検査を!」と慌てるようなボロボロの肺をしていますし、どうやら痩せて抵抗力が落ちて体の免疫力が低下すると、再発をする・・・という事の様です。

余談ですが、お年頃の23歳くらいの頃、OLをしていた時ですが、仕事の忙しさと運動量(仕事で実質ビルの一階から六階まで走り回っていた)、食事の減量で、ダイエットになった事がありました。初めて人に言える体重になったんですね。

しかし、途端に体調を崩しました。連続でどんどん病気が出てきて、慌てて主治医のO先生の元に駆け込むと「お前は死ぬ気か!お前は痩せたら死ぬからな!またアレが再発するぞ!」と怒られました。

えええええ????痩せたら死ぬ???再発???

驚愕したまま出された薬を飲んで、あっと言う間に体重は元に戻りました。思えば、あの時飲んだ薬・・・アレだ・・・。子供の子に飲んでたアレ・・・。

まぁ、そんなこんなで、病気も体調不良もどうにかなりましたが、なんとも腑に落ちない。痩せたら死ぬ?再発する?聞いてないよ!!!

最初に頭ぐるぐる、気持ちグルグルと書きましたが、もうね。分からない事だらけなんですよ。この病気。

O先生に説明を求めても、何も教えて貰えなかったんです。

「医者」という種族を近くで見た事ある方は分かると思いますが、彼らは「説明しても専門的な事はどうせ分からないのだから、言われるまま治療を受けていればそれでいい!」という所が少なからずあります。あの人種には。うちの主治医は、正にそういう「頑固なおじいちゃん先生」だったんですよ・・・(==;)

なので、病名を聞いても「そんなものは無い!」だの、治療法を聞いても「お前は安静に寝てればいい!」だの、納得する返事が返ってきた事がありません。

ドクマクの時は、まぁ私も子供ですし、子供に説明する筈はありませんから私が知る由もありません。でも親も、「先生何も説明してくれないからねぇ」という始末。もう言われるがまま治療をしただけだった様です。

結果として私は生き延びたので(どうやらあのまま死んでもおかしくない状況ではあったらしいですw)良かったですし、命の恩人であることに変わりはありません。でも・・・分からんことが有りすぎる!!!

そして、納得できない!仕方なかったとしても、なんかどうにも心のおさまりが付かない。ざわざわが何時までも無くならない!!

それが、多分今、私の「食べられない」を作っているんだと思うんですよ。

そう、私が今書きたいのは、肺の病気の治療で「食べねばならない」状況と、「太る状況」が作り出されたことです。それが私の今の食べられない状況の大元だから。勿論他にも要因はある。もう一つ大きな、おおき~な要因が。

でも、太るのが怖かった。食べたら太る。食べたく無い。でも食べないと死ぬ(かもしれない)。死ぬのは怖い。だから食べる。でも太りたくない。でも食べねばならぬ!・・・この、ループ。このループがそもそもの、発端だと私は思う。それが書きたかった。それを吐き出したかった。語りたかった。

ここまで書けて、それだけで、肩が少し軽くなったように思う。

白状すると、今まで生きてきて「太るの怖い」と言葉にしたことが無かった。だって、太るのは生きる為に必要で仕方がない事だったから。そう自分を誤魔化し納得させていたから。

でも、言おう。正直に言おう。

太るは嫌だ。自分のその姿は見たくも無い。そんな自分は大嫌いだ。

どんなに「明るくていつも笑顔で優しそう」と第一印象で言って貰えても

どんなに「お母さんみたいにあったかい感じ!」と言って貰えても

抱き着いて気持ち良いとか、安心出来るとか、「太ってても醜い訳じゃないよ」と言って貰えても

自分が自分を許容できないのはどうにもならないじゃないですか。仕方ないと分かっていても「良し」と思えないのはどうにもならないじゃないですか。

その想いが、多分、この年になって溢れて来た。

また改めて書くけれど「食べねばらなぬ呪い」が実家を出て長い時間をかけてやっと解呪された。そしたら「食べたく無い」がハッキリ見えて来た。そして「食べられない」になったのだと、多分、そうなのだろう。そうなんだろうなぁ。というのがここ数週間の出来事。

他の病気のお話しとか、イジメの事とか、多重人格的精神構造の事とか、書きたい事は色々あるけれど・・・

次は、この「食べられない」を書きたい。書いて気持ちを整理したい。自分がいま何を考えて、何を思って、どういう状態なのかを文字にして読んで知りたい。

でも今日は、連続してPCに向かってしまい、ぶっちゃけ疲労度が凄い。具合が悪い。病み上がってない無いこの絶賛気管支炎な状況で何を無理しているのだろうかと思いつつ、心は少し軽くなったので・・・良しと思う。

続きはまた。


追記、

もし読んでくれている人が居たとして。(一応ツイッタさんには案内だすしね・・・) 意味不明支離滅裂、読み物として成立していない文章ですが、まぁこんな人も居るのだなという程度にさらっと見てくれると有りがたい(^^;) そう思いつつ、巣のお布団に戻ります。

ほんと、只の日記ていうか自分語りですんませんw

(やっべ。具合はすこぶるヤバイ。心は軽いけどwww)