(11)当時の学校の担任に言いたい。愛着障害とイジメのおはなし。

イジメられた話を何度か書こうとおもったけれど、自分の中で昇華していないことや色々と考えてしまって書ける気がしなくて置いておいた。
そんな折り、Twitterで見つけた【愛着障害】の記事。
私が心療内科にかかっていた時は言われた覚えは無いが、記事を読み色々と調べてみると自分はスッカリ当てはまる。
そして読めば読む程・・・小学生時代のイジメの事を思い出す(´・ω・`)
――というか当時の学校担任に言いたい事がある。
めっちゃ言いたい。「センセイ酷い!」と。(イジメっ子にも色々思う事はあるけどw)

ああ、その前に心療内科についてちょっと書いておこう。
今改めて行くなら「精神科」に行くだろう。
でも当時近くにあったのは「心療内科」だった。遠いと通う事すら不可能と判断し家の近くの心療内科にかかっていた。
当時はまだ精神科と心療内科は同じものと勘違いしていたのだった。

ーーーーーーーーーーーー
精神科と心療内科の違い
ーーーーーーーーーーーー
簡単にいえば、「心の問題」は精神科。「身体の問題」は心療内科。
鬱は心の問題なので精神科。
ストレスからくる体調不良が出ている場合は心療内科。
昨今は両方を診てくれる病院が多いけれど、●十年前は分かれているところも多かった。

しかも、心療内科とうたっておきながら実際その道の勉強をしていない内科医が居る病院も多かったという(; ・`д・´) <ナニソレコワイ!

んでまぁ自分は心療内科にお世話になりましたが、確かにストレスからくる身体的な症状があったので間違えでは無かったけれど、でも元々は鬱からくるものと、そして幼少期からの家庭問題と適応障害が原因であって、結果的にパニック障害と不安症にってな感じだったので本来は精神科に行かなきゃいけなかったんですねー(´・ω・`)
でも心療内科でどうにかしようとしちゃって、結局その時はどうにもならなかったっていう・・・
まぁこの辺の話は置いといて。
本題をすすめます。


ーーーーーーーーーーーー
愛着障害の記事を読んだ
ーーーーーーーーーーーー
さて、本日Twitterトレンドにあった【愛着障害】なるものの記事を読んだ。

驚いた。 「自分やんwwwwwwヽ(^o^)丿」

色々と合点。アダルトチルドレン(AC)の自覚はあったが、なるほど。愛着障害の解説はとても分かりやすかった。
色々な記事を読んで愛着障害について考えていると、わたしがイジメにあってた時の事を思い出した。

私をイジメていた「イジメっ子の女子」たちは、今思えば愛着障害だ。
片親で親はずっと働いていて一日数分顔を合わせる程度。いつも家で独りぼっちで孤独な子。
大家族の中で上からも下からも抑圧されて、家は毎日大戦争。心休まらないサバイバルを生きていた心が孤独な子。
家に居場所が無く、心の拠り所が無く、仲良しの友達が唯一で、学校だけが自由に好きに立ち振る舞える場所――― 

家庭環境を知っていた学校も先生も、それを分かっていて、だから私がイジメを相談しても担任はその子達を擁護し守り、結果イジメられていた私が我慢する形になったのだろう。
大人から見れば、イジメをしていた子達が「可哀想」だったんだと思う。
イジメをしても仕方ない。そのくらい抑圧されているのだと同情したのではないかと思う。

イジメられるわたしよりも、愛着障害だったその子達の方が可哀想に見えたのだと思う。

―――でも実は、わたしも愛着障害だった。

両親が居て親は其れなりの地位で、経済的にも問題無く、愛情深く何不自由なく真っ当に育成されている・・・と周りは思っただろう。
我が家は側から見ればそう見えたかもしれない。
事実先生からイジメっこたちの擁護を聞かされている時に「ちゃんとした家庭に育ってるお前にはわからないだろうが」という言葉があった。
担任から見て、私は「問題無い家庭の子」だったのだろう。

けれど実態は違った。家業上たしかに親には地位や名誉があったが残念ながら儲け皆無のボランティア業に近い。経済的にも切迫し、だから母親が家業外の企業に働きに出ていた。
そんな経済状況にも限らず家業に携わる一族には【誇り】があり【プライド】があり、何より大事なのは家業だった。

子供は、家業の為に跡継ぎ・人手が必要ってだけで、”子供だから”と大事にされる訳では無かった。
必要なのは家業に従事する人間なので、子供には家業の為の教育をする。
結果として「家業に都合の良い嘘の自分」を演じて生きる事になった。

一見普通の幸せそうな家族に見えても、私達兄弟は「自分」を偽り、周りの大人達の顔色を見て、大人たちが望む仮面をつけて生きていた。嘘の自分になる事を自然と強いられていた。

愛情が無かったとは言わない。愛情を持って、一個人として大事にしてくれる人も一族の中には確かに居た。
けれど幼少期の人格形成期に傍に居て、大きく影響を及ぼしたのは「家業に携わる人間」としての価値観を強いてくる一族たちであり、家業の道具として、歯車として必要とされている事実だった。
それは「純粋な愛情」では無かった。

私達兄弟は自己肯定感を持てず、「嘘の自分」に苦しみ、その自分を愛する事が出来ず生きていた。心にはヒビが入り、ボロボロの状態だったと今振り返っても思う。

イジメはそれに、拍車をかけた。

ーーーーーーーーーーー
世の先生に言いたい
ーーーーーーーーーーー
一見正常な家庭、家族に見えても、子育てに関して真っ当とは限らないと知って欲しい。切に願う。

学校が見るのは学校に通う子供と兄弟、両親だ。
まず親の仕事や家の状況を見て衣食住整われているか、一般的平均的な育成が可能な状態かを見るだろう。
そしてその家庭の子供の情緒や性格を見て「家庭に問題が無い」、「問題の無い子供」などの評価をしていくのだと思う。

両親揃っていて衣食住問題無く子供の情緒も安定し性格も良い、となれば学校としては「問題なし」と思うのはわかる。わかるのだが・・・

本当にそうとは限らない!!! ということを、頭の隅に入れておいて欲しい。

子供の頃は親が絶対的正義で、親が正しいと思って生きている。我が家もそうだったし、我が家の場合は親よりももっと正しくて偉い一族や祖父母たちがいた。
特に祖父母の権力はすさまじく、祖父母が「白」だといえば、黒も白になり、両親すら逆らえない「絶対的な権力者」だった。
その祖父母や一族達に認められなければ、子育てについて責められるのは両親。両親よりももっと強い権力者を前に、子供は幼いながらに親の立場を考え立ち振る舞うことを覚る。

ご存知・・・子供は嘘が得意なんです。
だから、自分に嘘をついて、親にも、祖父母にも、学校の先生にも嘘をついて「偽りの良い子の仮面」を被り続ける事が出来た。

でもね? 先生をしてる人はわかると思うんですけど・・・子供って「良い子」じゃないんですよ!!!

素で良い子の子は居るでしょう。でも「良い子でないといけない」と演じている子も居るんですよ。
そんな「偽りの自分」を演じてる子は、本当の自分を愛せない。本当の自分を誰からも愛して貰ってないんですよ。
本当の自分を隠して、嘘の自分ばかり大人に褒められ必要とされる。
だから「自分」が不安定で、心の奥底でずっと不安で仕方ない。心の崩壊カウントダウン!!そんな超絶不安定な”問題無い良い子”が、居るんですよ。
そう。愛着障害を持った一見問題無い子ってのは、居るんです。

え? そんなの見てるだけじゃわからない? 区別なんてつかない?

デスヨネー! 一見してわからないですよね! 私もそう思います。
でも頭の隅に置いといて欲しいんです。そんな子供も居るってことを。
それだけで違うと思うんです。学校生活における色々な問題を対処する時に。

ーーーーーーーーーーーー
当時の担任に言いたい
ーーーーーーーーーーーー
先述の通り、わたしはイジメにあっていた訳ですが、当時の学校の担任はイジメっ子たちの味方をしていました。
私の話を聞いてはくれましたが、最後には私に我慢を強いました。
最終的に両親も巻き込みましたが「イジメられる側にも問題がある」というすり替えが起き、学校にも親にも何の対応もしてもらえませんでした。

ただただ、イジメられる日々。自殺も考えた程です。

幸い色々あって自死は免れ、今は生きていて良かったと思える毎日です。
でもあの頃の理不尽さは今でも心にシコリとなって残っています。

担任の先生は、イジメっ子たちの家庭環境から彼女らの味方をしていました。彼女らに同情していました。可哀想な子達だから、という論調です。
被害者の私にそれを話す先生でした。
彼女らだって辛いんだ、という感じです。

でもね、センセイ。わたしも、毎日辛かったんだよ。

持病は辛くて、家は堅苦しくて息が出来なくて、不安で不安で、自分の足の下がいつ底なし沼になって落ちて行くか分からない・・・そんな毎日だったんだよ。
そこにイジメは、私には重かったよ。

センセイには分からなかったんだろうけど、センセイにとっては私は物わかりのいい良い子で問題無い家庭の子で「言えば理解するだろう」「我慢してくれるだろう」と思ったんだろうけど、理解はしても納得は出来なかったよ。

でも、納得するフリをしたよ。
だって「良い子」でなくてはいけなかったから。
納得しなかったら「悪い子」となって、家に居場所を失ってしまう。一族から弾かれてしまう。だから必死に納得したフリをして良い子に過ごしたよ。

結果として、孤独だった。誰も助けてはくれないのだと、大人は見方では無いと思ったよ。

その時の経験が、私を大きく変えた。

確かにメリット的な事もある。人に優しくしうようって考えるのは自分が経験して辛かったから。
でもデメリットの方が何百倍も大きい。自分を愛せないだけでなく、イジメられるような、輪から排除されるような「ダメな人間」なんだという意識が根底から無くせない。

あの時センセイが、私の味方でなくていい、せめてイジメっ子とわたしを ”同等” に見てくれていたら。どちらの味方にもならなくていい、ちゃんと問題を一緒に考えてくれてたら。
そしてイジメが無くなって居たら。
少しは違っていたと思うよ。
家庭環境的に愛着障害はあっただろうけど、でも「人間不信」と「自己否定」はここまで酷くはならなかったと思う。
センセイにはセンセイの事情もあったろうし考えもあったんだろうけど、でもやっぱり今でも思う。

センセイ酷いよ。

そして、今でも思う。
イジメっ子たちにも事情はあっただろうけど、この恨みは一生消えないし、何があっても許せはしない。

まぁ、許さなくちゃいけないとは今はもう思わないので(前は思ってたけど)、一生許さないですがw
だからって仕返しとはしないですけどね! 馬鹿みたいなので( ゚Д゚)

今の自分の目標は、「幸せに生きる」です。
自分が思う幸せを感じる毎日であればそれで十分。

そう思って生きています。
けれど、愛着障害を知って、色々と興味も持ったし・・・何より自分のこの色々な問題(不安障害、パニック障害 等)を解決出来てないので、今度精神科にいって相談してみようかな~と思います。
問題は財布事情ですが( ゚Д゚)

よし。言いたい事はまるっと書いた!満足!
文章とか誤字脱字とか見てないけどまぁいいや!!投稿しちゃえ!

もしかしたら、これが誰かの救いになるかもしれないし、考えてもらえるきっかけになるかもしれないしね。

なお、最後になりますが、これは私の経験であり主観であり個人的な意見です。正しいとは言えない(/・ω・)/
なので、いち意見として受け取って下さいませm(__)m

以上。
もにゃさん台風の気圧で体調ゲロヤバなのでそろそろダウン~_(´ཀ`」 ∠)_...