(5)病気になったらオタクになってめっちゃ幸せですが何か(≧▽≦)なお話し

精神的な問題で食事が出来なくなたYO★・・・って話を書こうと思ってたんですよ。ええ。ついさっきまでは。

なんですけど、ふと、Twitterを覗いたら素晴らしい推しの絵を絵師様方がバシバシ流して下さってて、余りの尊さに拝んだよね!!!ありがたすぎてイイネしてRTして心の中でヒャッハー°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°て叫んだよね!!!

ありがとう絵師様!ありがとう素敵な推しをありがとう素晴らしい萌えをありがとうありがとう生きてて良かった!ジャンピング土下座なう!!!

。。。んで、思ったんですよ。オタクって素晴らしいなぁって(真顔)。

あ、突然何の話かって感じですね! 自分ゴリゴリの漫画・アニメ系のオタクなのですね。ストライクゾーンが狭いので好きな作品は限定されてますが、ライトでなくコアなタイプのオタクです。ちょっとアニメや漫画が好きで読んでます~・・・ってんでなく、ゴリゴリです。はい。めっちゃ発信側のオタクです。ラクガキ程度の絵も描きますけど一応メインは文字書きで。オリジナル小説やら二次創作小説やら書いてます。

んで、先ほどTwitterの神絵師達の絵を眺めてて「オタクになって良かったなぁ(*´▽`*)」ってしみじみ~と実感していて、そういえば自分何時からオタクだったんだろうなって所に思考が巡りまして。思えば、つい先日書いた自分語りの正に「ココ!!!」って気づいてしまったのです。

はい。正にソコです。ソレです。(4)で書いたまーさーにこの時でした。

ので、その事を書こうかなって気持ちになったので書いてしまうのですね。ここは私のチラ裏ですからね!思ったことを書いてしまう訳ですね!それも有りだと思います。

私がどうやってオタクになったのか。そんなもん誰も興味無いわ!!シッテタwww でもいいの。私が書きたいのです。だって今オタクでこんなにも幸せなのだから! その幸せの発端は喜ばしい事の筈! 不幸中の幸いとは正にこのことだと言い切れます。

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さてさて。(4)で私は寝たきりになった4歳児をご紹介致しましたが、その4歳児。この4歳児が見事なオタクのスタートです。それまで外で走り回るしか能の無かった子供が、ひょんなことから入院したのです。そこは小児病棟。本棚があってそこには絵本が沢山。漫画も沢山ありました。

それまで自分が触れて来た世界は「スポーツ」の世界。父方の家業の影響です。身体を動かす事を生業とした業界人に囲まれて居た為、私も身体を動かすのが得意な子供でした。アウトドア派というやつです。アスレチックとか好きで公園とかで飛び跳ねてるヤツです。余り本を読んだり絵を描いたりはしてなくて、女の子なのにお人形遊びもしたことがありませんでした。というか、家の中でする遊びをほとんどしていなかったんですね。何せ幼稚園児の頃の将来の夢は「動物屋さんか虫屋さん」です。動物が大好きで、虫が大好きで、朝起きたら外に飛び出して日がな一日草花を覗き込み虫を探すか、犬猫を追って走り回るか、近所の男児を従えて走り回るか・・・な、そんな子供でしたから。

それが、入院先で(守って無かったけど)絶対安静と言われ、ベットに大人しく寝て絵本でも読むように薦められたんですよ。絵本とか漫画とか最初は全く興味が湧きませんでした。けれど入院生活が長くなると暇な時間が沢山あって、走り回って探検ゴッコをして動き回っては居たのですが、点滴をしたりで動けない時なんかは本を読むしか無かった。そこで少女漫画を読みだしたら・・・

あれ? あれれ? 面白い!!!

漫画って、凄く面白い! そう気づいた4歳児。読めない字もありましたけど、でも絵だけで十分話が分って面白かった。あっと言う間に本棚の漫画を読み切りました。他の入院患者の子が持っていた漫画雑誌も次から次から借りまくって読んで、「漫画面白い~!!」て新発見な感じで(笑)。

その後、肺の病を患い自宅療養で寝たきりの日々がやってきます。そんな私が望んだのは、絵本や漫画。同時にテレビでアニメも見る様になります。親の仕事の関係で一人で留守番する事が多かった為、寂しいだろうと父の仕事関係者達から「ぬいぐるみ」を沢山プレゼントされ、テレビアニメを見て、漫画や絵本を見て、ぬいぐるみで人形遊びを始めました。物語を作ってぬいぐるみたちにそれを演じさせて。楽しい一人芝居です。画用紙とクレパスを貰って、絵も描き出します。

楽しい!

創作の楽しさを覚えたのがその頃です。勿論病状は悪く、寝込んでいる時間も沢山ありましたが、オタク活動をする時間も沢山ありました。一人妄想をし、物語を創作し、これが楽しいったら!! 

それまで男の子の友達ばかりで、外で飛び跳ねてばかりだった私。それ以後は、外で遊ぶのを禁止されたこともあって、女の子の友達と人形遊びなどをして過ごすようになります。絵の描き合いっこをして見せたり、アニメの声マネをしたり、小学校に上がる頃にはもう立派なオタクとなっていました(笑)

元々、そういう血は継いでたのです。

父方はスポーツ関連の人間ばかりでしたが、でもそれは、見方を変えると「芸術としての技」を磨きあげたオタク気質の人間の集まりでもあって。実際、本業としてその仕事をしていても、親族みんな副業的に芸術方面に片足突っ込んでいる人が多かったんです。

絵描き、音楽家、写真家、映像関係。芸術系の大学を出た父も実はアマチュアカメラマンであり、映像作家でもありました。蓋を開いてみたら、周りは芸術家の山でした。母方の親戚も、アニメ制作会社でアニメーターをしていたり、技術職だったりで、オタク気質の人間ばかり。もうこれは、オタクの血が流れているとしか思えない。振り返ればそう思います。

だから、あの時病気にならずアニメや漫画に出会わなかったとしても、きっとオタクにはなっていたと思います。タイミングが違っただけで。

でもあの時、アニメや漫画に出会って、創作の楽しさを知って、オタク活動が楽しくて楽しくて病気でもへっちゃらだった。病気が辛くても、オタク活動で心が晴れやかになった。それはとても大きな事だと思うんですよね。生きる活力になっていたという事ですから。大好きなキャラクターを見るだけで幸せになったし、その存在が有るだけで嬉しかった。

手っ取り早く言うならば―――

推し最高!尊い!!!萌えをありがとう!!!

これに尽きます。もうさ、少ないお小遣いを貯めて漫画を買ったよね。画材を買って絵を描きまくったよね。そんな生活をずっと続けてる。ずっと楽しい。ずっと幸せ。オタクって凄いです。

凄いといえば。そのうちまた別の形で書くかもしれないけれど・・・私、小学校ではイジメにあっていたんです。大人もクラスメイトも味方じゃなくて、ぶっちゃけ人間不信に陥っていました。そんな私を救ったのは、学校外のオタク仲間でした。学校外の講習会で偶然出会った子がオタクだった。同じ作品を好きな子だった。その子と知り合ってからどんどん学校外にオタク友達が出来て、その子達の存在が私を救ってくれました。

会って話す事と言えば、アニメの話や漫画の話。そして絵の見せ合いっこ。中学になるとその子達と同人誌の世界に飛び込みました。一次創作も、二次創作も楽しみました。

ぶっちゃけ病気やイジメや家庭環境や仕事や・・・辛い事や嫌な事は沢山あったしトラウマ抱えたりなんだかんだ体験してきたけれど、その都度思うのは、オタク活動に救われているなって事です。

一つ例をあげるなら。(これは何度もTwitterなどで書いているのですが・・・)脳髄炎になった時でしょう。詳細は省きますが、過度のストレスが原因で脊髄の中に炎症が起きて、そこの神経が死んでしまったんです。場所がまた悪くて、脳の真下でした。おかげで首から下が動かせなくなってしまったのですね。

治療の甲斐もあり、幸いして身体を動かす事は出来るようになりました。しかし後遺症が残ってしまった。その後遺症は「末端の接触痛」というものでした。末端(手や足)に触れると、痛みを感じるというものです。歩くのも痛いし、何より指先が痛くて、物に触る事が出来なくなった。

本を持っても痛みで数秒しか持てません。

ペンを持っても痛みで字を書いたり絵を描いたり出来ません。

パソコンのキーボードを打つことも出来ません。

私が4歳からずっと続けていた創作活動が出来なくなったんです。医者から「痛みを取る薬はありません。この後遺症とは一生のお付き合いです」と言われた時、頭が真っ白になりました。正直、生きる気力を失いました。順調だった同人活動も休止しました。だって、絵も文章も書けないんです。悲しくて苦しくて、アニメも見れなくなって、ただ息をしているだけの日々が続きました。ネットもしなくなりました。飲んでいた薬の関係で外出が出来なかったですし、そもそも足が痛いので大好きだった本屋巡りも出来なくなったし、本当に何もしないまま、何も出来ないままの毎日で。死んだ方が楽かもしれないというくらい追い詰められていました。

そんな時、偶然、本当に偶然です。とある漫画に出会った。色々な偶然が重なって、久しぶりに、本当に久しぶりに漫画を買ったんです。

そして、落ちましたとも。どっぷりと沼に。

そこからは早かった。友人からのススメでpixivで二次創作に出会い、同人活動を続けていた友人が代理で同人誌を買ってきてくれるようになり、素晴らしい作品を次から次から見て、感じて、萌えて萌えて萌え悶えて・・・

灰色の世界だったんです。脳髄炎になってから。

それが、途端に薔薇色に(笑)。

救われました。勿論原作にもですが、二次創作達が私を救ってくれました。素晴らしい作品たちを見ているうちに、自分もまた創作がしたくなった。絵を描きたくて、小説を書きたくて。手が痛いなんて言ってられなかった。心の中で迸るパッションを抑えられなかった。次から次から浮かぶネタを吐き出してしまいたかった。

創作への熱意――― それが、私を生き返らせてくれました。

そんな時にたまたま知った漢方が、末端接触痛を和らげる事となり、そして私はまたオタク活動を再開しましたヾ(*´∀`*)ノ 新しいオタ仲間も沢山出来ました。創作活動が、そしてオタク活動が楽しくて楽しくて、あの時諦めてしまわなくて良かったと、あの時沼に落ちれて良かったと思っています。

ぶっちゃけ今も病気で苦しい時辛い時が度々あるし、後遺症だって治っている訳じゃないから痛みと戦いながらだし。でもね。声を大にして言いたい。

オタク活動最高!!!推し最高!!!生きてるって最高!!!

原作を見て尊さに心を震わせ、仲間たちの二次創作を見て萌え悶え生きる活力を貰い、創作をして充実感を得る。本当に本当に、オタクで良かった。そう思うのです。

私の場合、たまたまアニメや漫画のオタクという趣味ですが、どんな趣味も素晴らしい。生きるのが楽しいと思えるような、そんな趣味があるのって、ステキな事ですよね。私はそう思います。


最期にちょっと話が戻りますが。

3歳までアウトドア派だった私ですが、4歳でインドア派になってからはもうずっとインドア派です。病気で出歩けないって事もありますが、でもそういう事で無く・・・「家から一歩も出たく無い!!家でオタク趣味に浸って居たい!!」というのが本音で(笑)。やりたい事が沢山ありすぎて時間が足りません!! 私の場合主に「寝込んでいる」という時間が多すぎて、その時間が全部趣味に使えたら有意義なのになと思います。病気の身体じゃなかったらもうちょっと時間があったのに・・・でも、病気になったからこそこの世界にどっぷり漬かれたとも言えるので何とも難しい。病気じゃなかったらと思う事は何度もあるけれど、でもやっぱり、この経緯があって今の私が居るのは事実。不幸中の幸いだったのだろうなぁ。

ま、病気にならずオタクになって健康なオタクとしてバンバン活動出来たらそれが一番でしたけどねwww

でも健康だったら私多分、もうちょい違ったオタクになってたと思います。多分バンドと演劇やったと思うし・・・声優になろうとしたと思うし・・・(==;) 病気があったからこっち系は断念しましたが、多分そっちに走ってたわ・・・言い切れる。うん。まぁそれはそれで楽しかったろうと思いますけどね!!

そんな訳で。今日もオタク活動楽しいデス。生きてて楽しい!生きてて良かった!そう思えます。気圧がなんかアレで体調はグオオオオオオって感じですがそれでも推しは可愛いし素敵だし萌えて心は幸せ~ヾ(*´∀`*)ノ

願わくば、私の創作も誰かの小さな幸せの一部で在れたらイイナ、と思う次第です。(その前に創作しろ!ですが・・・)

今日はここまで。