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第10橋 通潤橋 前編(熊本県)|吉田友和「橋に恋して♡ニッポンめぐり旅」

「橋」を渡れば世界が変わる。渡った先にどんな風景が待っているのか、なぜここに橋があるのか。「橋」ほど想像力をかきたてるものはない。——世界90か国以上を旅した旅行作家・吉田友和氏による「橋」をめぐる旅エッセイ。渡りたくてウズウズするお気に入りの橋をめざせ!!


震災を乗り越えて蘇った
2つの橋

 47も都道府県があると、個人的によく行くところと、あまり縁のないところがある程度ハッキリしてくる。たとえば、沖縄なんかは年に数回の頻度でリピートしているし、北海道も実家があるから割とよく訪れている。佐賀のように、近年密かにマイブームの県もあったりする。

 一方で、そんなに頻繁には行かないのだけれど、数年に一度ぐらいのペースでなぜか呼ばれるようにして足が向くところがある。今回取り上げる熊本は、自分にとってまさにそんな県なのだ。

 熊本空港に到着すると、建物内は絶賛工事中といった雰囲気だった。通路は狭く、各種施設類も仮設という感じ。前回来たときとは明らかに違う装いに面喰らいながら外へ出てみると、すぐ隣に真新しい建物が立っていた。いま出てきた建物と比べものにならないほど立派な外観で、デザインもモダンだ。

 その場で調べてみると、あれは新旅客ターミナルなのだとわかった。2023年3月にオープン予定らしい。このときは2022年10月だったが、外観はほとんど完成しているように見えた。次に来たときには、きっとあの建物に到着するのだろうなぁと想像を膨らませる。

 いつものレンタカー会社で車を借りて、空港を出発した。熊本空港は内陸部にあって、熊本市街から結構離れている。西へ向かえば熊本市内だが、逆方向、東の阿蘇方面へと車を走らせた。

 考えたら、熊本へ来る度に同じようにまずは東進している。阿蘇のダイナミックな自然の風景に引き寄せられるのかもしれない。起伏に富んだ広大な大地に身を置くと、どこか外国の国立公園にでも来たかのようで、ここが本当に日本? と毎回不思議に思うほどだ。

 熊本といえば、忘れられないのが2016年の地震だろう。直後に訪れたときには、阿蘇も道があちこち寸断されていたのを思い出す。天下に名高い熊本城が、無残な姿を晒しているのをこの目にしたときには絶句した。

 あれからもう6年か——時が経つのは早いなぁとしみじみしながらハンドルを握っていると、やがて、一つ目の目的地に到着した。空港から車でわずか20分ぐらいと、拍子抜けするほど近い距離だが、いきなりこの旅のハイライト。

 もちろん、橋である。しかも、なんと三つもの橋が、一箇所に集まっている。そんな橋旅好きとしては目を輝かせずにはいられないスポットがあるのだ。

 空港方面から国道57号線を東進してくると、やがて大きな分岐点に辿り着く。そのまま57号を走って北へ抜けると、「大観峰」をはじめとした阿蘇観光のメインともいえるエリアへ続くのだが、今回はそちらへは行かず、国道325号を南下する。

 その分岐点を右折して、すぐに渡ることになるのが一つ目の橋、「新阿蘇大橋」である。深い谷を跨ぐようにして架けられたこの橋は、見るからにピカピカでおニューといった感じ。それもそのはずで、2021年に完成したばかりの橋なのだ。

 空港の新旅客ターミナルに続き、またしても最新の建造物の登場というわけなのだが、元を糺せば6年前の地震の話題に行き着く。元々この地には「阿蘇大橋」という橋が架かっていたのだが、地震により崩落してしまった。それを復旧させ、「新」阿蘇大橋として架け直したというのが経緯である。

 橋の下には黒川が流れているが、元の橋はいまよりも約600メートル上流に架かっていた。橋はかなり高所に架けられており、素人目で見ても難所であることが想像できる。深い谷間で橋のバランスを取るために、橋脚からの距離が左右対称になるように設計されているのだと聞いて、なるほどと得心した。

 地震の教訓を踏まえて、ほかにも新たな橋では耐震のために工夫が盛り込まれている。橋脚の上部、橋桁と接する部分を幅広にして、橋桁が落ちないようにしていたり。

 橋を渡ってすぐのところに展望所があって、そういった説明が案内板に書かれていた。展望所というだけあって、見晴らしも最高なので、車を停めて写真を撮ったりするのにちょうどいい。

「新阿蘇大橋」。車で渡っているときは気がつきにくいが、
展望所から見るとかなりの高所に架けられていることがわかる。


 三つの橋のうち、残り二つの橋もこの展望所から一望できる。「阿蘇長陽大橋」もまた地震で被災した橋だ。斜面崩落により橋台が沈下して、橋桁との間に約2メートルのズレが生じた。鉄筋コンクリート製の橋脚にも大きなひび割れが生じたという。これまた復旧工事が行われ、2019年に再開通している。

 残りの一つは、「第一白川橋りょう」という。見た目のビジュアル的に、最も絵になるのはこの橋なのだが、ほかの橋とはいささか役割が異なる。人や車が渡るための橋ではなく、鉄道が走る橋、つまり鉄道橋なのだ。

 かつては南阿蘇鉄道の最大の名所として人気を集めたという。立野駅と長陽駅間の、白川渓谷を跨ぐこの橋もまた地震で被災してしまった。いまだに復旧工事中で、鉄道も橋がある区間は運休が続いている。

 展望所からは遠方に見下ろすような恰好になるのだが、渓谷美の中で赤い橋のシルエットがよく映えていた。復旧工事は、風光明媚な景観を蘇らせることがコンセプトで、被災前と同じ形や色の橋になるという。無事開通した暁には、鉄道に乗りに来ようと心に誓った。

右が「阿蘇長陽大橋」で、左が「第一白川橋りょう」。
1枚の写真に収められるほど、両橋は近くにある。


 ちなみに展望所には、小さな建物が立っているのだが、これもまた地震に由来する。仮設団地の集会施設だった建物を移築したものである。「みんなの家」と名づけられ、被災した人々の憩いの場だったその建物の中に入ると、地元の特産品が無人販売されていた。南阿蘇では唯一という茶園の、完全無農薬で作られた紅茶が売られていたので、思わずお買い上げ。

展望所は「ヨ・ミュール」と名づけられている。
「良く見える」という意味のこの地の方言「よーみゆる」が由来。


 橋を観に来たはずが、地震の話題ばかりになってしまった。まあでも、致し方ないだろう。これら三つの橋自体が、復興のシンボル的存在なのだから。

 もっとも、熊本の橋旅はまだ続く。というより、本命はここからだ。今回のお目当てはずばり、「通潤橋」である、と書いたところでいったん話を区切ります。



(後編へつづく)




吉田友和
1976年千葉県生まれ。2005年、初の海外旅行であり新婚旅行も兼ねた世界一周旅行を描いた『世界一周デート』(幻冬舎)でデビュー。その後、超短期旅行の魅了をつづった「週末海外!」シリーズ(情報センター出版局)や「半日旅」シリーズ(ワニブックス)が大きな反響を呼ぶ。2020年には「わたしの旅ブックス」シリーズで『しりとりっぷ!』を刊行、さらに同年、初の小説『修学旅行は世界一周!』(ハルキ文庫)を上梓した。近著に『大人の東京自然探検』(MdN)『ご近所半日旅』(ワニブックス)などがある。

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