『ロング・ロング・トレイル』 全文公開(2) 第一章 旅へのあこがれ (1/4)
2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を全文公開します。
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第一章 旅へのあこがれ
〝ただ地図を眺めるだけ〟の旅
己の記憶の中にある「旅に対するあこがれ」を探っていくと、まずは「密航」という言葉が思い浮かぶ。
幼いころから、海外旅行に対する強い関心があったものの、それを実現するための具体的なアプローチがまったく思い浮かばず、いきなり「密航」という短絡的な思考に包まれたのである。
しかしその発想は、その当時、愛読していた『少年マガジン』の冒頭の特集によって、木っ端微塵に粉砕される。
その冒頭の特集とは、密航を試みた者が、「船上のコンテナの中に隠れているうちに餓死して、白骨遺体で発見される」という、オドロオドロしい漫画記事であった。
幼いころのボクは、かなり『少年マガジン』に感化される傾向にあった。当時、人気連載であった『巨人の星』(野球少年がプロ野球の巨人軍に入団して、大投手になっていくというスポ根漫画)を夢中になって読んでいたのもそのころだったが、ある時「君も大リーグボール養成ギプスを作ろう」という記事が目に止まった。
その記事では「輪ゴム」を使って簡単に「大リーグボール養成ギプス」が作れると特集されていた。ちなみに「大リーグボール養成ギプス」とは、『巨人の星』の主人公の少年である星飛雄馬(今、冷静になると、すごい名前だな)のために、その筋力を爆発的に鍛えることができるように、鬼コーチである父親が独自に開発したギプスである。その漫画の中では、昔は誰もが所持していたであろう「エキスパンダー」というバネを使った運動器具を改造して、「大リーグボール養成ギプス」を作っていたが、輪ゴムでも簡単に作れるという。で、実際に作ってみた。
巧くできた。
が、30分も装着しているうちに、手の先がみるみる紫色に鬱血していく。最終的には自分の手でその「自家製ギプス」を外すことさえできないくらいに鬱血して、泣きべそをかきながら姉にギプスを取り外してもらった。
このように、いとも簡単に少年漫画に感化されてしまう性格だから、「密航」を企て餓死してしまう記事を読んだ途端に、「海外旅行への強いあこがれ」は、一気に霧散してしまった。
ボクは昭和33年生まれだが、昭和39年になってようやく、総額500ドル以下の所持という規制付きで、個人が海外旅行をすることが解禁となり、その後、徐々に日本人の海外旅行者が増加することになる。
ちなみに日本人の海外出国者の数の推移を見ると、昭和25年で8922人、昭和35年で11万9400人、昭和45年で93万6205人と増加する。つまりこの20年間で、海外渡航者が100倍以上に増加したのである。(出典:JTB総合研究所)
個人の海外渡航が自由化された昭和39年の5年前に、金融機関における海外旅行の積立が始まったが、これは当時の旅行代金が、庶民の平均月収の10倍以上に相当したためで、一般の人々が海外に行くのには、このような積立というシステムを必要とした。
最初の積立旅行は、昭和39年4月8日発の「第一回ハワイダイヤモンドコース旅行団」で、旅行日程は7泊9日。オアフ、マウイ、ハワイ、カウアイ島の4島を巡り、その旅行費用は全日食事付きで、36万4000円。この旅行費用は、当時の大卒新入社員の一年分の給料であり、いかに高額の旅行費であったことが分かる。(出典:JTB総合研究所)
当時の海外渡航のこのような事情を鑑みると、一般庶民の家に生まれた(一般庶民の中でも経済的下層クラスに属すると思うが)少年が、「密航」という荒唐無稽な妄想を企てても、仕方ない事情があったのである。
ボクが14歳になった1972年に、日本人の海外旅行者が年間で100万人を突破したが、それも自分にはまったく無縁の事柄であった。
1979年、二十歳になったボクは大阪から上京した。18歳から大阪でモデルの仕事をスタートさせたが、本格的にそのキャリアを積み上げるために、本拠地を東京に移すことにしたのである。この時に初めて飛行機に乗る機会に恵まれたが、それと同時に、初めて仕事で北海道に行くことになった。
羽田空港で搭乗を待っている間、空港内の売店で一冊の文庫本を手に取った。開高健著『開口閉口』というコラム集である。
そのコラムの中に次のような一節があった。
「南西諸島のとある島。その島は遠浅のサンゴ礁に囲まれているために、大きな船では近づくことができない。従って訪問客は沖合に停めた船で、潮が満ちるタイミングを狙って島人が小船で迎えに来るのを待つ。
上陸した浜辺には一軒の酒場があり、椰子の木陰に建つその店に入って行くと、健康的に日焼けした島の娘が、シャコガイに注がれた黒糖の焼酎を差し出す。その酒を一気に飲み干す。口当たりはいいが、酔いが回り、足がふらつく。それを見て、いいお客さんだと、島の娘が笑う……」
そんな島があると知人から聞いた。その島に行きたいとは思うが、実際に行ってみるより、夜更けに独り自分の部屋で呑みながら、壁にできた小さなシミを見つけ、「島はこんな形をしているのかな」と、夢想している方がいいような気がする————。
実際のコラムは開高健氏らしく、もっと豊かな表現で語られていたが、概ね、このような内容であった。
そのコラムを北海道に向かう機中で読んだボクは、これなら自分にもできる!と膝を叩いた。実際に旅をしなくても、己の想像力を駆使して、旅の醍醐味を味わうことができるのだ。
その仕事から戻ってすぐに、ボクは大きな世界地図を買ってきて、自宅の部屋の壁に貼った。そしてその地図を眺め、アーリータイムスをちびちび舐めながら、想像の旅を愉しんだ。
ある時はアフリカの大地で、見たこともない動物たちの存在に驚き、ある時には空と海の色を分ける存在が、唯一、白い砂浜だけであるような南海の小島で泳いだ。またある時は、見知らぬ都市のバスに乗って、エキゾチックな建築物に心躍らせた。
毎晩、ボクの心は何千キロも先の、まったく知らない言語の中を彷徨い、あらゆる人種の中に埋もれた。
そして実際に、海外の旅に出たのは、それから2年後の初夏だった。
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木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。
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