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ざっくりモンゴル! 草原の秘密|鈴木裕子 馬頭琴【1】

「あなたモンゴルでも行く?」この一言で、給食のおばちゃんだった鈴木裕子は、在モンゴル日本国大使館の公邸料理人になった――。モンゴルは驚きの連続。価値観がボロボロと崩れ落ち、そして再構築されていくのがなぜか心地良い。
初の著書『まんぷくモンゴル! 公邸料理人、大草原で肉を食う』でモンゴルの知られざる食と暮らしを紹介し、生きることと食べることの意味について考えさせてくれた著者が、今度は食に留まらない様々な場面で、モンゴルでの気づき、日本との違いをユーモアたっぷりに綴ります。


馬頭琴のいななき

仕事がモンゴルに決まって(それから在モンゴル日本国大使公邸料理人を3年務めた)、いざ、はじめて異国の地へ移住するとなったとき、まず友人たちに「誰かモンゴルについて教えてくれる人を知らない?」と呼びかけた。当時私は、モンゴルについてほとんど何も知らなかったのだ。
するとある方がウランバートルの音楽学校の馬頭琴の教授を旧知の人だと紹介してくれた。その人、アラーンズ・バトオチル先生はモンゴル人初の東京音楽大学卒業生でモンゴルの馬頭琴オーケストラの初代コンサートマスターにもなった方だ。モンゴルの音楽大学は12才で入学し、卒業すれば演奏家を名乗れるモンゴルで唯一の学舎だそうだ。

はじめて伺ったバトウチル先生のご自宅で聞いた演奏が、心に響いた。あれでひと耳惚れ。わたしの中で感動と馬頭琴の不思議な魅力が渦巻き、気づけば夢中になって演奏への賞賛といくつもの質問を次々に口にしていた。食の分野で鍛えた私の好奇心が舌を、もとい顔を出した。そんなわたしに先生は目を丸くして「音楽関係の仕事をされる方?」と逆に聞く有り様。この誤解に大笑い、一気に空気が和らいだ。
以降仲良くしていただいて、友人がモンゴルに来るたびに、この素晴らしい体験をさせずにモンゴルから帰らせはしないと、先生のプライベートコンサートをプレゼントした。

こうして先生にさまざまな名曲を聴かせていただいたが、一番のお気に入りは「万馬の轟」。この曲では「ヒヒーン」と馬頭琴がまさに馬のようにいななく。どうしてこんな音が出せるのだろう。この不思議に教えを乞うと、自然と共にあった馬頭琴は西洋の楽器では排除される掠れた音、キーキー、ギーギー、ギシギシといった音を拒まないのだという。普通の弦楽器、たとえはバイオリンがキーキーいったらもちろんダメだ。でもこの民族楽器はそれを音の一つとして活用する。むしろこれこそが自然の情景を映し臨場感を生む。先生が試しにと掠れのない美音だけで聴かせてくださったが、正直なところそれはとてもつまらなかった。音の可動域が段違い。わたし達が信じて疑わない常識とはこんなものなのかと、目からいや耳から鱗だった。いななきも疾走する馬の足音も馬頭琴にはお手のもの。名手の手による情景が眼の前にありありと浮かぶような演奏は、聴き手のこころを草原へと誘わずにはいられない。

「太細二本の弦と弓は、いまでこそ化学繊維に代わっているが、元々はモンゴル馬の長い尻尾を数百本使って作られた。でも中には楽器には使えない尾もある」と先生は言う。「それは競走馬のもの。早く走らせる為に体重を絞るから、栄養が足りないのかすぐに切れてしまう」のだという。「生きている馬から尾を数本失敬する時は下には引かず上に引く」「馬の尾はモンゴルの乾いた気候を離れると、途端に長さが変わってしまうから演奏家泣かせだった。だから外国には必ず人工繊維を張った馬頭琴を持っていく」
こんな話を聞いたら化学繊維と馬の尾の聴き比べがしたくなる。もちろん「お願い!」だ。モンゴルでしか聞くことのできない馬の毛の方は、いろいろな音が一つの楽器から同時多発的に生まれて、それがおおまかな一つ音になるという感じ。例えるなら大吟醸ではなく純米酒、雑味があるというか、素朴で、そのぶん人肌を感じる音だった。

先生のご自宅に伺うと、年代ごとに様々な馬頭琴が博物館のように並んでいる。現代のものは、バイオリンなどと同じように前面に穴の開いた木箱タイプ。しかし元々の馬頭琴は前面が革張りでそこには穴がないものだった。では三味線のような穴なしかと思いきや、演奏面の裏に穴が! それに驚いていると、別の馬頭琴には左右に穴があった。この目で見た楽器たちが教えてくれたのは、草原各地で自由に作られてきた馬頭琴の歴史。とても興味深かった。
ところでバイオリンやチェロと同じルーツを持つとも言われている馬頭琴だが、普通の弦楽器が弦を上から楽器側に押さえて演奏するのに対し、その逆で弦の下から指で押し上げて音を作るというのだから不思議だ。

馬頭琴の馬の顔は緑色のことがある。最初はギョッとしたが理由がある。旧正月各家を訪ねるといわれている歳神さまの乗るのがこの緑馬なのだ。馬頭琴の演奏は邪を払うとされ、「馬頭琴を上手に演奏できること」はその昔「相撲三連勝」「祝い歌を三曲歌えること」と並んでイケメンの条件の一つに数えられたという。この言祝ぎの演奏は迷子になった家畜を保護してくれた家へのお礼にもなった。大切な馬頭琴はゲルの引越し荷物では一番上に置くように、ゲルの中ではベッドの上に置いてはいけないと戒められてきたという。馬の上で暮らしたモンゴル人だけに、馬頭琴の曲の中には馬上で弾きやすい曲もある。このような多くの馬頭琴の逸話は草原の暮らしの一端を雄弁に語りかけてくれる。



鈴木裕子
1968年東京都生まれ。保育園の調理師から在モンゴル日本国大使館公邸料理人に転身。離任後は大好きなモンゴルに健康としあわせを贈りたいと『Japanese chef YUKO’s vegetable and cookbook for MONGOLIANS』上下2巻をモンゴルで出版。2024年にモンゴルで会社を設立、日本とモンゴルを往復する日々。国家資格の専門調理師全六部門を取得した食いしん坊。

鈴木裕子さんの著書『まんぷくモンゴル! 公邸料理人、大草原で肉を食う』はこちらからご購入いただけます。