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『ロング・ロング・トレイル』全文公開(7)  第二章 ランとの出会い (2/3)


2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を全文公開します。


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第二章 ランとの出会い
世界一過酷なレース 〜レイドゴロワーズ〜


 90年、91年と、2年連続して「ミネソタ・ボーダー・トゥ・ボーダー」というトライアスロンに出場した。
 こうなるともう止まらない。
 もっと過激なレースに出てみたくなる。ちょうどそのころは、マガジンハウスの雑誌『ターザン』にモデルとして登場していた。編集部のスタッフとも懇意になり、あれこれ情報が伝わってくる。
 「ある有名なカメラマンが、取材を兼ねて面白いレースに参加したらしい」
 オー!来た来た!皆、過激なレースを「面白いレース」と表現したがる。
 そのレースというのは……。
 かつて「レイド・ゴロワーズ」というレースがあった。あまりにも過酷すぎて、死者も出て、いつの間にか姿を消してしまった。今でも少し形を変えて、実施されていると聞いたが、「レイド・ゴロワーズ」としてのレースは、今はない。
 フランス語で「レイド」とは「レース」という意味である。昔、フランス人は「ガリニア人」と呼ばれていたが、それがなまって「ゴロワーズ」。つまり「フランス人のレース」という意味である。
 主催者はジェラール・フジール。かつて「パリ・ダカール」に関わっていたらしいが、「人間版パリ・ダカール」をつくろうと思い立ち、1989年にニュージーランドで第1回目のレースを開催した。
 
 90年の第2回目のコスタリカの大会に、写真家でジャーナリストでもある桃井和馬氏が参加した。
 コスタリカでコカインに絡む裏社会を取材している最中に、このレースのことを知り、取材を申し込んだらしい。主催者は「取材するなら実際に出場しろ」とオファーし、いろいろな国のジャーナリストと混成チームを作り、その大会に出場した。
 競技の内容は開催される国や場所によって異なる。共通するのは1チーム、5人1組である、ということと、チームの中に必ず女性を1人以上含めるということ。そして主催者が決めたチェックポイントを地図を頼りに通過して、5人全員でゴールを目指すというモノ。
 桃井和馬氏が参加したコスタリカでは、ジャングルの上空を飛ぶセスナから、パラシュートで飛び降りて、レースが始まったという。
 件の『ターザン』の編集部員が続ける。
 「桃井さんは、次の大会に日本人だけのチームを結成して、チャレンジするらしいけど、そのチームメンバーを探しているって言っていたなあ……」と言って、ニヤリとしながら
こっちを見る。
 「えーっと……その桃井さんって紹介してくれます?」とボク。
 「そうくると思ったよ!」と、その編集者は笑って、桃井さんの連絡先を教えてくれた。
 「精神的なストリップを見てみたいんだ」
 桃井さんに会った時に、レースの動機を訊ねると、このように言った。
 「つまりこういうことなんだ。女性1人を含む5人という組み合わせは、もっとも小さな社会なんだ。女性を弱者と決めつける訳ではないが、ガンガン先に進もうとする者と、体力やスキルの限界を感じ、休もうとする者に分かれる。食うや食わず、睡眠もほとんど摂れない厳しい状況の中で、きっとチーム内で亀裂が生じ、喧嘩もする。その時に、人は普段は他人に見せない自分の本性を剝き出しにする。オレはそこが見たいんだ」
 古くから「衣食足りて礼節を知る」といわれている。人は必要最低限のモノが満たされてこそ、礼儀を心がける余裕が生まれる。充分な睡眠を、満足のいく食事を摂ることができない状況の中、フィジカル、メンタル両面で追い詰められる、その時に出る自分の本性……。
 これはかつて自分にはない試練だった。確かにそれまでにフルマラソンは2回完走している。そしてミネソタ州を縦断するレースにも2回。その他、大小、さまざまなレースに出場しているが、そのどれもがフィジカルなつらさのみであった。どんなつらいレースでも、それが終わればビールを呑んで、美味しいモノを食べ(またこれが旨いんだ、レースの後は)、
充分な睡眠が摂れる。が、今回のレースでは12日間にわたって、過酷な状況に追い込まれるのだ。それと同時にそのような状況の中で自分がどうなるのか?それも見てみたかった。
 「是非、ボクをチームメンバーに加えて下さい!」
 ボクは桃井さんに頭を下げた。
 
 それから3ヶ月後、ブラジルのアマゾンでの取材から帰国した桃井さんの言葉に腰を抜かしそうになった。
 「レースはすべてトウキチさんに任せる。オレはそんなことをしている場合じゃないと気付いた。アマゾンの環境破壊は、想像を絶するくらいの速さで進んでいるし、それは言い換えれば、この地球の環境破壊が進んでいるということなんだ」
 確かに地球環境の問題は深刻さを増しているのは分かる。が、突然、レース出場を指揮する司令塔が辞めるなんて、どうすりゃいいのよ?
 しかし嘆いている場合ではない。その年の暮れにはレースは始まるのだ。残された時間は8ヶ月しかない。
 毎度のことながら、泥縄式にチームメンバーを再編して、我々は第4回目の「レイドゴロワーズ」が開催される、中東のオマーンへと乗り込んだ。
 初めての海外旅行でバリ島に行って以来、さまざまな国を訪れたが、イスラム国に行くのは初めてだった。(インドネシアはもっともイスラム教徒の多い国として知られているが、バリ島だけはヒンズー教徒が多い)
89年にモルジブ島にダイビング雑誌の取材に訪れた際に、イスラムの人々が愛想のないことを実感していたが、オマーンの国の人々も同様で、なんだか皆、怒っているように見える。街は雑然とした雰囲気が漂うが、モスクを模したホテルは贅を極め、20年ほど前まで鎖国をしていた国と思えないほど、洗練されて美しい。
 その前年、スペイン南部の街「グラナダ」に建つアルハンブラ宮殿を取材で訪れた。あまりにも美しい装飾を施した建築物に感嘆していたら、ガイドの女性が「アラブの人々は、この世にパラダイスを作ろうとしたのです」と説明してくれたが、我々が宿泊した「アル・ブスタンホテル」も、この世のパラダイスのように美しい。
 そしてなによりも感激したのは、野菜料理の美味しさである。
 もちろんイスラムでは豚肉の食用が禁じられているが、その他の肉料理も食べる機会が少なく、美味しいベジタリアン・レストランが多い。日本でベジタリアンというと、サラダくらいしか思い浮かばないが、この地のベジタリアン・レストランに行くと、「ホントにこの料理に肉は入っていないの?」と思えるほど、バラエティーに富み、かつボリューム満点で、これなら自分もベジタリアンになれるかもしれない、と感じるほどだ。(実際にオマーンから帰国後、ボクは約1年半、ベジタリアンになった)
 思いがけず、美味しいベジタリアン料理と、美しい建築物に出会ったオマーンであるが、レースは予想以上に、過酷を極めた。
 初日、1チーム5人に対して、馬が2頭与えられ(厳密に言えば、ベドウィン族と交渉して馬を得て)、乾季には水が干上がる「ワジ」と呼ばれる川底を、約50キロ走る。
 その後、約200キロ、山の中を彷徨い、下山して、アラビア海を100キロ、シーカヤックで渡る。
 そして再び200キロ、山岳ステージの後、約50キロ、砂漠をラクダに跨ってゴールである。
 まずは初日の馬のステージで、チームメイトの女性が、低空飛行の取材ヘリの爆音に驚いた馬から落ちて、腰の骨を骨折、その場で腕を8針縫うことになった。その直後、今度はボクが400キロもある馬の下敷きになり、足の小指を骨折した。が、彼女もボクも、そんなことで弱音を吐いて、チームメイトに迷惑をかける訳にはいかない。2人とも緊急メディカル・サービスのスタッフに強くテーピングだけ施してもらい、レースを続けた。
 が、レース4日目のシーカヤックのステージで海が荒れ、チームメイトの1人がカヤック内で意識を失くし、結局は海上警備艇に救いを求め、我々はレースをリタイヤすることになった。
 だが驚いたことに、そのような目にあったチームは我々日本人だけではなく、55チーム参加したうちの、25チームが同様の事態に陥っていたのだ。あるチームなどは、全員が海に投げ出され、救出されるまで、その周囲をハンマーヘッド・シャークが泳いでいたというから恐ろしい。そういえば、オマーンの隣国であるイエメンは、フカヒレの産地として知られている。
 主催者のジェラール・フジールはこの事態を重く受け止め、緊急救済措置として、海で遭難した25チームに対し、順位は認めないが、レース復帰は許可するとの発表を行い、我々も残りのレースを続けることができた。
 もちろん最初から高順位を目指した訳ではない。この厳しいレースで完走できればそれで充分だと考えていた。
 それに実をいえば、渡航費やレースの準備などに、高額の経費が掛かっていた。(なにしろエントリーフィーだけで240万円だ)その工面に、関係各所、いろいろな企業から協賛金を募っていた。せめて完走しなければ、それらの企業に対して、チーム・リーダーとして面目が立たない。
 が、もう途中からこのレースに嫌気がさしていたことも確かだ。
 自分にとっての初めてのフルマラソン出場は、長女の出産を記念してのことだった。そしてその後、いつも家族の存在を支えにつらいレースを乗り切ってきたが、今回の「レイドゴロワーズ」は違った。協賛企業や、このレースの模様を掲載するメディアのために、傷だらけの仲間と共に、レースを続けていたのだ。
 それでもなんとか12日間、歩き続けて我々はゴールした。最後は3人抜けたアメリカチームのメンバーと、2人が抜けたフランスチームとの混成チームで、皆で肩を組んでゴールした。
 一旦、カヤックのステージでレースを中断しているので、順位は認められない限定的なゴールではあったが、それでも日本人チームは5人全員揃っていた。チームリーダーとして、なんとか役割を果たせた気がした。
 だが、さきほども言ったように、当初の目的からは随分と外れていた。
 愛する家族のためなら、どんなつらいことでも耐えられる。その笑顔や逆に泣いた顔(これがまた愛おしい)を思い浮かべるだけで、また一歩、前進できる。だがレースはあまりにも多くの経費が掛かり、それを捻出するために、あまりにも多くの人々が関わっていた。
 単純に個人的なチャレンジとは少し違った形になっていた。
 正直、いささかの悔しさは感じた。が、逆にこれを追いかけすぎると、自分はまったく別の自分になるのではないか?という恐れもあった。
 ゴールした瞬間、しばらくはこのようなレースから距離を置こうと思った。


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木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


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