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第19橋 猿橋(山梨県) |吉田友和「橋に恋して♡ニッポンめぐり旅」

「橋」を渡れば世界が変わる。渡った先にどんな風景が待っているのか、なぜここに橋があるのか。「橋」ほど想像力をかきたてるものはない。——世界90か国以上を旅した旅行作家・吉田友和氏による「橋」をめぐる旅エッセイ。渡りたくてウズウズするお気に入りの橋をめざせ!!


橋脚をまったく使っていない?
日本三奇橋の一つ

 昔から短期旅行は割と得意で、週末だけで海外旅行をしたり、10日間で世界一周したりしていた。どんなに忙しくても、わずかなスキマ時間を利用してなかば強引に旅をする。単に落ち着きがないだけかもしれないが。

 なかでも近年とくに力を入れているのが「半日旅」だ。午前中だけ、あるいは午後だけの旅——日帰り旅行のショートバージョンといった感じ。

 今回紹介する「猿橋」はまさに半日旅向けのスポットといえるだろう。場所は、山梨県大月市。新宿駅からJRの特急に乗れば、大月駅までわずか1時間。

 その日は午後から立川で所用があった。昼過ぎには戻らないとならず、結構慌ただしいスケジュールなのだが、立川ならむしろ好都合だった。位置的に、大月から帰る途中にそのまま立ち寄れるからだ。

 土曜日の朝イチの特急列車は恐ろしく混雑していた。客層は半分以上が外国人だ。指定席車両だったが、席がない乗客で通路までぎっしり埋まっている。

 とはいえ、大月駅で降りる人は少ないようで、自分含めてごくわずかだった。大月駅からは富士急行に乗り入れて、河口湖まで行く列車らしい。なるほど、富士山へ観光に行く外国人旅行客なのだろう。これは橋旅をしているとよく感じることだが、今回もまた王道な観光コースからは外れているのかもしれない。

 駅を出たところに小さな観光案内所があったので、立ち寄ってみた。お目当ての猿橋のパンフレットを1部頂戴しつつ、ほかにも気になったチラシを見つけて手に取った。「岩殿山」と書いてある。

 実は、岩殿山は前々から気になる存在だった。車で中央道を走っていると、岩肌を剥き出しにした山がにょきっと現れる。地図で調べて「岩殿山」という名前であることを知り、いつか行ってみたいと密かに企んでいた。

 案内所の人に話を聞くと、山の中腹に「岩殿山ふれあいの館」という施設があって、そこまでなら歩いて簡単に行けるという。駅から近いようだ。というより、ゴツゴツとした岩肌の山が駅舎のすぐ向こうに望める。

大月駅はのんびりした雰囲気。背後に見えるのが岩殿山だ。


 これも何かの縁、というわけで行ってみることにした。橋旅にやってきたはずが、なぜか山登りへ。まあでも、旅なんて成り行き次第である。こういう寄り道にこそ、むしろ旅の醍醐味がつまっていたりもする。

予定にはなかった山登り。距離は短いものの勾配は結構きつい。


 登山口に辿り着くと「岩殿山城跡入口」という看板が出ていた。城? そう、ここは戦国時代には城があったのだ。

 城主は武田家の重臣、小山田信茂。その名前を聞いてピンと来た人は結構な戦国好きだろう。武田信玄の跡を継いだ勝頼は、長篠の戦いで織田・徳川連合軍に大敗を喫した。やがて信長に攻め滅ぼされるのだが、その最終局面で勝頼を裏切ったのが信茂だった。

 岩殿山ふれあいの館には、小山田信茂に関する資料なども展示されていた。登山口から、ふれあいの館までは15分ぐらい。案内所の人が言っていた通りで、手軽に山歩きが楽しめるという感想だ。それでいて見晴らしがよく、大月の市街地を眼下にできる。遠くには富士山もバッチリ見えた。寄り道して大正解。

「ふれあいの館」のまわりは公園になっていて、
展望台からの眺めは関東の富士見百景にも指定されている。


 岩殿山の標高は634メートルである。低山ながら、山頂までに岩場や鎖場なんかもあって、結構本格的な登山が楽しめるのだと案内所で紹介されていた。時間があるときに、今度は山頂を目指してみたい。

 見るからに険しそうな形をしている山だ。大月は交通の要衝でもあるし、城を築くにはうってつけだったであろうことが想像できる。要害堅固なこの岩殿山城は、関東三名城にも数えられるほどだ。

 下山したあと、本来の目的地である猿橋へ改めて出発する。こちらは日本三奇橋に数えられるという。三名城、三奇橋など、旅をしているとこの手の三大ナントカみたいなのがたまに登場するが、ミーハーな旅人なのでそういわれると途端にありがたいものに思えてくる。

 猿橋までは、大月駅から少し距離があるのでカーシェアを利用して車で向かった。こういうレンタカーを借りるほどでもない移動だとカーシェアは便利だ。

 橋の袂の駐車場はスペースがそれほど広くないが、幸い空いていて余裕で車を停められた。周辺のお店は軒並み閉まっていて、少し寂しげな雰囲気。といっても、橋のそばまで来ると、観光客の姿もちらほら見られる。

 彼らに共通しているのは、橋の上ではなく、少し離れた場所から橋を見学していること。確かに橋の写真を撮るなら、橋の上は適切ではない。この猿橋は外観が大変ユニークで、それは橋の上にいては見えないからだ。

渡って楽しいというよりも、見て感動するタイプの橋かな。


 猿橋の最大の特徴は、橋脚をまったく使っていないこと。代わりに、両岸から張り出した四層の桔木(はねぎ)によって橋は支えられている。

 昔、たくさんの猿が互いにつながりあって橋をつくり、対岸へ渡っていったという伝説から着想を得て、この橋が作られたという。そのことが、猿橋という名前の由来にもなっている。

 実際この目にすると、瓦屋根が何層にも重なっているかのようにも見えた。ともあれ、さすがは日本三奇橋の1つ、ほかの橋とは明らかに違う個性を持っている。

とくに装飾などはないものの、造形的な魅力にあふれている。


 橋の長さは30.9メートル、幅は3.3メートルとこぢんまりとした橋だ。渡ってみると、のんびり歩いても1分もかからず向こう岸に着いてしまう。橋の下には桂川が流れる。水面からの高さは31メートルとそこそこある。

 歴史ある橋といった佇まいだが、現在の猿橋は1984年に江戸時代の資料を基に復元されたもの。歌川広重の浮世絵に猿橋を描いたものがあって、案内所でもらったパンフレットにもその絵が掲載されていた。それを見ると、当時の橋の姿が想像できたりしてなかなか楽しい。

猿橋の隣に架かるコンクリ製の橋も目を引く。発電所に水を送るための水路橋だ。


 橋を見終わったら大月駅へ引き返し、駅前の食堂で昼食タイム。せっかく山梨まで来たのだからと、ほうとうで半日旅のフィナーレを飾った。

ほうとうの昔ながらの素朴な味わいが、歳をとるにつれどんどん好きになる。






吉田友和
1976年千葉県生まれ。2005年、初の海外旅行であり新婚旅行も兼ねた世界一周旅行を描いた『世界一周デート』(幻冬舎)でデビュー。その後、超短期旅行の魅了をつづった「週末海外!」シリーズ(情報センター出版局)や「半日旅」シリーズ(ワニブックス)が大きな反響を呼ぶ。2020年には「わたしの旅ブックス」シリーズで『しりとりっぷ!』を刊行、さらに同年、初の小説『修学旅行は世界一周!』(ハルキ文庫)を上梓した。近著に『大人の東京自然探検』(MdN)『ご近所半日旅』(ワニブックス)などがある。

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