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『ロング・ロング・トレイル』全文公開(25) 第五章 走って歩いて、旅をする (6/7)

2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。


※前回の記事『ロング・ロング・トレイル』全文公開(24) 第五章 走って歩いて、旅をする (5/7)はこちらから


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リム・トゥ・リム 〜ヘビーデューティーなハイカー〜

 距離、標高差、背負っている機材の重さ、そのすべてが経験済みだ。
 いや、前年のカウアイ島のカララウ・トレイルでは、これ以上の重さを背負い、一日に8時間以上も登り下りしたし、国内だと糸魚川と塩尻を結ぶ「塩の道トレイル」でも、一日に33キロも歩いた。
 だから今回、一日あたり25キロ前後の距離を歩き、3日間かけて、グランドキャニオンのサウスリムからノースリムに行って戻って来るというプランは、決して不可能なことではない。
 ただひとつ。
 夜の気温がどれだけ冷えるか?  だ。
 しかしそれも、昨秋、晩秋の八ヶ岳で氷点下10度の寒さの中で眠っていたことを思えば、それほど心配しなくてもいいだろう。

 グランドキャニオンを訪れるほとんどの観光客は、キャニオンの淵に立って、そこを見下ろすだけだ。
 過去3回、ボクも同様にここを訪れ、その淵に立って見下ろした。
 好奇心に駆られて、少しトレイルを下りてみる者もいるが、谷底のコロラドリバーまで下りてみる者は、極々、僅かで、ましてや南のリムから北のリムまで歩く者は少ない。
 
 2014年にメキシコの旅を共にしたオーストラリアから来たルカとテレンスは、レースの後、ボクがセドナでのんびりと過ごしている間に、グランドキャニオンを訪れ、サウスリムからノースリムまで、13時間ほどで往復したという。距離にして約75キロ、標高差約7000メートル。
 このチャレンジは「Rim to Rim to Rim」と呼ばれているが、ルカとテレンスがチャレンジした4年後に、ボクもここを歩くことにした。
 当初は、彼らと同じように、一日で往復することも視野に入れていた。が、熟考すればするほど、この壮大なキャニオンの様子をじっくりと見てみたい、という気持ちが強くなった。特に我々が歩く2月下旬は、ノースリムへの一般道は、雪ですべて閉鎖されている。つまりこの時期、ノースリムに行くには、サウスリムから歩いて往復するしかないのだ。その誰も行くことのできない閉ざされた谷に、どんな自然が待ち受けているのか?
 最終的に、一日に約25キロほどの距離を歩き、2泊3日で全行程を歩くことにした。2泊とも、ノースリムの直下に位置するコットンウッド・キャンプ場を利用し、そこで必要なテントなどの機材を全部背負って行くことにした。
10時間前後、歩くことが予想されたので、飲料水を含めると、約12キロほどの荷物になった。
 朝7時10分、我々は「サウス・カイバブ・トレイル」を下り始めた。
先週に降った雪が固まり、最初は靴にチェーンをしていたが、30分も下るとほとんど雪もなくなり「Ooh Aah point」でチェーンを外した。
 「Ooh Aah point」はその名の通り、そこから見える景色に思わず叫んでしまうほどの絶景だ。特に夜明けの斜光が射すキャニオンは、息をのむ美しさである。
 そこからどんどん標高を下げて行く。途中で、ラバのキャラバンに追い越される。彼らは谷底にあるファントム・ランチの宿泊客のために、物資を搬送しているのだ。出会ったら、必ず道を譲ることが暗黙のルールになっている。
 コロラドリバーの畔に位置する「ファントムランチ」を利用すると、ハイクの方法にさまざまな選択肢が生まれる。手軽にハイクを愉しみたければ、このラバで己の荷物を運ぶことさえ可能だ。
 この辺りは「オプションの国であるアメリカ」らしいサービスに溢れている。
 ここを巧く利用すれば、体力に自信のない人でも、それなりに「Rim to Rim to Rim」を愉しむことが可能だろう。
 ラバのキャラバン隊の後を追いつつ谷を下っていくと、まるで自分が映画のシーンの一部になっているような気がする。
「なんて気持ちのいいトレイルなんだ……」
 うっとりとする。
 が、その気持ちは谷底に下り、ファントム・ランチから、最初の宿泊地であるコットンウッドへと向かう道で、脆くも打ち砕かれる。
 
 12キロの荷物を背負い、一気に1600メートルもの標高差を下りたものだから、その後、足にかなりの負荷を掛け、ファントムランチからコットンウッドまでの緩やかな登りの12キロが、じんわりと足にダメージを与えたのである。
 ともあれ、我々は8時間の道のりを歩き、初日の野営地である「コットンウッド」にベースキャンプを作ったのであった。
 朝、目覚めると外の気温は氷点下。暗いテントの中でヘッドランプの灯りを頼りに、朝食を素早く作って食べる。そして明るくなる6時50分にテントを這い出て、ノースリムへのハイク準備を進める。
 僅か20分で装備を終え、7時10分に出発。
 今日は往復24キロだ。コットンウッドが標高1200ほど。ノースリムの頂きが2500ほど。標高差1300ほどを往復する。五合目から富士山頂上を往復するより、少しラクか。もちろん標高も富士山ほどではない。が、前日の足のダメージが残っている。焦らずに行こう。
 「Redwall bridge」を渡ると、その名の通り、赤い壁のような巨岩が目の前に聳え、細かいスイッチバックのトレイルが続く。ここからが標高を稼ぐ時間帯、つまりもっともつらいハイクの時間である。
 「Supai Tunnel」の手前で、後ろを追って来る二人の人影が見える。
そのまま調子を落とさずに、約4時間半でノースリムに到着。 20分ほど記念写真を撮影していたら、若い男女が登ってきた。
 二人はミシガンからやって来た大学生で、我々の隣のサイトでキャンプをしていたカップルだ。
 しばらく談笑していたが、寒くなって来たので彼らを残して下山。
 下山し始めて45分ほどで、女性の二人組とすれ違う。彼女たちも同じキャンプ場に宿泊している。どうやら今日、ノースリムにアタックするのは、我々を含めて3組だけのようである。

 結局、往復、約8時間半で、ノースリムへのアタックを終えた。
 
 18時には夕食を終え、テントの中で1時間ほど寛いでいたら、外がなんだか騒がしい。テントから這い出ると、例の女性の二人組が戻って来たところだった。
 「You made it!」と叫びながら出迎える。
 いやいや立派なものだ。女性二人きりで14時間も歩き続けたのだ。しかも最後の2時間は暗闇の中、ヘッドランプだけを頼りに歩いたのである。
 「明日、ファントムランチでビールで祝杯をあげよう!」と彼女たちが提案する。
 「いや、明日はスタート地点に戻らなければならないんだ」と告げると、がっかりした表情で彼女は言った。
 「あなたたちって、ホントにヘビーデューティーなハイカーね」
 3日目。
 ノースリムまで行った達成感による高揚からか、朝から気分がいい。
 それに初日に我々を苦しめたコットンウッド~ファントムランチ間の12キロも、今度は逆に下り基調で気持ちのいいハイクだ。

 予定より早く、約3時間半でファントムランチ。コロラドリバーを渡る前に早めのランチ。
 ここからスタート地点のサウスリムまで、一気に1600メートル登る。
 特に最初のポイントである「Tip Off」までのスイッチバックがかなりキツイ。30分ほど登って、上着もタイツも脱ぎ、シャツ一枚で登り続ける。予定ではこの日の登りは6時間だ。この12倍もの登りを続けることを考えると、絶望的な気持ちになる。が、一歩、一歩、登ればいつかは終わる。6時間掛かっても、17時半には到着できるはずだ。その後は冷たい飲み物にありつけるし、今夜は広いベッドで眠ることもできる。そしてまずは熱いシャワーだ。 
 そんな、ささやかな自分へのご褒美を夢想しながら、頂きを目指す。
 黙々と登り続け、やがて「ちょこっとだけ、谷に下1時間早く、スタート地点に戻ってきた。
 実際に「Rim to Rim to Rim」を歩いてみて強く感じたのは、「こんなにも美しいトレイルが、この世に存在するのか……」という素晴らしい感動であった。上からキャニオンを見下ろすと、荒々しい不毛のトレイルを歩くことを想像していたが、実際にはいろいろな植生が繁殖し、季節でいえば、冬と春が交錯するほど、多用な自然に巡り合った。
 ノースリムのもっとも標高の高いところが2400メートルの雪の中。そしてもっとも標高の低い700メートルのコロラドリバーの畔に行くと、河岸のビーチで水遊びをする人たちの姿が。
 そんなめまぐるしいほどの多様な自然の中を、一本の細いトレイルがどこまでも続いていた。
 世界中から多くの人々が訪れる観光地「グランドキャニオン」。そのキャニオンの中では、大勢の観光客がまったく想像がつかないような、大自然のドラマが繰り広げられているのである。


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どこまでも続く細く長いトレイル


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木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


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