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【日本全国写真紀行】64 徳島県阿南市椿泊町

取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。


徳島県阿南市椿泊町

徳島県阿南市椿泊町の港

阿波水軍が本拠地とした小さな漁師町

 徳島県の東端、紀伊水道に突き出している蒲生田かもだ岬。この岬と湾を挟んでちょうど反対側にあるのが椿泊集落である。古くから良好な漁場として知られ、県内でも指折りの漁獲量を誇り、特にハモの漁獲量は四国随一である。
 周囲を山で囲まれ、海岸線が深く入り組んだ地形は、椿泊に良好な漁場をもたらしたが、それだけではない。敵に攻められにくい天然の要害として特異な歴史を刻んできた。戦国時代から江戸時代にかけて活躍した阿波水軍の本拠地となったのである。
 阿波水軍とは、森氏が率いた徳島藩の水軍で、秀吉の天下統一前から活動していたといわれる。朝鮮出兵、大坂冬の陣などに参戦。徳川家の幕藩体制が確立する過程で重要な役割を果たした。蜂須賀家が阿波に入国してからは蜂須賀家に仕え、徳島藩の海上方を任されるなどして活躍。その功績が認められ、森家は約三千石を賜り、松鶴城しょうかくじょうという小大名に匹敵する規模の居城を築造した。水軍の大将として活躍する一方で、椿泊の町を松鶴城の城下町として整備。海上交通の要衝ともなっていた椿泊は多くの人でにぎわい、活況を呈していたといわれている。
 その華やかなりし頃の面影が今もなお椿泊の集落には残っている。
 山と海のわずかな海岸線に沿って東西に伸びる約2キロほどの細い道。その両側に300軒以上の家が並んでいる。典型的な漁師の家々だがよく見ると、趣向を凝らした装飾を施した家が多いことに気づく。往時の椿泊が時折顔をのぞかせる。
 道は車がやっと通れるぐらいの幅で、曲がりくねっていて遠くまで見渡すことができない。なるほど、これでは敵も攻めが容易ではなかったろうと想像がつく。しばらく歩いていくと、椿泊小学校が見えてきた。ここはかつての松鶴城があった場所である。海に面しており、城からの眺望はさぞ素晴らしかっただろうと思われる。
 さらに歩いていくと、阿波水軍森家墓所と書かれた看板を見つけた。急な階段を上り、道明寺という寺のうらの高台にあがると、いくつもの五輪塔が並んでいた。この椿泊を作り上げた森家の代々の当主の墓である。きれいに掃除され、花もたむけられているのを見ると、今もなお人々に大切に思われているのだろう。
 振り返ると、眼下には椿泊の集落が広がり、瓦屋根がぎっしりと連なっている。そのさらに先には、海が広がる。季節は早春、まだハモ漁のシーズンではないが、それでもたくさんの漁船が波に揺れているのが見える。静かに吹き上げてくる海風からかすかな磯の匂いが立ち上った。

※『ふるさと再発見の旅 四国』産業編集センター/編より抜粋



徳島県阿南市椿泊町の港
徳島県阿南市椿泊町
徳島県阿南市椿泊町
徳島県阿南市椿泊町の港
徳島県阿南市椿泊町の街並み

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