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『ロング・ロング・トレイル』全文公開(23) 第五章 走って歩いて、旅をする (4/7)

2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。


※前回の記事『ロング・ロング・トレイル』全文公開(22) 第五章 走って歩いて、旅をする (3/7)はこちら


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悠久なる時を巡るグランドサークル

 アメリカのアリゾナとユタの州境に映画『猿の惑星』のロケ地としても有名な「レイクパウエル」という人造湖がある。この「レイクパウエル」を中心にして半径約230キロをぐるっと円で描くと、円の内部には8つの国立公園、16の国定公園が含まれる。アメリカの人々はその円を「グランドサークル」と名付け、大自然を巡る旅のプランの一つとして捉えている。
 「グランドサークル」を代表する国立公園として有名なのが「グランド・キャニオン」だが、その他にも、いまだ写真でしか見たことのない美しくも雄大な景観を持つその他の地域が、「グランドサークル」には数多く残されていた。
 2月から4週間ほどかけて、この地域を旅する計画を立てたが、ボクの旅には「走る」ということが欠かせない。旅に出る時に下着や靴下などは忘れることがあっても、ランニングシューズを忘れることはない。
 いろいろと調べていくうちにこの「グランドサークル」を旅する日程中に「アーチーズ国立公園」の近くの街、モアブで55キロのトレイルランのレースがあることが分かった。そのレースには必ず出場しよう! そしてそのレース後は、33年ぶりにモニュメントバレーも訪れるのだ。
 2月初旬、まずは空路でラスベガスへと飛んだ。そこでレンタカーを借りて、「グランドサークル」を時計回りに北上する。ラスベガスから約500キロほどに位置するリッチフィールドという小さな街で一泊して、我々はモアブの街に入った。
 モアブの中心地から僅かクルマで10分ほどで、「アーチーズ国立公園」の入り口がある。「アーチーズ国立公園」内にはその名前の示す通り、風化などの浸食によって出来上がったアーチ型をした巨岩が立ち並び、もっとも大きな「ランドスケープ・アーチ」は、その長さは90メートル近くにも及ぶ。
 「レースまでの現地での体力調整」と称して何度もこの「アーチーズ国立公園」を訪れ(因みにアメリカの国立公園は25ドルから30ドルの入場料が必要だが、一度、入場料を支払えば、一週間以内は何度でも入場可)、その奇岩、巨岩の周辺を走り回った。
 モアブの街がもっともにぎやかになるのは夏だ。もちろん「アーチーズ国立公園」「キャニオンランズ国立公園」と、二つの有名な国立公園のすぐ傍に位置していることもあるが、その国立公園の存在を排除しても、モアブ周辺は豊かな自然に溢れている。ラフティング、カヤック、マウンテンバイク、4輪バギーなど、それらのアクティビティを愉しむためのレンタル・ショップなどが軒を連ねているが、2月中旬のこの時期は、それらのショップの半分以上が閉店している。
 今回、我々が出場したトレイルランのレース「モアブ・レッド・ホット35マイル(約55キロ)」は、その二つの国立公園のちょうど中間あたりで開催されたが、「自分は今、どこの惑星を走っているのだろう?」と感じるほど雄大で、日本では決して出会うことのないような景観の中を、一日、走り続けることができる。
 海外でのトレイルランのレースは、2007年に出場したニュージーランドの「エイベルタスマン」、2014年に出場したメキシコの「コッパー・キャニオン・ウルトラ・マラソン(CCUM)」に次いで三度目だったが、二度目のCCUMの苦い経験から(レース中、足が二度も攣った)、レース2、3日前から食事や飲み物に気を遣い、レース中もエイドステーションで十分な栄養補給を行い、日本から持って来た塩分を含んだサプリメントなどを摂取し、今回は愉しく完走することができた。
 もっともそれは栄養補給というフィジカルな面だけではなく、何度も訪れていて自分にとって馴染みのある、アメリカのサウスウエストで開催されたレースという、メンタルな側面でレースを愉しめたのかもしれない。
 30代のころは世界各地で開催されたアドベンチャーレースにも出場したが、やはりアメリカで開催されるレースは、いつも愉しむことはできる。僻地でのレースは、そこの生活環境に慣れるだけでも大変なのだ。
 地図を見るとアメリカの州というのは、直線で単純に区切られているところが多いのだが、「4つの州が一点」で交わっているところは一箇所しかない。サウスウエスト地方の主要部を成すアリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコ。この4つの州が一点で交わる「4コーナーズ」も、今回の旅の目的地の一つである。モアブからモニュメントバレーまで行くのに、この「4コーナーズ」に寄り道をしても、僅か100キロ足らずの寄り道だ。寄らない手はないだろう。
 「4コーナーズ」で、4つの州を1分間で巡った後(ここではそういうことをして盛り上がる観光客が多い)夕暮れの光を浴びてオレンジやピンクといった暖色系にメサ(大地)が染まるころ、我々はモニュメントバレーに到着した。
 モニュメントバレーの存在を、世に広く知らしめたのはジョン・フォード監督だが、その他の映画にもよく登場する。有名なのが『フォレスト・ガンプ』で、ガンプが「走る」ことを止めたのが、モニュメントバレーから北へ約10マイルほど行ったところである。一本にまっすぐに伸びる道の先に、モニュメントバレーのメサが蜃気楼のように浮かび上がり、その場所は日本のクルマのCMなどにもよく使われる。さらにはその場所から10マイルほど行くと、「グースネック」と呼ばれる、サンフアン川の侵食によって生まれた「大地の裂け目」を見ることができる。
 「グランドサークル」の中心地であるレイクパウエル周辺にも、ずっと行きたかった「アンテロープ・キャニオン」や「ホースシューベンド」などの景勝地が存在する。
 「アンテロープ・キャニオン」は、川の侵食によってピンク、パープル、オレンジ、マンダリンと言った温もりのある妖艶な色の自然の彫刻が、そこに挿し込む太陽の光によって、僅かにその色合いを変え、そこを訪れる人々を陶酔の世界へと誘う。これはもう自然が魅せるマジックである。
 そしてグランドキャニオンの侵食がさらに進んだかのような「ブライスキャニオン国立公園」の尖塔群。渓谷の岩が空をも隠してしまうかのような、切り立った断崖絶壁が頭上に覆いかぶさる「ザイオン国立公園」など、いずれにしても、「グランドサークル」の旅は、地球の遙かなる鼓動や息遣いを感じる場所ばかりである。
 アメリカ大陸が海の底にあったころ、何億という長い年月を掛けて幾層もの地質が堆積した。そして約6600万年前に、コロラド高原岩層の隆起が始まり、大陸が海の底から顔を出し、そこを今度は氷河、雨水、川が、歳月を掛けて削り取り、「グランドサークル」の自然を築き上げた。
 例えばザイオン国立公園のもっとも新しいダコタ層(Dakota)は礫岩(れきがん)と砂岩から成る柔らかい砂岩が続き、かつて海底だったこの地域ではたくさんの化石が発掘されている。そして、ザイオンではもっとも古いカイバブ層(Kaibab)は、石灰岩で形成されており、この層はグランドキャニオンのリムと同じく約2億5千万年前の層だ。グランドキャニオンのリムから下りていき、その渓谷のもっとも下に堆積しているのがブライトエンジェル層(Bright Angel)で、これは5億1千万年前に堆積された。
 この気の遠くなるような歳月が、この辺りの自然の雄大さを形作ったのであり、「グランドサークル」の旅は、言い換えれば、何億という歳月を巡る旅でもあるのだ。
 旅は居場所だけを移動するモノではない。
 それは時として、遙かなる時空を移動するモノでもあるのだ。そして、己の人生の時間も行きつ戻りしつつ、旅は続くのである。


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アンテロープ・キャニオンは特に人気の高いスポット


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木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。


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