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【日本全国写真紀行】67 高知県安芸郡東洋町甲浦

取材で訪れた、日本全国津々浦々の心にしみる風景を紹介します。ページの都合上、書籍では使用できなかった写真も掲載。日本の原風景に出会う旅をお楽しみいただけます。




高知県安芸郡東洋町甲浦


珍しい「ぶっちょう造り」の残る、徳島県境の小さな漁師町

 甲浦は高知県の東北端にある漁村で、山を越えると隣は徳島県の宍喰町である。小さな町だが、古くから陸路・海路ともに大阪・近畿方面からの土佐国の表玄関とされてきた。上方から室戸岬に向かうまでは他に良港がなく、避難や寄港をするためになくてはならない港だった。また土佐藩にとっても甲浦は重要な港であった。関ヶ原の戦いの後、土佐藩主となった山内一豊もこの甲浦から入国し、さらに歴代の藩主も参勤交代で大坂へ海路で向かう際、この港から出港した。そのため港には、藩主らが泊まる宿舎や関連施設、浦奉行なども置かれていたという。
 だが現在の甲浦には、そんな繁栄の面影はほとんどない。昔ながらの静かな漁師町の暮らしが残るだけだ。家と家との間に細い路地が幾筋もあるが、これが住民たちの生活道路。老人たちが隣家との間を行き来し、学校帰りの小学生が走り抜ける。同じような路地が入り組んで家々を結ぶ、なつかしい漁村風景が広がっている。
 ここには徳島県の南部でもよく見られる「ぶっちょう造り」(別名「ミセ造り」)がある。一畳ほどの可動式の板戸を建物の軒下に作りつけたもので、畳めば雨戸になり、降ろすと縁台になる。街道集落でもあった甲浦では、この板縁で商品を陳列して商売したり、客を接待したりしていた。昔はどの家にもあったらしいが、次々に家が建て替えられ、あまり見られなくなった。だが町の南東の白浜地区辺りでは、今でもいくつかの古い家屋に残っている。「ぶっちょう」は「仏頂」と書くようだ。仏頂とは仏像の頭の上のことだが、なぜこれを仏頂と呼ぶのかは地元の人もよく知らないらしい。最後に、甲浦の歴史に小さな一ページを刻んだエピソードをひとつ。
 明治の初め、佐賀の乱で敗れた明治維新の功労者の一人・江藤新平(江戸を東京と改めた人としても知られる)は、高知に逃げ込んで同志を募り武装蜂起を呼びかけるが叶わず、高知を脱出して徳島へ入ろうとしたところ、ここ甲浦で捕えられ、佐賀へ送還されて処刑された。当時はまだ人相書きで指名手配していた時代で、他国に逃げた犯人を捕まえるのは容易ではなかったが、江頭の場合はかなりのスピード逮捕だった。その理由は、手配犯として江頭の写真が各地に配られていたためだったらしい。
 だが実は、この写真手配制度こそ、司法制度の整備を進めていた江藤自身が考案したものだった。初代の司法卿を務めていた江藤は、明治5
年、人相書きから写真手配への改革を進め、罪人の写真をあらかじめ撮っておくことを命じたのだ。皮肉にも自分自身がその被適用者第一号になろうとは、予想だにしなかっただろう。


※『ふるさと再発見の旅 四国』産業編集センター/編 より抜粋






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