【日本全国写真紀行】46 長崎県長崎市茂木
長崎県長崎市茂木
通称「長崎の奥座敷」、
美味い魚と「びわ」が自慢ののどかな港町
「茂木」という地名は、古くは「裳着」と記されていた。その昔、神功皇后が三韓征伐の際、この浦に船を入れ、上陸して裳(衣の下袴)を着けたことから「裳着」になったと言い伝えられる。そんなことから地名が? と驚くが、昔の地名の名付け方は案外そんなものだったりする。この小さな浦に皇后が立ち寄って着替えをすることなど、そうそうあるものではない。その名前が今も町の象徴である「裳着神社」に残っている。
茂木は長崎市内にある、海と山に囲まれた小さな港町。車を利用すると、「ながさき出島道路(オランダ坂トンネル)」の開通により、長崎駅からわずか十五分で着く。昔から豊かな漁場を持つ漁業の盛んな町。漁港に近い通りは、古くから「長崎の奥座敷」ともいわれ、活魚料理の老舗料亭が建ち並ぶ。この辺りは古き良き時代の面影が偲ばれるノスタルジックな町並みだ。
また、キリシタン大名・大村純忠によって長崎六町と共にイエズス会に寄進され、教会領となったことから、村の全ての住民がキリシタンだったという特異な一面も持つ。茂木の町は、海上交通の要所だった茂木港を中心に、南北に広がっている。前に天草の島々、左手に雲仙普賢岳を臨む町並みは、石蔵や重厚な鎧戸のある屋敷が今も残り、のどかでしっとりとした雰囲気がある。
そしてもう一つ、茂木といえば忘れてならないのが「びわ」である。茂木のことを知らない人でも「茂木のびわ」は知っているといわれるほど、茂木のびわは全国的に有名だ。日本におけるびわの歴史はけっこう古く、奈良時代にはすでに古文書に記載があり、室町時代には大阪、和歌山、千葉などで栽培されていたというが、茂木でびわ栽培が始まったのは江戸時代になってからである。
天保年間頃に出島の代官屋敷の下働きをしていた茂木村の三浦シヲという女性が、中国領事から長崎の代官に贈られたびわの種子をもらい受け、自宅の庭に撒いて育てたのが茂木びわの始まりだといわれている。シヲの育てたびわは実が大きく見栄えがし、味も良かったことから、茂木の農民たちの間でびわ栽培が積極的に行われるようになった。その後、びわ農家は長崎全体に広がり、長崎県は日本一のびわの産地となった。現在も全国の生産量の30%以上を占めている。果実店やスーパーにびわが並び始めると、初夏の訪れを感じるとよくいわれるとおり、茂木びわの旬は5〜6月頃。大きくて肉厚、味の濃い美味しい茂木びわを、初夏にぜひご賞味あれ。
※『ふるさと再発見の旅 九州1』産業編集センター/編 より抜粋
他の写真はこちらでご覧いただけます。
長崎県長崎市茂木はじめ、長崎、福岡、佐賀、大分に残る懐かしい風景が多数掲載されている『ふるさと再発見の旅 九州1』が2023年4月15日に発売となりました。ご購入はお近くの書店、もしくはこちらから↓