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ざっくりモンゴル! 草原の秘密|鈴木裕子 ボートック【9】

「あなたモンゴルでも行く?」この一言で、給食のおばちゃんだった鈴木裕子は、在モンゴル日本国大使館の公邸料理人になった――。モンゴルは驚きの連続。価値観がボロボロと崩れ落ち、そして再構築されていくのがなぜか心地良い。
初の著書『まんぷくモンゴル! 公邸料理人、大草原で肉を食う』でモンゴルの知られざる食と暮らしを紹介し、生きることと食べることの意味について考えさせてくれた著者が、今度は食に留まらない様々な場面で、モンゴルでの気づき、日本との違いをユーモアたっぷりに綴ります。


山羊はひとりが大嫌い


「ベェー」

耳をすませば風の音に紛れてまた「ベェー」と、聞こえるような聞こえないような羊か山羊の声。気のせいだろうか?
わたしは友人のやっちゃん夫妻とウランバートルからほど近いノマドホースキャンプに遊びに来ている。わたしたちがいるのは敷地内の柵のそばで、外には水を飲んでいる馬の群れが見える。馬しかいないのに変だな……と思っていたら、馬たちは移動を始め、それを待っていたかのように遠くから小さな仔山羊がトコトコ歩いてきた。
ああ、空耳じゃなかったんだ。それにしてもこっちに来るんだ。柵があるから平気なの? と思って見ていたら、なんと柵の隙間から頭を通し、敷地に侵入。迷子になったけど、山羊・羊がいなかったから人間でもいいやってこと⁉︎  そのままにはしておけないから、みんなでこのオレンジの布を角に巻いた子を捕まえた。
「去年生まれの雄だね」「どこの? この布を付けたの見たことある?」「ウチの柵から出したらあっちのゲルの餓えた犬達(番犬)に食われるな……」と話し合い、持ち主が探しに来るまで保護することになった。

仔山羊は安心したのか、柵の外にはないさまざまな野草を夢中になって食べていた。と思ったら、みんながゲルに入って人影がなくなったと気づくとベェーベェー、また鳴く。それが開け放ったゲルのドアを覗きこみ、私たちを見つけた途端ピタリと鳴き止んだ。群れ……つまり誰かといるのが大切なんだ。
そんな仔山羊はやっちゃんが丘の上のオボー(道祖神的な役割の、石を積み上げた構造物)まで散歩に出ると、また柵をすり抜けてついて行ったそうだ。そこで探しに来ていた飼い主のおばちゃんと鉢合わせして、無事に引き取られていったという。

昨年も迷子になった山羊に会った。あれは大人の山羊だったけれど、ヒギーヒギーと悲鳴に近い声で叫んで走り回り、群れを探していた。川を挟んだ反対側にわたしを見つけると、駆け寄ってきて対岸からひとしきり叫んでいたけれど、どうしてやることもできなくてただ見つめていたら、こりゃ役に立たないとでも言うように走り去って行った。
仲間といることが生きることそのもの。見渡す限りの草原で、ただ食べるだけが生きることではないのだと、迷子の山羊たちは訴えてかけてくるのだった。

群れってなんだろう? 家畜は柵もない広大な草原でも、いつもひとかたまりになって草を食べている。夏といったらどこもかしこも草だらけ。食べ放題のバイキングみたいなものなのに、彼らは団体行動を崩さない。人間も食に不足がなく、どこにでも行ける自由があったとして、彼らと同じように集団で生きるんだろうか? 勤め人時代のわたしは、通勤ラッシュに押しつぶされ、たまには一人になりたいと他人を鬱陶しく思ったものだけれど。

もちろん家畜も単独行動はする。モンゴルでいえば馬の帰巣本能の高さは有名で、現実でもよく耳にする。家畜たちは血が濃くなるのを防ぐために、売買や交換をされるのが常だ。だが、馬は時に故郷を目指して1,000kmもの距離の見知らぬ草原を渡る。大声で鳴けば届くという距離でもなく、匂いを辿れる訳もなく……本能と願いで故郷を見つけるのだ。そこまでの強い願いというものをわたしは持ってはいない。それが生きものとして正しいかを知る由はない。



鈴木裕子
1968年東京都生まれ。保育園の調理師から在モンゴル日本国大使館公邸料理人に転身。離任後は大好きなモンゴルに健康としあわせを贈りたいと『Japanese chef YUKO’s vegetable and cookbook for MONGOLIANS』上下2巻をモンゴルで出版。2024年にモンゴルで会社を設立、日本とモンゴルを往復する日々。国家資格の専門調理師全六部門を取得した食いしん坊。


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