『ロング・ロング・トレイル』全文公開(10) 第三章 アドベンチャー・ライフ (2/5)
2018年10月に出版した、木村東吉さんの著書『ロング・ロング・トレイル』を無料で全文公開します。
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第三章 アドベンチャー・ライフ
なにが本当の冒険なのか? 〜ヨセミテ・ビレッジ
先日、Netflixで『Valley Uprising』というドキュメンタリー映画を観た。
今ではクライマーたちの「聖地」としてあまりに有名なヨセミテで、1970年代、アウトドア・ウエアの有名メーカーである「ロイヤルロビンズ」の創業者である、その名もロイヤルロビンズ、「パタゴニア」の創業者であるイボン・シュイナードなど、アメリカに於いて「エイドクライミング」(なるべく岩に対して大きなインパクトを与えないで登るスタイル)を提唱したクライマーたちが、クライミングの腕を競い合っていた。それを主軸に当時のカウンターカルチャーを織り交ぜ、とても興味深いドキュメンタリー映画となっていた。
1993年、ボクはマガジンハウスの雑誌『ポパイ』のアウトドア特集号で、このヨセミテをリポートした。
サンフランシスコから約4時間、LAから6時間ほどの距離にありながら、そこには素晴らしい自然が広がっている。
特にクライマーたちあこがれのエルキャピタン、そのエルキャピタンと双璧を成すように聳え立つハーフドーム。その双璧の間にヨセミテ・ビレッジが広がり、多くのキャンパー、観光客でにぎわっている。
ヨセミテ・ビレッジの中には二つの大きなオートキャンプ場があり、その他にはクライマーたちが長期(今では1週間がマックスとされている)で滞在するバックパッカー・ゾーン、そして常設テントと呼ぶべきコテージエリアが2箇所ある。
そしてアメリカ人が一度は泊まってみたいとあこがれているホテルで、1991年にスティーブ・ジョブスが結婚パーティーを行ったことで有名なホテル「アワニー」。
我々の取材目的は、本場アメリカのキャンパーたちが、どんな最新の道具を使い、どのようなアウトドア・クッキングを愉しみ、そしてどのようなアクティビティを愉しんでいるか?それらを紹介しようという内容であった。
が、肩透かしというのか、アメリカのキャンパーたちは、意外にもとてもシンプルなアウトドア・ライフを過ごしていた。
「あー、このツーバーナー?そうだねえ、もう25年ほど使っているかな~いやいや、新品を買ったんじゃなくて、オヤジのお古だよ」なんてキャンパーが多い。
それともっとも強く感じたのが、アメリカ人は「遊び」に無理しない、ということ。
我々日本人の感覚だと、アメリカ人なら誰しも大きなキャンピングカーを所有しているのでは?なんて思いがちだが、大きなキャンピングカーを所有しているのは、ほぼ全員といっていいほどお年寄りで、若い人たちはバックパッカー的な小さなテントでキャンプしている人が多い。実はこの取材の前、90年に長男の1歳の誕生に2週間ほど、レイクタホでキャンプをしたことがあるが、その時にも、我々が日本から持参した大型のロッジ型のテントを見て、多くのキャンパーが珍しそうに興味を持っていた。
ヨセミテのキャンパーの中には、テントさえ持たずに、日本の蚊帳のようなものの中に、寝袋だけを並べている人さえいる。
そしてアウトドア・クッキングはというと……。
夕食の時間になっても、ビールを飲みながらトランプをしている若者4人組(男女)に声を掛けてみた。
「あー……今日の夕食?トランプが終われば、あそこのピッツエリアでピザかハンバーガーを買って食べるよ」なんて答える。
かと思えば、「ホテル・アワニー」のメインダイニングは、山の中のホテルと思えないほど洗練されており、そこで提供される料理は、アジアのテイストを取り入れたフレンチ・フュージョンである。
つまり、アメリカではキャンパーに限らず「遊び」に無理はせず、日本人のように画一的でもなく、自分たちのやりたいスタイルで滞在を満喫しているのだ。
アメリカのキャンピングカーを代表するような存在である「エアストリーム」(銀色のジュラルミンでできた、流線型のキャンピングカー)で、キャンプを愉しんでいる一組の老夫婦に声を掛けてみた。
「このエアストリーム?そうだね、もう15年くらい乗っているかな……一度、すごい強風に煽られてねえ……こいつがひっくり返った時にはびっくりしたよなあ」と言って、エアストリームのオーナーの老人は横に座る奥さんの手を握って微笑んだ︒
「ええ、そうそう。でもこのエアストリームを修理に出したのは、あの時、一回だけだわね」
モノを大切にするんだな……と感心する。
その奥さんの手元を見ると、小さな花束が握りしめられていた。
「その花はどこかで摘んだのですか?」と訊ねると、「この花?いえいえ、自宅の庭に咲いていたのを摘んで持って来たの。今夜の夕食に飾ろうと思って」
テーブルにはキャンドルが立てられている。
「ランタンがあるのに、どうしてキャンドルを?」と質問すると次のような答えが返って来た。
「ランタンは食事の時間だけ。食後はランタンを消してキャンドルを灯すの。だってランタンは明るすぎて、星空があまり見えないじゃない」
要するに、道具、そのものではないのだ。その道具をいかに使うか。道具たちとどのように付き合っていくのか。それがもっとも大切なのである。
ヨセミテで取材を続けていたら、LAで取材をしている別班から、「パタゴニアのイボン・シュイナード氏と対談のアポが取れたので、すぐにLAに戻ってこい「と連絡が入った。
ボクはすぐにLAに戻って、パタゴニアの本社があるベンチュラに向かった。
ちょっと緊張気味にイボンに会うと、彼はジーンズにゴム草履という、とてもカジュアルなスタイルで我々を出迎えた。
対談が始まって間もなく、ボクはその前年に出場した「レイドゴロワーズ」の話を、少しだけ、自慢げにイボンに告げると、驚いたことにただ一言「bullshit!」と言った。
「bullshit」とは「馬鹿らしい」とか「デタラメ」という意味である。
いったい「レイドゴロワーズ」のなにが「bullshit」なのか訊ねた。
「冒険とは、何月、何日にやりますから、どこそこに来て下さい、と言ってやるものではない」
イボンは真剣な眼差しで続ける。
「自分の体力、スキル、経験値。それらがすべて整った時に、いつでも受け入れてくれるのが冒険だ。それに誰か、主催者が用意するレスキューに裏打ちされたような冒険は、ホントの冒険とは呼べない」
「私は道具もなるべく排除したい。岩にハーケンを打つのはもってのほかだし、滑り止めのチョークさえ嫌いだ」
なるほど。1970年代に彼らが提唱した「エイドクライミング」の考えは、20年経った今でも健在という訳だ。
「ではあなたにとって、なにがホントの冒険といえるのでしょう?」とボク。
「サーフィンはスゴイ。たった一枚の板で、荒れ狂う波に立ち向かうのはスゴイことだ」
イボンが波乗り好きなことはよく知っている。
「ヨットも素晴らしい。風だけの力を利用して、大洋を横断することは、ホントに素晴らしいことだ」
さらに続ける。
「ヨセミテのエルキャピタンに登ったことがあるか?」
ボクがない、と答えると、当然だな、という表情を浮かべて続ける。
「ヨセミテではエルキャピタンに登るツアーがある。ガイドが付いてくれて、道具も揃えてくれて、約3000ドル払えば、頂上に立たせてくれるそうだ」
そのツアーのことは、昨日まで居たヨセミテで聞いていた。
「例えば世界一高いエベレストに登るのでさえ、ツアーがある。酷いツアー参加者は、自分の寝袋さえ畳まないと聞いたが、エルキャピタンにしてもエベレストにしても、そんなツアーに参加するのと、ヘリコプターで頂上に立つのと、私はなんら違いがないように思える」
そう言って、ボクをもう一度、真剣に見つめ直した。
「もしも君が、そんなツアーを利用せず、自分だけの力でエベレストやエルキャピタンの頂きに立てば、まったく今の君と違う人物を私は見ることになるし、ツアーを使ってそれらの山の頂きに立ったところで、君は今とまったく変らないと私は思う」
ちょっと……待ってくれ。これまでどういうアドベンチャーをしたのか?と聞くから、「レイドゴロワーズ」のことを言ったまでであって、なんでいきなりエベレストやエルキャピタンなんだ?
といささか、うろたえるが、イボンの言わんとしていることはもっともである。よく理解できる。それにヨセミテに滞在しているキャンパーたちを見ても、イボンの主張を鑑みても、道具と自分の関係性に共通点を見出すことはできる。
それに前年に「レイドゴロワーズ」に出場した後に、自分が何のために、誰のためにレースを続けているのか、分からなくなったが、イボンとの対談で、少しは自分の疑問も解消された気がする。
この対談の後、ボクはしばらくの間、アドベンチャーレースから距離を置き、自分のホントにやりたいことだけを見つめて、その2年後には河口湖の畔へ移住した。そして湖を漕ぎ、山を駆け回るという日常を、ココロから愉しんだ。レースに出場するためではなく、自分の気持ちの赴くままに、アウトドアのフィールドを駆け回った。
2006年の秋、ボクは再びヨセミテに居た。友人と3人で、常設テントの一つである「カレー・コテージ」に滞在し、ヨセミテ・ビレッジのもっと高所に位置するトゥオルム・メドウでトレイルランニングを愉しんだり、ビレッジ内をMTBで駆け回った︒
そしてフリークライミングではないが、地元のハイカーと競争しつつ、ハーフドームの頂きにも立った。
通常、ビレッジから頂上まで5時間から6時間の所要時間のところ、僅か2時間半でその頂きに立った。地元のハイカーたちも「オマエたち速かったなあ!」と感心した。
もちろん今でもエルキャピタンにフリークライミングで登るスキルもないし、エベレストの頂きに立つことも不可能だとは思う。それでも日頃から体力を培い、さまざまな自然環境の中で経験値を積み、その経験からあらゆるスキルを身に着けたと思う。道具に振り回されることなく、それらと付き合い、画一的ではない、自分自身の身の丈にあった「遊び」も満喫していると思う。
雑誌の取材で訪れた93年のヨセミテとLAでの体験は、ボクのアウトドア・ ライフに大いなる刺激を与えたのであった。
木村東吉(きむら・とうきち)
1958年11月16日生まれ。大阪府出身。ファッションモデル、エッセイスト。10代の頃からモデル活動をはじめ、上京後は『ポパイ』『メンズクラブ』の表紙を飾るなど活躍。30代よりアウトドアに活動の場を広げ、世界各地でアドベンチャーレースに参加。その経験を活かし、各関連企業のアドバイザーを務め、関連書籍も多数刊行。オートキャンプブームの火付け役となる。
「走る・歩く・旅する」ことをライフワークとしている。現在は河口湖を拠点に執筆・取材、キャンプ・トレッキング・カヤックの指導、講演を行っているほか、「5LAKES&MT」ブランドを展開しアウトドア関連の商品開発を手掛けるなど、幅広く活動している。
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