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わたしは、文系院卒です。

日常で自ら、わたしが院卒であるという機会はほぼない。

でも、例えば就職の面接のとき。
誰かと入社年次の話になったとき。
生年月日の話になったときに…

「あれ?大学は◯年に卒業しているんだよね?」
「えーと、わたし、院卒です」

大体の場合、「なんで?」と聞かれる。
「なんでわざわざ進学したのか」
「なんでそんなに勉強したかったの?」
「なんで大学を卒業してすぐに就職しなかったのか」

わかってはいるけれど、理系と比べて文系の大学院に対する「世間からの謎(時には風当たり)」を強く感じることもある。もちろん、「そうなんだー」で終わることも往々にしてある。

文系の大学院の中にも、何かの資格取得につながる研究科もあるが、わたしが在籍していた研究科は決して資格と直結するものではない。
だからこそ、なおさら「なんで」なのだろう。

実は、わたしも「なんでだろう」と言ってしまいそうになるのだ。面接では絶対に言えないけれど。

大学院へ進学することをはじめから予定していたかというと決してそうではない。
少なくともわたしの両親は、就活で損になるのではないかと懸念し、「文系なら大学院へは行かないほうがいい」と言っていた。

その人の状況や企業、時代によっても異なるから一概には言えないけれど、少なくともわたしが大学院進学を考えたころ、大学の先生が授業で「今はそこまで景気がいい訳ではないから、就活と結びつかない大学院へ行くことは勧めない。反対する。」ときっぱり言った。※全体に向けての言葉。

実は、わたしは少しだけ就活もした。
と言っても、当時憧れていた企業が一社あって、そこだけを狙った。今思うとずいぶん無謀なことをしたものである。
その企業で勤務されている有名な方の記事を読んで(企業理念や仕事内容に)一目惚れしたのだった。
営利を主たる目的としていないこと、あるものをそっと支えることができること、そしてやってみたい業務があった。

事実上の最終面接までは行った。
面接の出来に後悔はない。
緊張して上手くは話せかった、とかそういうことではない。あの頃のわたしが出せるものを全て出した。

一通の不合格メールが届いた。
わたしは「落ちた」のである。
「面接官と相性が」「わたしをわかってもらえなかった」とかそういう心の逃げ道をつくることができないほど、本気でぶつかって本気で落とされた。

今思えば、落ちて当然であった。
自分のやりたいことばかりで、憧ればかりだった。ひと昔前の少女漫画みたいに、サッカー部のエースに憧れていざバレンタインデーの日。「わたしずっと見てたんです、あなたが試合でこんなふうにシュートを決めたところ、朝から毎日練習をしているところ、尊敬していて憧れていました。大好きです。」

「ありがとう」は言ってもらえるかもしれない。チョコレートは受け取ってもらえるかも。
でも、「あなた」にとって「わたし」はどういう「わたし」であるのか、隣にいられるためにせめて何を磨けばいいのか、どういうふうにすれば好きになってもらえるのか、そういうことを考えられていなかった。

「好きです」
「ありがとう。気持ちは嬉しいよ、でもごめんね」
わたしと当時の第一志望との面接はこんなふうだった。冷静に考えれば…もし今わたしがあの面接に臨むなら、きっともっと伝え方はある。
でも、あれがあのときのわたしの精一杯で、今思えば会ったこともないあの記事の人と会社に「憧れのような恋」をしていただけだった。(※念のため。恋愛感情ではありません)

第一志望に落ちたとしても、それを引きずっていては仕方がない。多くの就活生は他にもエントリーをしつづけるだろう。

わたしはそこでふと立ち止まったのだ。
わたしはこれでいいのかと。
そもそも、わたしは何が好きで何をやりたいのか。

「ありがとう、でもごめんね。
実はあんまり、君のこと知らないんだよ…」

漫画の告白シーンならこんなふうだろうか。

「わたしは、」

その次の言葉が見つからなかった。
わたしは本当はどういう人になりたいのだろう。
「わたしは、わたしのこの経験を活かしていきたい」と堂々というために何ができるのだろう。

中高は運動部、大学でもいくつかのサークルに入った。ゼミに関する研究をしているインカレに所属した。アルバイトもしていた。

目立つタイプではなく、「モブキャラです」とネタにしても嫌味にならないくらいモブだけれど、
普通に楽しい大学生活を送っていた。

でも、わたしには何かが足りなかった。

就活を続けるのか、それとも。

進路に迷っていた時、先に大学院進学を決めた人が「あやのは、◯◯研究科が向いてるんじゃない?」と、わざわざ研究科のパンフレットを持ってきてくれた。

パンフレット片手に説明会へ参加して、
わたしの知りたいことをここなら知ることができる、そう思った。

落ちたばかりの第一志望の会社の仕事とつながる授業もあった。
そもそも、その会社への一方的な、一歩引いた憧れではなく、関心のあることを深めて、色々なことに挑戦したい。

研究科の詳細は伏せますが、国際系で他言語が飛び交うような環境でした。

「外国語話せるの?」というのは進学前後に親、友達、親戚、その他多くの人から聞かれた。

たとえ話せなくても同じ人間。
日本人同士が日本語を使っていたって、良くも悪くもたまに言葉が通じないことがあるよ。

そんな謎のポジティブ思考でわたしは進学を決めてしまった。

……長い思い出話をすみません。


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