夢のなかの政治家の夢/福永信
ほほう、宇宙が夢をみるなど誰もみたことがないわい。(津田老人)
お言葉をかえして失礼でございますが、わたしども夢をみましても、その夢をまたほかの誰もがみたことがございませぬ。(黒服の男)
埴谷雄高『死霊』九章より
覚え書
自分の愛する政治家たちの夢を知りたいという思いに幾度となく駆られてきた。残念なことに私の愛する政治家たちは今まで一度も私たちに腹を割って話してくれたことがない。私はとてもそれをさびしく思っていた。夜、その夢の世界でなら、存分に自由な行動をしてくれているはずだ。私は私の愛する政治家たちの本当の姿を見たい。軍事的な想像力が世界のトレンドとなったこの世の中で、そんな気持ちを抑えきれなくなった。私はアントニオ・タブッキの『夢のなかの夢』(和田忠彦訳)で彼が開発した装置を使用することによって愛する政治家たちの夢を見ることに成功した。
S・F
二〇二三年一〇月七日の晩、内閣総理大臣岸田文雄は夢を見ていた。夢の中で彼はニューヨークのパブリックスクールの屋上にいた。肌を焼きながら、洗濯バサミのことを考えていた。プラスチックのやつだ。もう何年触ってないのだろうと彼は思った。一〇年か、二〇年か。あるいはもっとかな。いや、僕はそんなに遡ることができたっけ?
立ち上がって、背伸びして遠くを見れば、きっと、洗濯を干しているのが見えるにちがいない。彼はビーチチェアに横になったまま、そう思った。
でも、そんなことはしなかった。立ち上がったりしなかった。寝そべったままだった。だって洗濯物を干しているところなんて、見ても意味がないからだ。それに、と彼は思った。それに風に飛ばされた方がいいに決まってる。クイーンズじゅうの全部の洗濯物が空を舞って、さっきそこに脱ぎ捨てた服も一緒に風に飛ばされて、どこかへ行っちゃったらどんなに愉快だろう。
彼は、ここでもう六〇年くらいこうやって寝そべっている気分だ。実際にはもちろんそんなはずはなかった。そんなに時間が経ったら大人になってしまうからだ。いやおじいさんかな。二年か三年したら家族で、お父さんとお母さん、弟と妹たちと、みんなで帰国するはずさ。
クラスメイトの声が聞こえた。ビーチチェアを取り囲み、彼を見下ろしているのがなんとなく彼にはわかった。わかったけれど彼はそれを無視した。目をつぶったままだ。サングラスをしているからクラスメイトには目をつぶってるか開けてるのか、わからないだろうけど。
もう怒るなよ、フミオ、彼女も謝ってる、と言った。インド人のクラスメイトだ。頭がいいやつで、背が高かった。
別に謝ってもらう必要はない、彼は思ったが言わなかった。きっと言い返されちゃうからだ。
彼女はフミオに謝るって、教室で待ってるんだよ。別のクラスメイトが言った。こいつは、韓国人だ。優しい性格だ。家がかなりのお金持ちだ。
彼は無視して、口笛を吹いてみた。みんながなんかため息をついたような気がした。彼は海パンを穿いているだけだったが、恥ずかしくなかった。
教師が、おい、フミオ、こんなところにいたのか、心配させるな、そんな感じでとっくにここへ来てもよさそうなものだが、来なかった。きっと、誰か、おそらくクラスメイトの誰かが、教師の気を引いて、ここに来ないようにしてくれているんだろう。彼はそう推察した。実際その通りで、イスラエル人とパレスチナ人が、先生、フミオはこっちですよ、とか、いや、フミオならあっちで見ました、とか、教師の手を引いて連れ回し、屋上に来ないようにしてくれていた。
日が傾くにつれて、一人減り、二人減り、帰って行った。最後まで残って、なあ、フミオ、と話しかけてくれたのは中国人だった。
なあフミオ。白人の女の子が、アジア人と手を繋がなかったからって、それがなんだって言うんだ。誰だってあることさ。彼女だって、フミオが感じたのと同じような気持ちになったことがあるんだよ。場所が変われば誰だってそうなるのさ。なあ、わかるだろ。
でも彼は黙っていた。黙ってサンオイルを、もう日が暮れかかっているのに、パシャパシャかけた。
それからかなりの時間彼はじっとしていた。何も言わなかった。何も聞こえてこなかった。みんな帰ったな、と彼は思った。日が暮れているのがわかった。気温がすっかり下がっていたから。
夜にこんな格好をしているなんてバカみたいだ、と彼は思ったがなんだか楽しかった。一人でクスクス笑うと、同じように笑う声がした。その笑い声の数は、クラスの人数と同じだった。
アメリカ人のクラスメイトが彼の手を握り、ビーチチェアから立たせてくれた。白人の女の子だ。彼はくしゃみをした。ウクライナ人のクラスメイトが、フミオ、明日登校しろよな、休むなよな、堂々と、顔を上げてくるんだぞ、絶対だぞ、と言った。その意味がよくわからなかったが、ロシア人のクラスメイトが、日焼けだよ日焼け、お前いつまでサングラスしてるんだよ、と言って笑った。
二〇二三年一〇月七日の晩、内閣官房長官松野博一は夢を見た。夢の中で彼は刑務所に入っていた。やくざ者で、敵対する組長の暗殺を計画し、重傷を負わせた。サンフランシスコ平和条約発効による恩赦のため、彼は釈放されることになった。
だが、彼はそれを断った。
わしはここが気に入ったんじゃけえ、と笑った。数人がかりで無理に出そうとすると、しょんべん飲ませてやろうかあ!と暴れた。
彼が恩赦を断ったということはすぐさまやくざ者界隈に知れ渡り、同じ組の若者が、使いとして、ある夜更け、彼が収監されている牢屋の前に現れた。刑務所の職員は見て見ぬ振りをした。心付けをもらってもいるようだった。いざとなったら力ずくで、その際には手伝うことが申し合わせてあるのだろう。アニキ迎えに来ました、と若者は、鍵を開けて、牢屋の奥に向かって言った。
わしゃあ、出んのじゃ、と彼はぶっきらぼうに言った。
そんなこと言わずに、頼みます、と若者は、ロウソク一本が照らし、むしろ闇が一層濃くなった牢屋の前で、誰が見るわけでもないのに、正座をし、深く頭を下げた。
わしは材木屋の息子じゃけぇな、彼は言った。
若者は意味がわからないらしく、出てください、頼みます、と同じことを繰り返した。
彼は苦笑しながら、曲がったことが大嫌いなんよ、と言った。不平等なことは、わしゃキライなんじゃ。
でも俺は、と若者は言った。でも俺は、アニキを連れて帰らなければ帰れません。
そうかい、彼は鼻を鳴らした。じゃあ、わしを納得させてみい。わしが納得したら出てやってもええ。
ほんとですか。
わしの罪がなぜ消えたんか、説明してもらおうやないか。
それは恩赦が出たから……。
恩赦ってなんや。
それは、その……。
平和条約が締結されたら、どんな極悪非道な罪も消えるんかい。人ボコボコにして、そいつの人生めちゃくちゃにして、消えるんかいな、その罪が。おいこら、なあ若い坊ちゃんよ。
でも……。
ロウソクの火が小さくなった。若者の声も消え入りそうだった。彼はちょっと若者のことがかわいそうになった。
そうじゃ、こうしたらええ、と彼は言った。
一緒にわしとここを出たことにして、急に行方をくらました、追いかけたけれども逃げられたと、ハジキで撃ちながら逃げたと、そう報告するんじゃ。
若者は、でも、それは、と、困っていた。だが、しばらくして彼が声をかけても、もう返事はなかった。
彼は、隠し持っている拳銃を、格子窓から漏れる月明かりに照らした。そして、まるでそれがもともと鑑賞するために作られたのだとでもいうように、じっくりと見た。壁に向かって狙いを定めた。
国際人道法も無視しまくって、なんでこう殺しあうのだろうねえ。仁義なき世界じゃのう、と呟いたところで目が覚めた。
二〇二三年一〇月七日の晩、外務大臣上川陽子は東南アジア四カ国訪問を明日に控え夢を見ていた。飛行機の時間に遅れそうになっている夢だった。ぎりぎり間に合って搭乗手続きが終わり安心したのもつかの間、慌てたおかげで大変な代償を払うことになった。飛行機を乗り間違えてしまったのだ。
そんなことがあるのか。
彼女は驚いたが、冷静になるように努めた。周囲には随行する関係者らの姿はなかった。秘書に電話すると、誰にでも間違いはありますと慰められてしまった。で、どこ行きに乗ったんですか、と、まるでバスか電車に乗り間違えたような、そんな感じで聞くので、最近の若者は本当に危機意識が足りない、と不満がこみ上げてきて、あなた、事の重要性わかっているの、と質すと、間違えたのは大臣あなたの方じゃないですか、と逆に言われてしまってそう言われたら返す言葉はなかった。
まあ、そうだな。彼女は言った。
で、どこ行きのに乗られたんですか。
聞いてみる。というか、あなた、迎えに来てよ。
無理です。私、もう離陸してるんです。
あなたが先にブルネイに行ってどうするのよ。
大臣、いいですか、間違えたのはあなたの方なんです。どこ行きのに乗ったんですか。
それがわからないのよ。
じゃあどうして乗れたんですか。なんで座れたんですか。
答えられない質問に対応するのは慣れているはずであったが、ふと、なんであなた、電話できているのと秘書に聞くと突然切れてしまった。
まったく、どうかしている。彼女はため息をついた。
その話を聞いていたのか、通路を挟んで隣の席の女性が、失礼ですが、と話しかけてきた。日本の方ですか。
そうです。
相手は顔をほころばせた。お願いがあるんですが、と女性は言った。戦争が始まったんです。ガザからハマスが、攻撃してきたんです。イスラエルも報復しています。私たちが、パレスチナとイスラエルに生きていてよかったと思えるような、そんな言葉をかけてくれませんか。
いきなりそんなことを聞かれて戸惑ったが、報道があったのは知っていた。外務省の職員からも現時点での情報はもらっていた。外務報道官の談話は外務省のホームページに出していた。そこを見てもらえば日本の姿勢はわかります、と彼女は言った。これが日本の見解ですから。自分が大臣であることは伏せておいた。
女性は、すぐにそれを見たが、がっかりしたような期待はずれのような顔で彼女を見た。読みました、と言った。それから宙を見て、母国語から日本語にするための言葉を探しているような、選んでいるような、そんな横顔を、しばらく見せた。私たちは、と言った。
私たちは、地下室があるのでそこに身を隠すのですが、敵もまた地下室に我々が隠れていることを知っています。長いのか短いのか、わからない時間が流れます。その時間は、とても苦しくて不安です。日本人のあなたに、私たちについて、何か言ってもらえると嬉しいのですが。
私が。
はい、できますか。
あなたに?
そうです。
彼女の横顔を、その女性は通路を挟んで見つめている。何を言えばいいか正直サッパリ浮かばなかった。サイン色紙に何か一筆添える、そんな感じでお茶を濁すしかなかった。ところであなたはイスラエル人かしら、パレスチナの人かしら、と聞くと、女性は、どちらもです、と言った。
どちらも?
もう地下室の扉を閉めないといけません。今、何か言ってください、私たちに。
今?
はい。言ってください。お願いします。私たち、ねらわれているんです。私たちは人を殺しています。私たちは人から殺されているところなんです。私たちが生きていてよかったと思えるそんな言葉を言ってくれますか。
私が。
ええ。
私が、あなたに。
そうです。私たちに、聞かせてください。
でも、と彼女は言った。私には立場というものがあるから、と彼女は思った。録音されていたらどうしようというのがあるからな。
女性は、立ち上がると、地下室への扉を開け、階段を降りていった。
飛行機は離陸した。
飛行機はどこへ行くのかわからないまま飛び立った。
二〇二三年一〇月七日の晩、総務大臣鈴木淳司は夢を見た。夢の中で実家の鉄工所を継いでいた。若社長と呼び止められた。もうそんなトシじゃないよ、と苦笑した。雨が降っていた。これから俺は茶碗を見に行くんだよ。駅裏の瀬戸屋にね、掘り出しものがあると主人から連絡があったんでね。この傘、借りるよと、差し出された傘を受け取ろうとするとその力が思いのほか強かった。古参の、親父の代からの職人で、子供の頃、よく遊んでもらった。来てください、と言う。完成しましたと言うその声が震えている。何が完成したのかサッパリわからなかったが、わかった、と、にこやかに応じ、鉄工所のある敷地へ踵を返し、向かった。地面が少しぬかるみ出していた。水たまりが、ところどころにできていた。堂々としていなければと彼は思う。彼はいつも自分にそう言い聞かせている。昨日は中学生のグループに取り囲まれて小銭を取られた。今日だってきっと待ち伏せしているにちがいない。先生に言いつけてやりたいが報復されたらと思うと気持ちが萎縮してしまう。実際、このまま外出したところで瀬戸屋へたどり着けたかどうか怪しいものだ。店に入ることができたとしても肝心のお金がないのではやきものを見たって張り合いがなかった。中学生グループに財布ごと取られましてね、と主人に正直に申告して、今日のところはツケで買うことにしようか。ねえ若社長、これですと言われて、彼は工場の床を見て驚いた。
これかね。
そうです。
こんなにかね。
そうです。まだ増産します。
すごいね。
完成品はずしりと重かった。一人では倒れてしまうくらいだ。これはいいね。この手触り。色もいい。そう言ったが、本当は皿や壺、茶碗を触っている方が好きだ。
肩にこう、載せてください。膝をついて、そうです、そうです。重たいでしょうが、腹に力を入れて、踏ん張ってください。
社長案外絵になりますねえ。
周囲から笑いが起こる。彼らを食わしていかないといけない。それが自分の使命である。ものづくりの大切さを見て育ってきたが、本当はこんなものを作りたくはない。
そう言いながら引き金に添えた指に力を込める。衝撃で体がよろけ、後ろで控えていた従業員が支えた。彼らだけじゃない。彼らを養うだけではない。日本を活気付けていく。そういう使命が自分にある。だが、と彼は思う。日本も変わったな。いや、自分がもっとも変わったのかも。そう思ったところで目が覚めた。
二〇二三年一〇月七日の晩、法務大臣小泉龍司は夢を見た。快晴で、日差しに目を細めた。いい天気ですね、と口にすると、近くにいた女性が子供をあやしながらちらっと彼を見た。元気がないな、と彼は思った。こんな爽やかな昼下がりなのに、と彼は思った。
配給の時間に間に合わなかったが、彼は気にしなかった。
水をわけてもらえませんか、とさっきの、子供をあやしていた女性に夕方、声をかけられた。いいですよ、お安い御用だと彼はテントの奥からペットボトルを持ってきた。ありがとう、助かります、と彼女は言った。
もっとあったはずなんだが、と彼は腰をさすりながら言った。テント生活にはもう慣れたが、腰をかがめることが多く、この年齢にはなかなかつらい。もしかしたらもう一本あるかもしれないんだが、と彼は言った。
いいんです。ありがとう。
盗まれたのかもしれないな。昼寝してたもんだから。
本当にいいんですよ、もうこれをいただいたので十分です、と彼女は言った。
でも、お子さんもいるし、それだけではたらんでしょう。
あなたはいらないんですか。
水を飲まなくても、というふうに、身振りをまじえて彼女は言った。日本語があまりしゃべれないようだった。
ああ、僕は平気なんですよ。彼は笑った。心配ご無用ってね。
彼は腹も減らず、喉も渇かなかった。
ネットで情報を仕入れては自分らの置かれた状況について話し合う、そんな場所が、テントがひしめきあう一帯に、エアポケットのようにあった。粗末なベンチがあるだけ、屋根もない談話室というわけだが、誰もが参加できる雰囲気が好きだった。彼は地面に座り話を聞いた。
キャラメルという名の猫が近寄ってきたので彼はポケットをまさぐった。小分けにされたキャットフードが出てきた。キャットフードを手に入れた覚えはなかったが出てきたのだからよかった。キャラメルは控えめで、いつもシムシムやブラウニー、ライザに餌を取られてしまう。ほら、今のうちだよ、と言って袋を破った。
何名か、握手をかわして、それぞれ思い思いの場所に腰を下ろした。今日はトイレなどの衛生状況について話し合われた。感染症が発生する危険性があるのは彼も懸念していた。彼自身は用を足すことがなく、トイレを利用しないが、それでもみんなの健康が心配だ。
上空で、ドンドンと大きな音がした。
青空で、雲ひとつなかった。
風が吹き、砂を巻き上げて、洗濯物をはためかせた。遠くでどうやら風に飛ばされてしまったようだ。子供の歓声が聞こえた。それに反応するように、また大きな音。
こんな時間に花火か、と彼は思った。お祭りの始まる合図かなと彼は思って立ち上がった。音はだんだん大きく、近づいてくるようだった。
二〇二三年一〇月七日の朝、ASEANの会合を終えマレーシアから成田に戻ってすぐ茨城県のスギの伐採作業を視察している総理に同行してさすがにヘトヘトだった農林水産大臣宮下一郎はその晩夢を見た。黒のタキシードをバシッと決めて、正装した姿が鏡に映っていた。出番です、と楽屋の扉が少し開き、彼に告げた。ああ、と彼は言った。
世界的なマジックフェスティバル。これほど大きな規模の大会に参加したのは初めてだった。
この日のために彼は大きなステージ、たくさんの観客が楽しむのにふさわしいマジックを披露することにしていた。彼はいつになく緊張していた。それは楽しませることが自分に果たしてできるのか、その緊張だった。マジックは、人を楽しませてこそだからだ。海外のお客さんを笑顔にできるだろうか。
彼は参加型のマジックを準備していた。市民にステージに上がってもらい、縦長の箱の中に入るよう促した。その箱の中から消えるという趣向だ。一人は大柄な男性だった。ちょっと窮屈そうに入り、扉を閉める。扉を開けると男性は消えている。
マジックは成功した。
人々は喝采した。
緊張がほどけていくのが自分でもわかった。さあ、次の人はいませんか、と、彼は元気よく語りかけた。
小さな女の子がステージに上がってきた。
その女の子も消えた。
会場はどよめきの後、数秒してからの拍手喝采。とてもいい感じだが、彼は首を傾げた。
本当なら、女の子が消えて、そこにさっきの男性が代わりに出てくるはずだからだ。
だが、消えたまま、登場することはなかった。
次の老人も消えた。
だが、女の子は出てこない。さっきの男性も消えたままだ。何人やっても、消えるのは成功するのだが、再び現れることがなかった。
消えたままなのだ。
会場がざわざわしてきた。
緊張して、声が震えてくるのがわかった。
どなたか、ステージに、と彼は言うが、誰もステージに上がらなかった。
彼は自分でその箱に入ってみた。
二〇二三年一〇月七日の晩、防衛大臣木原稔は夢を見た。彼は戦車に乗っていた。式典で乗り込んだのだが、敬礼をした途端、動き出した。
おい、動いてるぞ。
そう注意したが、早く中へ入ってください、と逆に命じられた。ハッチを閉じて、と怒鳴られた。
戦車は公道に出て、一般道を走り出した。
こんなことが許されるのか、と彼は言った。内部は狭く、彼の入るスペースはほとんどなかった。振動で揺れるたびに、姿勢が変わった。頭を打たないように両腕で守った。こんなことが許されるはずがなかった。彼の前に陣取る装填手を見上げた。とんでもないことをしてくれたな。
大臣、すいません、と装填手は頭を下げた。まだ少年のようなあどけない声の感じが残っていたが、顔は影で埋まっていて不気味に思えた。車長席の隊員も砲手席の隊員も、若く、非常に冷静だった。中東へ向かいますという。彼はお茶を吹きこぼした。知らぬ間に茶を飲んでいた。茶柱が立っている。
モニターには、後方の戦車の姿が見えた。隊列を組んで進んでいるのがわかる。
百歩譲って出動を許すとして、と彼は言った。戦車で行くの。まさか。ありえない。そんなのありえないだろ。
行くというか、と砲手席の隊員は振り向いた。彼を見て笑った。あっちから来るんですよ。そして撃つんです。打ち負かすんですよ。
ぬしゃそんなことしたら死ぬばいた、と彼は言った。死んだら痛かたい。相手も死んでしまうよ。かわいそうだろうが。
そうですね。
死んでもいいんです。
なんばいいよっとねえと彼は呻いた。死んだら駄目だよ。君はまだ若いじゃないか。君らはまだ若いでしょうが。相手も若いだろうし。相手の親も若い可能性がある。
いいんです。戦車の先にある操縦席から元気な声が聞こえた。いいんです、僕らは。
だって、と装填手の少年が言った。祖国日本を愛してますから。そう教わりましたから。教育基本法があなたの考えのように変わってそれを学び僕らは育ったんですからね。ありがとうございます。
制限する付属的文言は盛り込まず、祖国日本を愛する心を育むこと。
おかげで祖国日本を愛する心を育みました。
愛してみせますよ、国家というものを。
ありがとうございます。ありがとうございました。
のさん、彼は言った。このけたごろが、と彼は言った。どうしようもないばかたれくさ、彼は言った。口の中がカラカラだった。茶柱の立ったお茶を飲み干した。
二〇二三年一〇月七日の晩、内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画)加藤鮎子は夢を見た。踊りにくい場所だな、と彼女は思った。地面がデコボコしている。スニーカーの靴底に砕けたコンクリートや石が当たる。でも、むしろ、この方がいいかもしれない。いつもとは異なる体の動きが発見できるから。それに、と彼女は思った。音楽が鳴っていれば体が自然と動き出す。流れているのはDAMの「MILLIARDAT」だ。小刻みにうねるように彼女は音楽に乗る。「Born Here」になった。何度も繰り返される言葉に体が反応する。ストリートダンスの面白さは場所、踊っているこの場所、今の、この、ここで踊っている自分の存在を感じることだ。ずっと踊っていたい。そう思った。思うということよりも先に体が動いていくのが心地よかった。「#Who_You_R」になった。踊っている時は性別なんか関係なかった。大人も子供も区別なかった。平和か戦争か、違いがなかった。男の子に混じって遊ぶのが好きだった。男の子のような格好をしていた。今は大人の女の服装だった。ジャケットとスカート。白っぽい、どうしようもない、クソみたいな明るい色。ここはどこなんだろうな。目が全然見えないな。腕が動かなくなってる。平気。だって足だけでも踊れる。倒れてもへっちゃら。倒れることが踊ることだから。心臓がビートを刻む。次第にゆっくりになる。フェイドアウト。ここはストリートだ。肌が焼ける。口の中が砂だらけだ。
二〇二三年一〇月七日の晩、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)新藤義孝は夢を見た。夢の中で彼はヤギになっていた。太陽が照りつけていた。クバの木の森を歩いているうちに喉が渇いてきた。水たまりを見つけた。
水たまりから顔を上げると年上のオスのヤギが近づいてきた。これは俺のものだよ、と彼は言うが、もともとその年上のオスは水を飲もうと思ったのではないようで、彼の前を通り過ぎる。なんだよ、無視するのかよ、と彼はムカついたが、やはり無視してスタスタと芝生の方へと走っていくので彼の方から追いかけた。
年上のオスはピタリと立ち止まる。彼は、お、やるか、と頭突きの姿勢をとるが、彼の後ろからリーダーのオスが追い抜いた。年上のオスはリーダーの気配を察して振り向いたのだ。
リーダーのオスが、おい、お前も早く準備して群れに合流しろ、と彼に言った。二頭のヤギは彼の視界から消えた。ちぇっ、なんだよ、偉そうに、とぶつくさぼやくが、ちょっと言い忘れたことがあるんだが、とリーダーが戻ってきたので、いや、俺はね、と取り繕った。
俺はね、水を飲んでいたんですよ。それだけなんです。すぐ合流しますよ。遅れやしませんから。
その水なんだがね、とリーダーは言った。石油が混じっているから飲まない方がいいぞ。
石油?
そう、人間どもの仕業だよ。
背中の毛がぞっと逆立った。げ、なんて水を飲んじまったんだ。匂いも味もまったく気づかなかった。老いぼれたもんだと彼は思った。自分に腹立たしく感じ、前足で地面を掘った。だから人間は嫌いさ、と彼は思った。
灯台の下に数百頭のヤギが集まっていた。夜が明けるのを待って島を出ることになっていた。まったく、こんなことになるとはな、この島で生まれこの島で死んでいくとばかり思ってたんだがなあ、そんな声があちこちから聞こえてきた。
センカクハマサジがわずかに浜辺の岩に生えており、彼はそれを食べた。
それから、何か紙切れが、風が吹くたびに、灯台の壁から剥がれそうになっていた。紙切れには何か書いてあったのだけれども、もちろん彼はヤギであり読めなかった。読めなかったがそれを食べることはできた。
ヤギの群れは静かに海に入っていった。
アホウドリが空を気持ちよさそうに飛んでいた。
いいなあ。
彼は言ったがめええとだけ周囲には聞こえたはずだ。もし、誰かいたらの話だが。
前足を器用に使って海を泳ぎだした。
二〇二三年一〇月七日の晩、デジタル大臣河野太郎は夢を見た。
夢の中で彼は隠居していた。人知れず山奥に庵を結び、人に会わず、静かに暮らしていた。何もしなかった。書くこともしなかった。写真を撮ることもしなかった。遠くの枝にいるのだろう、姿を見せぬままの鳥の囀りに耳を澄まして微笑むだけ。俺はようやくこの境地に辿りつくことができたと思っていた。あらゆることはもはやすべて若者に任すのがよいと彼は白い髭をなでながら、問われたらそう答えることにしていた。
どこで知るのか、ごくたまに客人が訪ねてきた。極力面会は断るのだが、せっかくこんな遠いところまで来てくれたのだからと、つい、相手をしてしまう。相手も彼の気持ちを推し量り、なぜこんなところに、とか、引退なさるとはもったいないとか、そんなことは言わなかった。素晴らしいところですね、と、この庵を褒め称えた。
食事はどのように、と尋ねられると、自分でね、粗末なものを作りますよ、あとは山からいただいています、と彼は笑った。
山を歩き、石に腰かけて川を眺めた。
葉が落ちる音さえ聞こえた。
この音、と彼は言った。これが政治の本質だと、今では思いますね。
庵に戻り、座布団をどかすと、スマホがある。客人が忘れていったな、と彼はそれを拾い上げた。ロックを解除すると懐かしい風景が、手の中にひろがった。
二〇二三年一〇月七日の晩、復興大臣土屋品子は夢を見た。彼女はひよこ豆を茹でていた。茹で上がるとザルに上げて皮をむき、練った白ごま、擦ったニンニク、塩を少々、レモンをしぼり、オリーブオイル、煮汁と共にフードプロセッサーで攪拌した。ペースト状になったのを皿に盛り付けた。
彼女は、お湯を沸かし、火を止めた。そしてボウルにお湯を入れ、砂糖を加えドライイーストを入れて発酵させ、強力粉をドサドサと入れた。その上から塩をパラパラまぶした。ボウルから出して、それをよくこねた。十分にこねるとボウルに再び入れた。生地の入ったボウルを持って厨房を出た。廊下はひやりと寒かった。明かりが漏れている奥の部屋が和室になっている。コタツの中に生地の入ったボウルを入れた。テレビでは中国とインドネシア、中国と台湾の間で同時に戦争が始まったと伝えていた。自衛隊も米軍と共に参戦するという。私が国民を必ず守りますと政治家が答えていた。彼女は笑った。もっと政治家の発言を聞いていたかったがボウルの生地は見事にふっくら発酵しており、厨房に戻った。生地をフライパンで強火で焼きあげた。レタスやトマト、アボカドなどの野菜を切り、焼きあげた生地に包丁でポケットを作って野菜を入れて挟んだ。
それから彼女はフードプロセッサーを洗った。洗ったそのフードプロセッサーに水に浸けたブルグルとラムひき肉、玉ねぎを入れた。シナモン、胡椒、塩をパラパラとふりかけた。ペーストにしてそれをボウルに入れた。これが生地になるのだった。今度はそのボウルは持ち出さず、厨房に置いたままにして彼女だけまた和室に行った。テレビがなくなっていたが気にならなかった。夜が明ける前に彼女は厨房に戻った。生地を作る際に余った玉ねぎとラムひき肉、塩、胡椒、松の実、シナモンを油で炒めた。それをボウルに入れていた生地でラグビーボールのような形に包んだ。かなりたくさんできてしまった。一人で食べるのにはちょっと多すぎるかもと思った。思ったけれどそれをこんがりと焼き色がつくまで揚げた。
次に、冷蔵庫を開けた。開けたまましゃがんでしばらくじっとしていた。何を作ろうか迷っていた。彼女の母親がもしその場にいたら、そんなに開けっぱなしにしないで、と言われるはずだ。迷っていたような気もしたが、もしかしたら見とれているのかもしれなかった。彼女はナスの袋を取り出した。そしてまたフードプロセッサーを洗った。ナスを焼き、皮をむき、ざく切りにしてフードプロセッサーに入れた。タヒーニ、オリーブオイル、クミン、レモンを入れた。ニンニクも入れた。ペースト状にして、器に盛り付けた。
また冷蔵庫を開けたが今度はすぐに閉じた。手にはパセリを持っていた。ブルグルの残りを使い切り、お湯に浸けた。パセリをみじん切りにした。余ったトマト、パプリカもあったのでそれも一緒にざく切りにした。ボウルに入れてミントとレモン、塩を少し入れて混ぜた。
そうだスイーツを作らないと、と思ってまた冷蔵庫の前でしゃがんで思案していたが、なかなか妙案が浮かばなかった。作ろうにもすでに材料が足りなかった。その時、隣の家の人が訪ねてきた。隣に誰か住んでいたなんて知らなかった。訪ねてきたのは二人で、どちらも男で、一人は髭を蓄えて迷彩の軍服を着てがっしりした感じ、もう一人は大学を退官になりそうな学者風の白髪のスーツを着た老人だった。年齢も体格もチグハグな二人であるが、仲は良さそうだった。二人は同じことを考えている兄弟のように思えた。これをどうぞ、作りすぎてしまって、と言って彼女に渡した。ナブルシーヤというお菓子なんですよ、と言った。彼女はありがとう、と言った。一緒に食べませんか、と彼女は言った。
二〇二三年一〇月七日の晩、経済産業大臣西村康稔は出張先のメルボルンのホテルで夢を見た。夢の中で彼は美について考えていた。美とは何か。美は人の心をとらえる。もちろんそうだ。美と接すると人は心臓の鼓動が速くなる。海外を旅する時、彼はいつも、美を探していた。日本にも美はある。それは知っている。だが、美が不意に現れるのは、海外だ。美の偶然の訪れに彼は感動するのだ。
美を定着させるために、俺は写真を撮る。そう夢の中の彼は思う。美は、消えやすいものだからだ。儚く消えてしまうのが美だ。もちろん美は実在する。この世に存在している。気を抜くと見失ってしまうことがあるが、走って追いかけることができるし、追いついて、すいません、と声をかけたら、振り向いてもくれる。心優しいからこそ美しいのだ。
もっとも、実在するとはいえ、美には触れることができない。手をのばして触れることができるとしても、絶対それは許されない。我慢しなくてはいけない。美と向き合うには適度な距離が必要なのだ。どれくらい離れたらいいのかというと飛沫の飛ばない二メートルくらいがちょうどいいのではないか。なぜなら、あまり近づくと、美は恐怖を感じ、逃げてしまうからだ。
撮影してかまわないですか、とか、ホームページにアップしますよ、とか、そういうふうに美に対して許諾をしっかり取り付けること。それが大事だ。断られることはめったにない。美とは何かを探求する情熱が伝わるからだし、美は、カメラを向けられることに慣れているためだ。どうぞ、と美が応じてくれることで、こちらとしても非常にリラックスすることができる。美がこちらに微笑みかけてくるとゾクッとする。
だが、と夢の中の彼は思う。こっちの存在にまったく気づかない、そんな美もある。そういう美も見逃したくない。それはわがままだろうか。無防備な美の姿を、例えば美が眠っているとか、美の後ろ姿とか、そういう、こちらに気付いていないところも撮りたい。撮りたいというか、そういう美の姿を残すことも、写真の大事な役割なのではないだろうか。
写真は、もちろん、美のためだけにあるのではない。美とまったく逆のものを撮ってしまう場合がある。あれは嫌なものだ。怒り、あれほど美に似合わないものはない。憎しみ、これほど醜いものはない。不寛容ほど陳腐なものはない。怒り、憎しみ、不寛容。それらは美を台無しにする。金儲けの匂い。これも美を醜くする。美は、やはり、分け隔てないもの、無償の存在、無料でこっちの心をも美しくするような存在なのだ。俺は、と夢の中の彼は思った。俺は、とびきりの美を探すことにすべての時間を費やしたいのだ。
二〇二三年一〇月七日の晩、厚生労働大臣武見敬三は夢を見た。彼は犬の散歩をしていたが、とても困っていた。とんでもない数の犬を散歩させているからだ。犬は好きだが、こんなことは初めてだ。
先へ進みたいのだが、道が二手に分かれると、こちらへ行きたがる犬、反対の方角に進みたがる犬と、分かれてしまう。統制をとるのが難しかった。こら、そっちじゃないって、こっちだよ、と言うのだが無駄だった。何しろ数が両手で足りないほどであって、大きさもまちまちであり、一斉に同じ方向へ動けば大人ひとりを十分引きずるだろうと思われた。散歩の途中で何匹か追加されることもしばしばあり、これでは時間がいくらあっても足りない。彼は日々忙しく、こんなことで時間をつぶしている場合ではなかった。世界は今、大変な激動の中にあるのだからと彼が憂慮していると、何匹かが不意にケンカを始め、それに怯えた何匹かが走り出した。おい、やめろ、こら、そんなに走るな、と彼は叫んだ。雨が降ってきたが、犬の散歩を中止するわけにはいかなかった。人に信頼されているからこんなことになるんだ、と彼は言った。言ったけれども、誰も聞いていなかった。何匹か振り向いただけだった。頼りにされるというのも考えものだなあ。彼はあっちへ、こっちへ、引っ張られながら、そう思った。犬じゃないのも混じっていた。なんだろうな、と思ってよく見たがなんだかわからなかった。犬じゃないことはわかった。取り除こうとするが、どのリードに繋がっているのか、サッパリわからなかった。むやみに手を離したら取り返しのつかないことになりかねない。
道の向こうの曲がり角から、彼と同じようにとんでもない数の犬を連れた男が現れて、こちらに気づくと、走ってくる犬がいた。何本かリードを握っていなかったようだ。それが、わざとなのか、不注意のためなのかわからなかった。彼に飛びかかってきた。走ってきたのは犬だったが、飛びかかってきたのは犬ではないようだった。咬みつかれたのか、それ以外の理由によってなのか、わからないまま彼の腕から血が流れた。血は道を伝って流れ、下水道に吸い込まれた。かなりの量で、まるで何十人分も流れているように思えた。
二〇二三年一〇月七日の晩、財務大臣鈴木俊一は夢を見た。
巨大な軍艦の甲板にいた。夏のような強い日差しがまぶしく、佐世保湾の穏やかな波を白く弾いていた。強い風が頭部をなでた。形容しがたい匂いが、下から直接鼻にツンとくる。彼はタバコを取り出し、喫煙所はあるだろうか、アメリカだからもしかするとないかもしれないなと思っていると、軍人が彼のところへ走ってきて、皆さんもう来られてますと流暢な日本語で告げた。こちらへ、と手を引くがその手が小さく、子供のように思えた。戸惑いながら内部に入り、エレベーターに乗った。会議室には長崎県知事や市長会長、町村会長などの顔があった。今日、彼らの要望を受けるために佐世保市のホテルで会合が持たれたが、その時とまったく同じテーブルのしつらえであった。
大臣、どうぞ、と言われて、座った。
国土強靭化のさらなる推進、九州新幹線の西九州ルートの整備促進といった議題に加えて、東地中海への迅速な航海とあった。彼は、この東地中海というのはどういうことか、と知事に訊ねた。
ガザ地区を実効支配するイスラム組織ハマスがイスラエルを襲撃し、今までとは桁違いの被害を生んでいることは大臣もご存知の通りですが、と知事は言った。ああ、それは今日聞いたばかりだけど、と彼は言った。でもそれと今日の会合の趣旨はちょっと合わないのではないかと言おうとしたら知事がかぶせてきて、この長崎県にも逐一最新情報が入っています。いずれヒズボラが加担してくるでしょうし、イエメンの武装組織フーシがタンカーを拿捕するなんてことがあるかもしれない、我々としてはそのような危惧をすでに抱いておりますし、米軍としてもこういった事態の展開は阻止したいようですと言った。
つきましては、と、隣の男が言った。市長会長だったはずだが、顔がまるでちがう。つきましては東地中海にこの強襲揚陸艦を派遣して、不測の事態に備えたいと思う。
すでに原子力空母ジェラルド・R・フォードも向かっているんだよ、と、町村会長の席に腰掛けている男が言った。町村会長ではなかった。空母ドワイト・D・アイゼンハワーも準備に入っているし、さらに、第26海兵遠征部隊二〇〇〇人を即応部隊として送りこもうってわけだ。我々だけが何もしないわけにはいかんのだよ。
彼は、わかった、と言った。自分でも意外なことに、即答だった。海の男の血が騒いだのかもしれなかった。彼はその日の夜明け、佐世保港の穏やかな波を見下ろしながら、大きな声で船出を宣言した。
東地中海に向けて出発するにあたって彼が変更した規約があった。全面喫煙可としたのであった。非常に重要なことだ。軍人と、彼はタバコをくわえながら、うまいね、と言った。軍人も、うん、と言った。お前、未成年だろ、と言うと、軍人は肩をすくめた。当てようか、一二歳だろう、と言うと、当たり、と笑った。まあいいか、と言ったところで目が覚めた。
二〇二三年一〇月七日の晩、文部科学大臣盛山正仁は夢を見た。まだ暗かったが彼は外出した。薄手のウインドブレーカーであったが軽くジョギングするので寒さは気にならなかった。
彼が目指しているのは高台の公園だった。
すでに四、五名が集まっていた。高齢者が多いが、それはいいことだと彼は思った。健康維持にラジオ体操は推奨されるべきことだからだ。選挙活動の時に着用しているウインドブレーカーで、背中に愛犬のラブラドールがイラストになってプリントされている。
彼に気づいた参加者が、握手を求めてくる。彼は気さくにそれに応じた。
出張先でもこのようにラジオ体操に参加することがあった。ライフワークと呼んでもいいほどだった。
先生は一級ラジオ体操指導士の資格をお持ちだそうですね。
ええ、長年通いまして、念願かなって、いただきました。
例の解散命令は出すんですか。
そういう話はちょっと……。
テレビで見るよりお若いですね。背も高くて素敵だわ。
ありがとうございます。
年寄りばかりだから、華やぐね、若い人がいると。
いや、私も、一二月には七〇ですから。それに皆さん、お若いですよ、ほんとに。
まあ、お上手ね。仕事柄かしら。
いやあ、参ったなあ。
先生は、今日はここへいらしたのは、お仕事ですか。
そうです。
ここから湖が見えるんですよ。ほら、水面が少しキラキラかがやいているでしょう。
見えますね。なんていう名前ですか。
さあ、なんでしょうねえ。
彼は別に湖の名前など知りたいわけでもなかったが、教えてくれないと何だか気になってきた。
先生、あれですよね、裏金のケタが、私は聞いてびっくりというか、あの湖の魚が増やしてるんじゃあるまいな。
そういう話は、ここでは……ほら、始まりましたよ。
もう何度耳にしたかわからない、あのイントロが鳴り出した。
これが鳴り出すと彼は無心になってしまう。
まずは背伸びの運動だ。
両手を空へ向けて伸ばす。
ラジオの声、ピアノの演奏に合わせて、もう一度、その動作を繰り返そうとした時、背中に違和感を覚える。
そこまでだ。動くな。
手を上げたまま彼は背中に当たっているのが銃口であると確信した。ピアノの音、指導し、動作を促す声だけが、流れていく。腕を回します、外側へ、内側へ。
銃口に押されて歩き出す。
彼だけしかいないように思えた。
太陽が昇り始め、幌のとれたトラックの荷台から、彼は外を見た。
緑豊かな光景が続いた。
雲が少し浮いているだけの、美しい青空が広がっていた。
先生、ここが空爆されるんです、と運転席から聞こえてきた。見納めですとそれに続いた。助手席の男は、指に挟んだままタバコを、全開にした窓から出して軽く振って、灰を飛ばした。それが後ろの荷台にいる彼の目に全部入った。彼は両目をつぶったまま立ち上がり、倒れないようにバランスをとりながら深呼吸をした。
二〇二三年一〇月七日の晩、国土交通大臣斉藤鉄夫は夢を見た。彼は宇宙で船外活動をしていた。
任務は、部品のようなものが、船内から放出されたのでそれを回収することだった。
小さなものでも、宇宙では、それが大きな事故、例えば人工衛星に当たって故障するとか、軌道を変えてしまうとか重大な事故を招きかねなかった。だから回収する必要があり、なるべく迅速に任務を遂行する必要があった。もちろん船外活動自体が極めて危険なミッションだ。
そのこともあってちょっと険悪な雰囲気が生じていた。責任のなすり合いが起こっていた。彼はこういうのが嫌だった。バカバカしいからだ。あいつのせい、こいつのせい、ということを言ったって、本当は何も解決しないのはわかりきっていた。わかりきっているのに、同じことを繰り返す。イライラして相手を殴り、殴ったら殴り返す。バカとしか言いようがない。彼は、自分から立候補して、船外活動を申し出た。国際的な活動だからこそ、助け合うべきだと思ったのは嘘じゃなかったが、直接宇宙に触れることができるように思えて、ワクワクしてもいた。
宇宙服を着て、生命維持システムを背中に取り付けた。
回収してみるとそれが洗濯バサミであることに拍子抜けした。そもそもなんでこんなものを持ち込んだのか。一瞬彼もイラッとしたが、まあ、でも、少しの間でも、宇宙に浮かぶことができたのは、得難い経験だなと思った。ずっと浮かんでいたいと思ったくらいだ。そうしようかな、と彼は思った。あんなところに戻るよりいいような気がした。今まで自分がいたところが、ゴミのように思えた。彼は戻ることをやめた。彼自身が、放出物となって地球を回り始めた。
二〇二三年一〇月七日の晩、環境大臣伊藤信太郎は夢を見た。夢の中で彼は全世界の言語を習得した。無謀なことだと周囲に言われたが、やってできないことはないんだなと彼は思った。五〇〇〇以上もあったが語学は好きだったから苦ではなかった。もちろん簡単なことではなかった。達成してみると感動はそれほどなかった。平和に貢献したいと思って紛争地に行ってはみたものの役に立たなかった。言葉がわかっても軍事的な暴力を収束させることはできなかったからだ。大丈夫ですよ、とか、希望はありますよ、とか、そう言うことくらいしかできなかった。言葉は食べることもできず、命を吹き返すこともできなかった。
そんなこともあって彼は、くだらないな、と思った。無駄なことをしたように思ったが人生そんなもんだろうとも感じていた。
彼は動物語を学び出した。鳥の言語、犬の言語、猫の言語を習得した。サルなどは非常に簡単だがレッサーパンダ語はかなり難しかった。彼は動物園に行くのが楽しみになった。支援者が、先生、何してんですか、探しましたよ、動物園で見たという目撃情報があったんですよ、と、彼を引っ張って永田町へ連れて帰った。やめろと言いたかったが人間の言葉がなかなか出てこない。だがしばらくすると普通に日本語を話していた。日本語を話すようになると動物園のことも忘れてしまった。
空いた時間、本当に少しの間、近所を散歩してきます、というような息抜きに、野良猫や鳥とちょっとだけ話すことがあった。犬はいつも人間と一緒であり、人間の方が話してくるのが苦手だった。時に犬が、握手まがいのことをするのも興醒めだった。
鳥と話している時に、戦争が始まるぞと聞いた。
猫が、またかよ、とニヤリとした。
犬がそれを聞いて、ため息をついた。犬の飼い主は、彼に政局のことを熱心に語っていたが、彼が、じゃあ、僕はこの辺で、と自転車に乗ると、鳥がついてきた。
行かなくていいのか。
どこに。
あっちだよ、と、クルッと飛んで見せた。戦争やってるだろ。殺し合ってるじゃないか。
いいよ、別に、と彼は言った。
薄情だな、と別の鳥が言った。さっきとは別の猫が、その薄情なところが人間らしいやと言った。
映画を撮りたいんだ、と彼は言った。
動物映画を撮ることを計画したが、それは実現しなかった。金はあった。出演依頼した動物も全員快諾した。脚本も書いた(それぞれの動物の言葉で)。だが実現しなかった。
二〇二三年一〇月七日の晩、国家公安委員会委員長松村祥史は夢を見た。
グラウンドに出ようとしたところで監督に呼び止められた。帽子を脱いで一礼すると、いいからこっちへと言われた。そして、そのまま背番号のついた背中を押されてお前はトレードされたからここを出て行けと言われた。
黒塗りの車に乗せられて、司令部のある高層ビルに連れて行かれた。空爆の標的になるのは明らかで彼は怖くてたまらなかった。兵士にがっちりと脇を抱えられているがその震えが伝わったようで、ボスは優しいから心配しなくていい、とか、緊張することはないよ、ボスはエンターテイナーだから、とか言った。だが、扉の前に来ると、それを取れと兵士に命令された。何のことかわからなかったが視線は彼の頭の上を見ているようであり、ああ野球帽をかぶったままだったと手で触れるとナイトキャップだった。恥ずかしかった。
何を聞かれるのか不安だったが、お前さんの将来の夢はと聞かれた。
将来ですか、そりゃあ、野球選手ですよと即答した。
今のポジションは、と聞くのでそんなことも知らないでトレードしたのかな、と思い、ショートですと言ったら、ほう、重要なポジションだな、軍事部門の司令官にふさわしい。力をぜひ貸してほしい。
それはできない相談だった。だが、しばらく考えてから、わかったと彼は言った。なぜ、わかったと答えたのか、自分でもわからなかった。お前の武器はこれだと新品のグローブを渡してくれた。バットじゃないんですね、と彼は言った。急に周囲の空気が悪くなった気がした。武器といえばそっちかなと思ったもんで、と彼は弁解した。バカだな、バットでどうやって敵を倒すんだよと笑われた。お前はショートだろうが、と小突かれ、さあグラウンドに出るぞ、と監督に怒鳴られた。
二〇二三年一〇月七日の晩、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、地方創生、アイヌ施策)自見はなこは夢を見た。
小児科医としてすでに中堅の立場で、自身の名を冠した個人のクリニックを開業していた。
午後からある大学病院での研修会の資料に目を通していると、看護師が、先生、ケガをされたお子さんがいるのですが、と、駆け込んできた。その後ろにはすでにその父親が立っていた。最初は何かボロ切れでも抱えているのかと思ったが、それが子供だった。マンションが崩れて下敷きになっていたという。父親の手も、すっかり血だらけだった。必死にコンクリートの残骸をかき分けたのだと思った。マンションが崩壊したとはどういうことだろう、現代の日本でそんなことがあるのかと彼女は思いながら子供の背中や腕に刺さったガラス片などを取り除いた。子供は痛みに耐え切れず大声で泣いた。
処置が終わらないうちに次の子供が運びこまれてきた。もう彼女に先生どうしますかと断る看護師はいなかった。無言で次々と運び込んできた。話している時間などないのだった。腹から細かい弾が出てきた子供が何人もいた。何かわからないものが出てきた子供もいた。一体何が外で起こっているのだろうと聞くと、わからないと皆口をそろえた。急に崩れてきて吹っ飛んだんだと言った。音は全然しなかったんだ、とも言った。
夜中までかかっても患者は絶えなかった。死んで運ばれる人も多かった。待っている間に死んでいく人も多かった。
彼女は手が震え始めた。
二〇二三年一〇月七日の晩、経済安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策、経済安全保障)高市早苗は夢を見た。夢の中で彼女は祈っていた。手を合わせ、膝をついて、頭を少し下げていた。膝が冷たかった。直接床に触れているので痛かった。
目を開けると、やはり、彼女の少し後ろ、入り口近くで、同じように祈っている外国人の若い女性がいるのに気づいた。
何をお祈りされていたのですか、彼女は英語で話しかけた。
自分の国の領土が守られますように、とお祈りしていたのです。
そうですか。彼女は微笑んだ。どこの国も、最近は同じ悩みですね。
では、あなたも。
ええ、と彼女は頷いた。
よかった。
外国人の若い女性は笑った。笑うとかなり幼く思えた。もしかしたらまだ十代かもしれない。お仕事はと聞いてみたかったが、あまり簡単に聞いてはいけないだろうと彼女は思った。自分も聞かれても困るし。
あら、もう一人、お祈りにいらしたようよ。
今度は二人よりも年配の外国人女性で、軽く会釈すると、膝をついて瞼を閉じた。英語は通じないようだった。この年配の外国人女性の祈りはかなり長かった。時折、何か、小さく唱えていた。
彼女は、外国人の若い女性の方を見ると、私たちも、もう一度お祈りしましょうか、と言った。ええ、と若い外国人の女性も応じた。
しばらくして二人が目を開けても、年配の外国人女性はまだ祈っていたので驚いた。その驚いた顔に、外国人の若い女性が思わずプッと吹き出した。そしてすぐに、ソーリーと謝った。妹に似てたものだから、その驚いた時の表情が、と外国人の若い女性は言った。
あら、と、それに気づいて年配の外国人女性が、ようやく手をほどき、きょとんとした。少しの間があり、三人とも笑ってしまった。
この年配の外国人女性は、英語がわからなかったが、身振り手振りで、自分の国の領土を守りたいと祈りを捧げていたのだということがわかった。やはり、どこも同じ悩みを抱えているんだな、と彼女はしみじみ思った。どこの国ですか、と彼女は、枝を拾うと、地面に世界地図を描き、聞いてみた。
ここですよ、と、その年配の外国人女性は世界地図の真ん中を指差した。
それを聞いて、彼女は、そこ私の国ですよ、あなたの国ではありません、ここは私の国の領土ですとはっきりと英語で言ったが、年配の外国人の女性には伝わらなかった。
あの、と、外国人の若い女性は困ったような表情で言った。私もここなんです。そして、同じところを指差した。
彼女は、それは認められませんよ、と言った。間違った歴史なんじゃないですか、と言った。外国人の若い女性は、そうでした、すいませんと謝罪し、年配の外国人の女性の手をとって逃げるように去った。彼女はあの二人の外国人が本当の祖国に帰れますように、と祈った。いつまでも祈った。いつまでも、いつまでも、祈り続けた。
この作品のなかで夢を見る人々
岸田文雄
一九五七年生まれ。内閣総理大臣。小学校の三年間はニューヨークのパブリックスクールに通った。ブルックリンの動物園に学校で行った時、迷子にならないように隣の子と手をつないで、と先生に言われた。手をつなごうよ、と言ったが、白人の女の子は拒否した。肌や髪、瞳の色、人種が違うだけで差別されたことが強烈に記憶に残った(岸田文雄著『岸田ビジョン 分断から協調へ』ほか)。日本長期信用銀行(現・SBI新生銀行)に勤務していたが退職し、父親の秘書に。
松野博一
一九六二年生まれ。内閣官房長官、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣。早稲田大学在学中は政治にまったく興味がなく、映画監督を目指していた。B級映画、深作欣二監督『仁義なき戦い』や007シリーズなどのエンターテインメント系の映画が好きだった(松野博一著『導き星との対話』ほか)。ライオンにCFプランナーとして入社。二年後に退社、松下政経塾に入塾。卒塾後、衆議院議員選挙に立候補。二〇二三年一二月一四日に辞任。
上川陽子
一九五三年生まれ。外務大臣。ハーバード大学ケネディ・スクール(公共政策大学院)修了後、上院議員の政策立案スタッフに。帰国後、政策コンサルティング会社「グローバリンク総合研究所」を設立した。
鈴木淳司
一九五八年生まれ。総務大臣。小さな鉄工所を営む父親の背中を見ながら育った。早稲田大学を卒業し、松下政経塾に入塾。趣味はやきもの鑑賞。二〇二三年一二月一四日に辞任。
小泉龍司
一九五二年生まれ。法務大臣。二〇年以上働いた大蔵省を退官し、衆議院議員選挙に立候補。
宮下一郎
一九五八年生まれ。農林水産大臣。三歳の時にマジックと出会う。今ではレパートリーは一〇〇を超える。高校時代には映画制作に熱中した。住友銀行(現・三井住友銀行)に勤務していたが父親の秘書になるため退社。二〇二三年一二月一四日に辞任。
木原稔
一九六九年生まれ。防衛大臣。早稲田大学卒業後、日本航空に入社。事業用操縦士の免許を取得。一一年勤務し、退社。自民党神奈川県連「かながわ政治大学校」(現・かながわ自民党未来カレッジ)に入校。
加藤鮎子
一九七九年生まれ。内閣府特命担当大臣(こども政策、少子化対策、若者活躍、男女共同参画)、女性活躍担当大臣、共生社会担当大臣、孤独・孤立対策担当大臣。若い頃はストリートダンスに熱中していた。コロンビア大学院国際公共政策修了後、帰国し、父親の秘書に。
新藤義孝
一九五八年生まれ。経済再生担当大臣、新しい資本主義担当大臣、スタートアップ担当大臣、感染症危機管理担当大臣、全世代型社会保障改革担当大臣、内閣府特命担当大臣(経済財政政策)。一一年勤務した川口市役所を退職し、市議会議員に。五年後、衆議院議員選挙に立候補。
河野太郎
一九六三年生まれ。デジタル大臣、デジタル行財政改革担当大臣、デジタル田園都市国家構想担当大臣、行政改革担当大臣、国家公務員制度担当大臣、内閣府特命担当大臣(規制改革)。ジョージタウン大学卒業後、帰国し、富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)に入社。五年後、アジア事業の統括拠点の立ち上げメンバーとしてシンガポールに赴任。二年後、日本端子に転職。三年後に衆議院議員選挙に立候補。
土屋品子
一九五二年生まれ。復興大臣、福島原発事故再生総括担当大臣。聖心女子大学を卒業し、フラワーメモリー設立に参画。香川栄養専門学校(現・香川調理製菓専門学校)在籍中に品子クッキング&モダンフラワースタジオを主宰。その二〇年後に衆議院議員選挙に立候補。
西村康稔
一九六二年生まれ。経済産業大臣、原子力経済被害担当大臣、GX実行推進担当大臣、産業競争力担当大臣、ロシア経済分野協力担当大臣、内閣府特命担当大臣(原子力損害賠償・廃炉等支援機構)。通産省に在職中、メリーランド大学公共政策大学院修了。ボクシングに熱中した。通産省を退官し、衆議院議員選挙に立候補。二〇二三年一二月一四日に辞任。
武見敬三
一九五一年生まれ。厚生労働大臣。東海大学政治経済学部政治学科助手を経て同大学助教授を務める傍らテレビ朝日「モーニングショー」のメインキャスターを担当。東海大学教授に昇格した年に参議院議員選挙に立候補。
鈴木俊一
一九五三年生まれ。財務大臣、内閣府特命担当大臣(金融)、デフレ脱却担当大臣。早稲田大学卒業後、全国漁業協同組合連合会に就職。八年間指導部門で働いた。父親が引退し、衆議院議員選挙に立候補。
盛山正仁
一九五三年生まれ。文部科学大臣。運輸省に入省し、環境省を経て国土交通省を最後に退官。翌月の衆議院議員選挙に立候補。
斉藤鉄夫
一九五二年生まれ。国土交通大臣、水循環政策担当大臣、国際園芸博覧会担当大臣。清水建設在職中、プリンストン大学プラズマ物理学研究所に派遣。三年間客員研究員として過ごす。
伊藤信太郎
一九五三年生まれ。環境大臣、内閣府特命担当大臣(原子力防災)。慶應義塾大学在学中に監督した『かげろうの時』でカンヌ国際アマチュア映画祭銀賞受賞。大学院修了後に渡米、アメリカン・フィルム・インスティテュート監督課程を修了。ハーバード大学院修士課程修了と同年、監督作品『Masked Encounter』でベルギーのユイ国際映画祭特別賞受賞。帰国し、父親の秘書に。
松村祥史
一九六四年生まれ。国家公安委員会委員長、国土強靭化担当大臣、領土問題担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災、海洋政策)。専修大学経営学部を卒業後、丸昭商事入社。一二年後、同社社長に。全国商工会青年部連合会会長を経て参議院議員選挙に立候補。
自見はなこ
一九七六年生まれ。内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、消費者及び食品安全、地方創生、アイヌ施策)、国際博覧会担当大臣。東海大学医学部を卒業後、東京大学医学部附属病院小児科に勤務。虎の門病院で小児科医として働きながら父親の秘書に。
高市早苗
一九六一年生まれ。経済安全保障担当大臣、内閣府特命担当大臣(クールジャパン戦略、知的財産戦略、科学技術政策、宇宙政策、経済安全保障)。神戸大学経営学部卒業後、松下政経塾に入塾。米国連邦議会Congressional Fellowを経て帰国、卒塾後、テレビ朝日「こだわりTV PRE★STAGE」キャスターに。フジテレビ「朝だ!どうなる」メインキャスターを務めた。
(初出:「新潮」2024年2月号)