【Mlog.03 保育園の先生】
保育園の先生と聞くと「子どもを預かってくれる人」「一緒に遊んでくれる人」のイメージがあると思います。
私の保育園の先生時代のお話をしましょう。
私が勤務をしていた保育園は、公立の保育園から私立の保育園へと変わった保育園でした。(「保育園の民営化」というワードがあると思いますが、それに当たる園です)
元々、モンテッソーリ教育を取り入れている私立の保育園の実績もあり、公立から私立の保育園へと変わった際、同時にモンテッソーリ教育も導入した形の園でした。
公立の保育園と私立の保育園って何が違うの?と思うと思いますが、簡単にいうと、公立保育園は地方自治体が運営をしており、私立保育園は民間の法人や団体が運営をしています。
様々な背景がある中で、保育士として1~3歳の担任と3~6歳の担任をしていました。
1~3歳のことを乳児クラス、3~6歳のことを幼児クラスと保育内の言葉で使い分けるのですが、子どもの発達が全く違うように、時間の使い方や過ごす環境は全く違います。
乳児クラスでは、年間の行事やカリキュラムというものがとても少なく、時間がゆったりと流れています。かといって、先生もゆったりしているかというとそうではなく、なかなか慌ただしいです 笑
一人ひとりのできる度合いは全く違く、好きなもの嫌いなもの・興味があるものないもの・成長度合いによってできることできないこと…などを職員・親との情報共有や試行錯誤をしながら、成長する姿を見守っています
例えを挙げると、トイレットトレーニングや洋服の脱ぎ着などの、人間として生活するために必要なことを伝えていきます。(これは本当に保育園だけでできることではなく、親との共同作業でないとなかなかできない…)
でも、できるようになることばかりをしていても楽しくないしつまらない… そこで、お絵描きや外遊びなどの体験や経験が入ってきます。
なので、1~3歳のクラスでは、活動に重きを持って時間を使うのではなく、子ども自身で生活に必要最低限のことができるように、時間がゆっくりと使えるような流れになっているんです☺️
できるだけ早い段階で「自分でできる」の経験が、子どもにとってどれだけ「自由」を手に入れられるかの鍵となります!
幼児クラスの話に進みますが、この段階の子どもたちは、ある程度の子どもが子ども自身でできることが増えています。(トイレも洋服の脱ぎ着も、食事を取ることも…)
ある程度と書いたのは、このことができない子どもも一定数います。ただ、今回はあえて触れないでおくので、気になる方はコメントしてください!
幼児クラスになると、「自分のことができる」ことが前提で、様々な活動やカリキュラムが組まれています。この時期は、体を動かすことと頭をつかうことがセットになって活動することで、考える力も友達を思いやる力も、クラスの中での関わりも経験していきます。
ただ、ここでの関わりが先生主導のものであるとどうでしょうか?
「今日はこれから折り紙をするから持ってきて!」と、子どもを言葉でうごかすのか、「今日からここに折り紙を置いておくから、この時間まではいつでも使っていいよ」と、子どもに環境のことを伝えて選択肢をあたえるのか。
0~6歳の乳幼児期は、本当に純粋でなんでも信じます。もちろん思考パターンも0年間 生きている子どもと6年間 生きている子どもとでは、経験していることが違い、成長も違うのは当たり前です。
大人と子どもで考えてみても同じです。
「できないから、大人がやってあげる」のではな育たない
「できないから、子どもができるまで待つ」どれだけ時間がかかっても、そこで得られる経験は、大人が言葉で教える以上に子どもの成長に強く影響します!
保育園の先生の話からそれましたが… 笑
幼稚園の先生と比べると、子どもと過ごす時間=仕事となるため、書類などは時間を見つけて行います!
また幼稚園よりも、行事の準備をする時間が圧倒的に少ないので、装飾などは簡易的なものになりがちです。(あくまで私の感じたことなので、全てではないです)
会議もありますが、全員が参加できることは研修以外なく、すれ違いはよく起こっていました。
保育現場あるあるかもですが、幼児クラスと乳児クラスの先生をお互い知らないということも…(行事・役割担当などで面識がない限り、お話しする機会がないんです…)
とまあ、話すとキリがないですが… 笑
最後に、保育園の先生だから〇〇!幼稚園の先生だから〇〇!ということはなく、どこの教育現場にいてもいろんな相性の先生はいます。
パパママが安心して預けられる場所であれば、子どもも安心して園生活を楽しみます。逆に預ける場所に不安があると、子どもは気付きます。
子どもを預ける選択肢として、1番最初に頭に浮かぶ2つだからこそ、現場にいた目線が少しでも役に立てれば嬉しいです⭐️