子どもをコントロールしようとしない
だいぶ時間が経ってしまったのですが、私たち夫婦がモンテッソーリ教育を学んだトレーニングセンターが50周年を迎え、その記念イベントに参加してきました。
モンテッソーリ教師を育成するトレーナーの先生方の講演もお聞きでき、改めて復習の機会になったのでそれについて書いてみたいと思います。
まず印象に残ったのは、先生の恩師からの言葉。
ちょっとドキッとする言葉でした。
「ああしなさい、こうしなさい」「あれはダメ!これはダメ!」と指示出しをし強制的に言い聞かせてコントロールしようとはしていないものの、特に仕事など大人側に事情があって時間に制約があったりするとつい、活動を終わるように促してしまう自分がいるなぁ…と、思わず我が身を振り返ってしまいました。
モンテッソーリ教育では、3〜6歳の子どもは自ら動くことによって感じながら学び、自分のものにしていく(その時自分に必要な能力を獲得していく)、つまり、環境で感覚的に経験したことを通じて自己教育できると考えられています。
もし大人が子どもをコントロールしようとするならばそれは、今この瞬間に感覚を思う存分使って活動しながら自分自身を作っていこうとしている子どもの自発的な育ちを、大人が妨げてしまっているとも言えるのです。
むしろ、子どもが今自分を発達させるために必要な活動を十分に行えるよう、環境を整えることがとても大切なことだとされています。
先生からは講演で、子どもたちを援助していくための「大人の役割」についてお話いただきました。
詳細は控えますが、私の中で印象的だった点をいくつか備忘録として。(以下のサマリには私なりの表現や解釈も入っています。)
親子という関係性では特に、「子どもにこうなって欲しい」という期待があるでしょうし、その期待や願いが強ければ強いほど、それを子どもに投影してしまいがちです。そしてそれは親として自然なことのようにも思います。
一方で、目の前にいる子どものニーズ(今伸びようとしている方向性、発達させたいと思っている力)は、親の願いと同じベクトルにあるかもしれないし、少し違うところにある可能性もあります。
大人は子どもに対して期待や願いを持たない方が良いという意味ではなく、自分たちに願いがあるように、子ども自身にも願いやニーズがあるのを理解しようとすること。
子どもが自分らしく根を張り、枝を伸ばし、葉を広げていく…その育ちを援助するには、まずはよく観察して目の前の子どもを理解することがスタートなのだと改めて感じました。
大人が子どもに何かを教えようとするのではなく、大人が子どもを理解しようと努めること。また、教える人・教えこむ人ではなく、子ども自身が育ちたい方向に導く存在でありたいと思います。
そして、そのような自分でいるために、自分自身を良い状態に整えておくことも大切にしていきたいです。