見出し画像

生きづらさの言語化

APDって何?

誰しも苦手なことってありますよね

最近自覚した私の苦手、それは耳から入ってくる情報の処理に時間がかかるということです。一回言われただけで何を言っているのか理解するのが難しい。何回も自分の中で反芻して、そういうことかと理解する。何回も指示を聞き直してしまったり、単語として頭には入ってきても、それを受けて自分がどうすればいいか一旦考えて整理してからしか動けない。耳は聞こえています。でも何を言われてるかわからない時があるんです。

それは私の頭の回転が遅いだけだと思っていました。ただ指示を理解する能力が低いのかな、と。でも文面で与えられた指示は割とすんなりできて、まあそれなりの大学に通っているので文章理解力はあるはずなんです。その不一致、違和感をなんとなく感じていて、ある日大学の授業を受けていたらAPD(:聴覚情報処理障害)という障害があることを知りました。

(以下、正しい診断を受けたり専門知識があるわけではないので、情報の真偽については問わないでください。あくまで主観で話します)

言葉は聞き取れているけど、意味がわからない
なんども聞き返してしまう
聴覚情報に対して注意力散漫
言語指示に対しての反応が遅れる
指示をすぐに忘れる

私自身こんな感じの自覚があって、APDの特徴に当てはまっているなと思っただけなんですけどね。

もちろん、グラデーションはあるので私が本当にそうであるかはわかりませんし、もっと重度の方もいらっしゃる中で私が何かいうのはおこがましいかもしれません。でも私なりに思ったことを述べさせていただきます。

苦手の言語化 メリット・デメリット

私のなんとなくの生きづらさを言語化してもらったことでいいことと悪いことがあるなと思いました。

いいことは、名前がついていることで仲間や改善策にたどり着きやすくなったということです。同じ悩みを抱えている人が一定数いることに安心できました。指示を理解できない原因が自分の理解力のなさ、頭の悪さ、それを導く努力の足りなさに起因していると考えていたので、「こういう特徴の一つなんだ」「同じ悩みを持ちつつも努力している人がいるし、そういう工夫ができるんだ」ということを知って、少し気持ちが軽くなったのです。そして名前がついていると検索もしやすいので、診断に行くのは少し勇気が出ないと思っていてもインターネットなどを用いて適切な改善策にたどり着きやすいなとも感じます。

悪いことは、自分をラベリングしてしまうということでしょうか。私は聞くのが少し苦手だから、という考えが真っ先に来て、人と話すのに「ちゃんと聞こう」少し構えてしまって、それで気疲れしてしまうことが増えた気がします。就活している中でも、複数人の人と一度にわっと話さなくてはならない仕事に対する不安感が強まったり、、。自分の不向きなことに無理に向き合わなくてもいいとは思うのですが、自分の可能性?を制限していたら嫌だなと思います。

誰だって、何かしら苦手はあって、それに大体名前がついてしまっている世の中なのではないでしょうか。そこで、「名前がついているから自分はダメだ」、「名前がついているから自分は守られるべきだ」、ではなくて、いろんな人に苦手があって、それとどう向き合って自分のやりたいことを実現させているかに目を向ける自分でありたいと思います。完璧な人はいないし、ダメなところしかない人もいない。みんな凸凹で、可能な限り努力をして、難しいところは人に助けてもらっていることをいつも感じていたいなと思います。

いいなと思ったら応援しよう!