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幼児の頃の記憶

ある作家さんのエッセイに、その人の子供の頃の記憶が瑞々しい感覚で書かれていたのを読んで、私も今ある記憶をもっと時間が経って忘れる前に書き残しておこうと思った。

思えば私は比較的、子供の頃の記憶はある方な気がする。

しかし、写真で見る思い出や親から聞く話は逆にほぼ覚えていないので興味深い。子供の自分の観点から印象的だったことだけ覚えているのだろう。

幼稚園の時までの記憶である。

弟に母乳をあげている母にお願いして、私も母乳を飲ませてもらったが、味がなくて変に感じ、恥ずかしさもあって走り去った。母に悪いことをした気がした。祖父母の家だったが、どの部屋の扉から出たかも覚えている。

母の里帰り出産のために祖父母の家にしばらく住んでいて、時代劇をテレビで祖母と毎週見ていた。来週の話をしたところ、来週はもう帰ることを知らされ、切なさを感じた。

祖父と夕方散歩していたら、向こうから大型犬を連れた人が来た。怖くて祖父の後ろに隠れたら、祖父が私の前に立ち守るような体制を取ってくれ、とても安心した。

転勤に伴い幼稚園を転園するための最後の登園日の帰り際、祖母につられてタクシーに乗せられたが、私は泣きじゃくっていた。本当に悲しくて涙が止まらなかったというより、その別れのシチュエーションに酔って感情が高ぶっていた自分を認識していた。

父がまだ喫煙者だったころ、二人で買い物に出かけた帰り道にたばこを買った。ただ既にたばこは止める約束をしていたようで、「これはお母さんには秘密な」と言われたのを、帰ってきたら速攻母に告げた。子供は秘密に弱い。なんだかむずむずしてしまうのだ。

公園はいくつもつれていってもらったはずだが、昔住んでいた家の近くで、大きな水場があり、滝のように水が流れている公園を父と二人で歩いた記憶が懐かしいものとして残っている。なんという名前の公園なのだろうか。

祖父母の家に屋内ブランコと、滑り台、ジャングルジムが設置されて、自宅ではできないことが祖父母の家ではでき、舞い上がった。これだけが理由ではないが、祖父母の家は私にとって特別な場所だった。

サンタさんにもらいたいプレゼントを親にあえて告げず「風の谷のナウシカ」のメーベが欲しいと思っていたら、セーラームーンの歯ブラシが届いた。メーベが届いたらテレビに取材されるかもしれないなどと思っていた。しかし面白いことに、これで「サンタさんはいないのかもしれない」とは思わなかった。なぜなら、それ以前に外国のサンタさんから国際郵便で手紙が届いたことがあり、すっかり信じていたから。

ナウシカの髪型にしてほしかったが、美容院では恥ずかしくて言えなかった。

母が自転車の前に弟、後ろに私を乗せて出かけている時に、一時停止した時によろけそうになったところ、私が後ろから足をガードレールに当てて支えた。誇らしい気持ちになった。

電話に出て母に取り次ぐときに名前を覚えておらず、「何とかかんとかふんだららん」と言ったら後で叱られた(電話相手に聞こえているかもしれないので)。また、奥の部屋の衣装掛けの下の空間は危ないから入ってはいけないと言われたところ、そう言われると入りたくなるのが子供の性分。ともだちと一緒に入って遊んでいたところ、母が来た時にちょうど倒れ、叱られて号泣。幼稚園のお迎えに父が来た日に、帰るよと言われてもずっと遊んでいてひどく叱られた(ビンタ?)。


厳しく怖いと言われていた祖父(犬から守ってくれた祖父とは別の祖父)が、私とポーリーポケットで何時間も床に座って腰を丸めた姿勢で遊んでくれ、その様子に家族が驚いていた。

これ以外にも覚えていることはあるが、また特徴的なことを思い出したら追記したい。

案外、幼児の時の記憶は残っている。そして忘れてしまった記憶も、かけてもらった言葉、させてもらった経験、注いでもらった愛情は自分の中に活きているのだろうと思う。

楽しく愉快な幼児時代を過ごさせてもらったことに感謝したい。



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