作ってみて初めてわかることがある
なぜ作品を制作するのか?、
ましてやなぜ作品を人様に見せるのか?
と聞かれたことがある。
正直まだ自分の中で完璧な答えは出ていない。
そもそも作品を制作していても大半が苦しい。思ったような形にはならないし、予定は上手く行かない。頭の中は混沌とし、焦り苛立つ自分を何とか宥めながら作業を進めていく。
そこまで苦労して完成した作品は、そんな私の葛藤を感じさせない様子でそこに存在していたりする。
なぜそこまでして制作しているのだろうか?
何かを生み出す行為は自分の身を、命を削ることだと思う。
だから苦しい。
とにかく苦しくて苦しくて仕方がない。
でもその行為は自分の人生を前に進めてくれるものなのではないだろうか。
制作している時には、普段澄ました顔をしている時には出会うことのできないドロドロとしたマグマのように湧き上がる感情を垣間見ることができる。
愚かな自分と血を流しながら向き合い格闘し、作品として昇華した先にしか出会えない自分がいたり、いなかったりする。
そうやって作られたものは人の心を動かすんじゃないだろうか。
だから作品は、「見せる」ということに意味があるんじゃなくて、「見る」ということに意味があるんだと思っている。