「決意」をして、気がついたこと。
「もっとも無意味なのは、決意を新たにすることだ。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。」
経営コンサルタントの大前研一さんは「人間が変わる方法は、時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変える、の三つしかない。」という話をした後に、このようなことを言っている。改めて、核心をついた言葉だな、と実感する。
まずは検証。
①決意を新たにする
・いつ死んでも「我が人生に一片の悔いなし!」といえる生き方をする
・「時間の使い方は、そのまま命の使い方」なので、Beingで生きる後悔しない人生を過ごす
・子どもたちや次世代に、胸を張れる生き方をしたい
・そのために、会社貢献から社会貢献へシフトし、大きな円の弧になる
②付き合う人を変える
・退職し、会社員時代の関係性をリセット。同期のみが残る。
・この1年間で、様々な研修やコミュニティに参加し、400人以上の新しいつながりができる。100人は繰り返しお会いする機会のある濃いつながり、200人はゆる~いけど長く続くと確信できるつながり、100人はSNSあるあるのワンチャンつながりで、これからどう発展するかは未知数。
③時間配分を変える
・会社を辞めて、フリーになったので、結果として変わった。
・本質的に変わったか、は分からない
・圧倒的に娯楽(テレビ、遊び、ウェブ閲覧)の時間が減り、研修、セミナー、読書の時間が増加
・情報収集&コミュニケーションのためのSNS利用は「何かをやった気にさせる魔物」なので、利用方法や時間に、歯止めが必要。
④住む場所を変える
当面は変えないものの、将来の選択肢の1つなので「ないとは言い切れない」。ただ、家族の生活環境へのインパクトが大きいので見送り。
背景にあるのは「事情」と「小さなアクション」。
決意を新たにした後、どうして「付き合う人を変える」ことができたのかを、改めて時系列で振り返ってみる。そうすると、順番が異なっていることに気が付いた。出発点は、会社の中で味わった根の深い「絶望の闇」だった。一筋の光を求める中で起こった、2つの出会いを通じて、「自分で自分の人生をコントロールしている」と考えられる道に、踏み出すしていくことになる。
1つ目の出会いは「プロボノ」
プロボノは、「公共善のために」を意味するラテン語の「Pro Bono Publico」を語源とし、スキルを活かしたボランティア、という意味である。様々な会社で働いている、ミッションに共感したプロボノメンバーとともに、権力や権限が発揮されない中で、NPOの課題解決という「ミッションそのものが上司」という中で、プロジェクトを進める、という取り組み。「付き合う人を変える」の第一歩を踏み出したのは、この時。2019年5月。https://www.servicegrant.or.jp/probono/
2つ目の出会いは「オンラインサロン」
2019年12月下旬の研修で、急遽Zoomを使うことになり購入した「Zoomオンライン革命! 」。この本をきっかけとしてに、共創と共感を軸としたオンラインコミュニティに出会い、そこに「安心・安全な居場所」を得ることができた。今の多様な人とのつながりの起点がここにある。2020年2月。
「気がついてしまう」というショック
自分は、別に、決意を新たにしたかったわけではないんだよなぁ。むしろ、そんなことをしないで済むように、頑張って、踏ん張って、生きてきた。
たまたま、会社での絶望の闇が、新しい人との出会いを呼び込み、結果的に、生き方を見つめ直す、という道に足を踏み入れてしまった。ある意味、「気がついてしまう」ということは、本当にショックである。気がつかない方が幸せだったのかなと、ふと思い返すこともある。
とはいえ、外発的動機付けという、見えていなかった檻に気が付いてしまった以上、そこに留まることは、窒息するような人生を歩むことになる、という身の危険を感じたため、ある意味、やむを得ない事情によって、内発的動機付けという自分の「軸」に沿って生きるという選択に、辿り着くことになる。
コンフォートゾーンを考える
「コンフォートゾーン、ストレッチゾーン、パニックゾーン」という概念がある。端的に言えば、成長をしたければ、コンフォートゾーンを出て、ストレッチゾーンに身を置かなければならないが、勢い余ってパニックゾーンに入るのは危険、というものである。自分の選択を、この概念を使って振り返ってみる。
通常、コンフォートゾーンとは、安心、安全で快適な場所ということになるが、肌感覚としては「快適」というよりも「現状維持バイアスゾーン」の方が近い。快・不快はあっても、「リスクとリターンが読めている」という意味で、新たなリスクを冒してまで、飛び出す必要のない領域。なので、「時間配分を変える、住む場所を変える、付き合う人を変える」という行動には至らず、不連続な、自己変容につながるような成長はできない。
ただ、自己変容に至るには、大きなショックが伴う。絶望であり、怒りであり、悲しみ。それに、直面したときには、感覚的には、コンフォートゾーンの底が抜ける。コンフォートゾーンの崩壊。私の場合は、既にかなりひび割れた状態だったが、人によっては突然崩壊することがあるのだと思う。その先に待ち受けているのは、「パニックゾーン」。そして、パニックゾーンからの、リカバリーの旅が始まる。
雲を取り除くと、太陽が見える。
リカバリーの旅の最初にやることは、しっかりと休養し、「立ち止まる時間」を確保すること。そこから、自分の内面を掘り下げる。自己共感をしてく。「あるべき自分ではなく、ありたい自分」を考える。「今のままではなく、ありのままで、我がまま」な自分を考える。イメージとしては、太陽を求めて、どこかに探しにいくというよりも、太陽を見えなくしている「雲」を取り除いていく作業。太陽は、元々、存在している。ありたい自分、ありのままの自分は、既にいる。ただ、それが、人生を生きていく過程で、色々な雲に覆い隠されて見えなくなってしまっているだけ。パニックゾーンからのリカバリーのために、こんな問いを立てながら、雲を取り除いていく。
自分は、どうして、決意を新たにしたいのだろう?
決意を新たにすることで、どんな自分になりたいんだろう?
そんな自分は、本当になりたい自分ですか?
そこにワクワクはありますか?
誰かが求める「理想の自分」を求めていませんか?
本当に「愛」は、「I」は、ありますか?
こうして、一筋の光を見出し、その光に向かうため、結果として、決意を新たにすることにとなった。
最後に。意志決定の3つの心得。
パニックゾーンから決意を新たにする、つまり人生にとって重要な意志決定をするときに、考えたことが3つある。
1つ目は、どんな意志決定をするかということの前に、「どういう状態で意思決定するか」が大切である、ということである。疲弊している状態は、判断能力が落ちているので、そもそも重要な意志決定をしてはいけない。そのために、コーチングを受けながら、慎重に自己検証を重ねてきた。
次に大切なことは、「誰のため、何のために意志決定をするのか」。ここの内省が欠けると、自分を犠牲にする道を歩みかねない。自分のため、他人のため、のバランスは、その人の個性であり、状況によって異なるので、決まった正解はないと思うが、その重なりがなるべく大きい領域を見つけたい、と思う。とはいっても、何度も振返って、迷うことはある。人に話すときは、ついついカッコよく話すが、実際には色々と心揺らぐこともある。むしろ、人にカッコよく話すことを通じて、自己強化をしているのかな、と思う。
そして最後は、「一度決めたことであっても、目的や状況が変わったら、アップデートして構わない。」ということ。自分の人生のハンドルを握っているのは、常に自分にしておく、ということ。意志決定したことに、ハンドルを握られてしまったり、他の人にハンドルを握らせてはいけない。自分は、必ず運転席にいて、ハンドルを握る。目的地を変えるかどうか、ルートを変えるのか、アクセルを踏むのかブレーキを踏む、休憩を取るのか、ガソリンを入れるのか、その選択は「自分で決めること」なので、何かに、いわんや、誰かに、委ねないよう、注意しないといけない。
今回の締め括りとして、『トム・ソーヤーの冒険』の著者として知られるマーク・トウェインさんの言葉を書きとめておく。