#157 ありがとう、青木真也
青木真也vs.ジョン・リネカー(ONE 165:2024年1月28日、有明アリーナ)の雑感のnoteです。
青木真也、最後の闘い
客(青木真也はファンを「客」と言うので、ここでは「客」と表現します)にそう感謝の言葉を述べリングを降りた青木真也。
カード発表記者会見では「世界トップクラス、最高峰の舞台で、最高峰の選手と戦うことができることが最後」と語り、大会の公式ビジュアルにも「青木真也、最後の闘い」という文字が躍った一戦。
客であれば見逃せない一戦。
客であれば最後の闘いを見届けなければならない一戦。
客としての真価を問われる一戦。
青木真也の客である私はこの一戦を見なかった(見たくなかった)。
理由は色々とあった。
「若手の踏み台となる青木真也」
「体格差に屈する青木真也」
「自分の限界嘆く青木真也」
現在はMMAとグラップリングマッチで4連敗中。ここ最近幾度となく目の当たりしてきた光景をまた見るのは辛すぎた。
今回の対戦相手は元UFCファイターで、17歳下の強豪セージ・ノースカット。オッズはセージ・ノースカットを支持し、昨年、不惑を迎えたこともあって、デジャブのように辛い光景を目の当たりすることは想像に難くなかった。
だが、そんな私の予想は思わぬ事態で裏切られてしまうことになる。
それは試合開始1時間前にセージ・ノースカットがコーチのビザ問題を理由に試合をキャンセル、急遽対戦相手がリザーバーとして準備していたジョン・リネカーに代わる緊急事態に陥ったのである。
ジョン・リネカー(33=ブラジル)は元UFCファイターで、元ONE世界バンタム級王者だが、青木真也からすると2階級下で、体格的なアドバンテージを得て試合ができることなったのである。
実際に、これまでのように体格差に屈することなく、1ラウンド、リアネイキッドチョークで一本勝ちを収め、トップファイターであることを証明してみせ、冒頭の言葉を残して最後の闘いを終えたのだった。
歴史にもしはないが、中村寛vs.ジョン・リネカーのオープンフィンガーグローブマッチが実現していたら、青木真也の最後の闘いが実現することはなく、このままリングを去る事態に陥る可能性もあったのである。
戦前、青木真也はこの試合の意義を問われ、最後の闘いに立ち合わなかった自分は客ではないことを実感した一日であった。
セージ・ノースカット欠場から試合決定までの舞台裏
セージ・ノースカットの2人のコーチのうち、1人が就労ビザを持っておらず、帰国したため試合をキャンセル。
ONEがタイ・ルオトロをセコンドにつけると提案するも、これまで一緒にトレーニングしてきたコーチでなければ、ベストパフォーマンスを発揮できないことから、この提案を拒否。
マッチメイカーが青木真也にジョン・リネカーとの試合を打診するも、この一戦にかけてきた思いが強く、試合をできる精神状態ではないことから拒否すると、チャトリ・シットヨートンが直接青木真也を説得することに。
青木真也とチャトリ・シットヨートンはかつて選手とコーチの間柄で、兄貴分的な存在だったこともあり、そのような人物から出場を懇願され、興業を成立させるプロ格闘技選手として試合を引き受けたのだった。
あとがき
青木真也の試合を見ることで、これまでたくさんの感動、勇気、元気をいただいてきました。
特にDREAM時代は運営会社の経営が傾き続けているにもかかわらず、団体を背負い続けて、最後までなんとか日本に格闘技の熱を取り戻すべく活動するもDREAM.18(2012年12月31日)をもって活動を休止する憂き目にあいます。
当時、20代前半だった青木真也以外にDREAMを盛り上げるべき存在だった先輩ファイターたちはお茶を濁す試合をした挙句、UFCに移籍。試合をせずに解説席で高みの見物をした挙句、UFCに移籍などなど身勝手な行動をとってますます運営会社の経営難に拍車をかけることに。
20年近くPRIDE、DREAM、ONEとメジャーの舞台でトップ選手として試合を続けてこれたのは日々の努力の賜物にほかならず。青木真也以降、世界でも結果を出した史上最強のメイド・イン・ジャパン堀口恭司、路上の伝説朝倉未来など時代を彩る数多のファイターが現れましたが、こんな日本人ファイターは、そうそう出てこないのではないでしょうか。