能登に行く度 想うこと
少し前 友人たちと能登へ行ってきた。
今回行く予定はしていなかったけれど 丁度空いていた3日間。
急遽便乗させてもらい 2泊3日でみんなで珠洲の馬緤へ
お弁当を作りに行った。
今回で能登へ行くのは今年に入って4回目
毎回、感じることが違う
正直なところ 家が屋根から落ちていて 電信柱が傾いていて 1月にショックを受けたこの景色にも目が慣れてしまった
まだまだ道もボコっとしているのに 随分とよくなったなと思ってしまう
(地震より水害の被害が酷かったという地区には今回は行っていない)
建っていた建物がなくなっていて
更地が増え 津波の被害が大きかった地区は建っている家の間から海がよく見えた
何度も寂しい気持ちになる
そんな中でも話した方は皆温かく明るく
疲れてるに決まってるだろうけど かけられる言葉なんて思いつかないので こっちもいつも通りに笑顔で話す
能登に行くことは できることがいくらでもあると思うんだ
ある日突然たくさんのものを失って
どうにか日々を生き抜いて進もうと奮闘している人たちがいる
先が見えないと今までも何度も聞いた皆さんが 同じ場所で日々を生きている
マッサージさせていただく人は みんないつも肩が張ってる
行って 聞いて 5分マッサージして 1杯コーヒー淹れるだけでも 誰かにとっての一瞬の癒しになるのなら 行く意味がきっとある
だから 行ってできることがあるかな?
と思う人には ぜひ行って欲しい。
普段 出店で能登の募金などをキッチンカーに置いていると、自分は何もできていないと言われる方もいる
行きたいけれど行けない状況だからと、募金してくれる方もいる
ついつい 能登に行くと、
同じ日本でこんなに傷付き頑張っている土地と人がいるかと思うと 行った自分は伝えようと思ってしまうけれど、これは日々の生き方だと思うんだ
今この瞬間孤独な人はたくさんいると思うし
居場所がないと感じている人
目の前の人がどんな状況かなんて わからない
自分のことは 自分で乗り越えていくしかないけれど ほんのちょっとした優しさで救われることは 互いに沢山あると思う
だから 日々いただいた優しさを循環できるよう 自分の心に素直に生きる
能登からの帰り道
いつも感じる同じこと。
全ては当たり前じゃないし 明日 暮らす場所があるかもわからないし 生きているかもわからない
同じように 友がいるとも限らない
だから いつも 今この瞬間。
たくさんのことにまるをつけて 目の前を生きていきたい