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不登校に理由など無い。中学生活半分を不登校で過ごした私の不毛な虚勢人生

今現在の私は、イケてる女性を追い求め日々必死に生きています。人と比べる必要は無いのだけれども、恐らく人よりも”かっこよく生きたい欲”が強いと思います。恐らくちょっと病気なんじゃないかってレベルで(笑)。強迫観念とすら言えるかもしれません。
多分、これが発端だなあ、と自分で思うエピソードがあります。別に理由なんてなんでも良いんですけどね。
ちょっと昔話にお付き合い下さい。

小中高と学生生活を送ると、学年に一人は居ませんでしたか?不登校の子。
それ、私です。

1.「今日はしんどいなあ」が毎日続く

それは、中学2年の夏休みが終わった9月でした。2学期初日である9月1日の授業を問題なくこなした私は、次の日に行われるテストが憂鬱でなりませんでした。
次の日、なんだか少し体調が悪かったんだと思います。気合を出せば問題なく登校出来たのですが、テストがあることも相まってなかなか布団から起き上がることが出来ませんでした。
言い訳と小芝居が得意だった私は、適当に言い訳をしてその日の学校を体調不良として欠席しました。
「明日から頑張るか…」とゴロゴロさぼった日を謳歌しました。

しかし次の日、私の身体は動きませんでした。頭ではいい加減学校に行くべきことは分かっていました。でも、なぜか身体が動かないのです。
「今日もなんだか体調が悪い。」そう母に言ってまた布団に潜りました。
母が学校に電話をする声が2階の私の部屋まで漏れ聞こえて来ますが、私は聞こえないふりをしました。

そこから1年半、私は両の手で数えられる程度しか学校に出席していません。

学校に行かなくなって1週間ほど経った時、母が心配そうにドア越しから私に尋ねました「学校で何かあったの?」と。何かあったら良いのに。私はそう思ったのです。自分の行動に何か理由が欲しかったのです
いじめでも良い。先生とぶつかり合ったでもいい。悪い友達の影響でもいい。
自分がそうした理由を作りたくて作りたくて堪らなかった、でも私は「なんとなく学校が面倒臭くなった」だけの人間でした。
私の母は、いまだにあの時私が何故不登校になったのか分からないままだと思います。私も理由があったら作りたいと未だに思っています。理由を付けて、今でも逃げたい気持ちが心に住み付いています。


2.たまに学校に行くために自分に設定を作る

この頃から私は自尊心が高く、”不登校の子”というレッテルを貼られることが嫌で仕方ありませんでした。どうしたら憐みの目を向けられずに学校での時間を過ごせるのか。考えた私は「学校とかダルいから来る気ない、暇になったらたまに顔出すよ」というちょい不良設定を無理やり作り出していました。
今思えば、周りは私に合わせてくれていたのだと思いますが、当時の私はその設定を律儀に守って、たまに学校に行った際は不良で校内ヒエラルキーの上位にいるような友達と仲良く談笑していました。

学校に行けないのではない。行かない、という選択を自分で選んでいるのだ。

ラッキーなことに私が虚像で作り出したこのポリシーが何人かの友人に響いて、私のクラスは3~4人が不登校状態となりました。
他の不登校の友人たちは、年上の厳ついお兄様達と交流を深めているようでしたが、私はあくまで虚像不良なので、ただ家に引きこもっているだけです。
中身はただ学校に行く勇気がでない、しょうもない中学生でした。

3.どこかで軌道修正をしたい(高校受験編)

いつまでもこんな生活ができるとは思っていませんでした。
私に訪れた第一の転機は高校受験です。当時、地元では公立の女子高に行くことがステータス、一流であるとされていました。しかし私は自分という存在を知る人が居る高校には進学したくありませんでした。
不登校であることが知られない、まっさらな自分で高校3年間を送りたかったのです。
計画は見事成功しました。県外の公立女子高を受験し見事合格。
公立女子高というステータスと、新しい人間関係の両方を手に入れることに成功しました。

悔しいことに、あの日の風景は今も昨日のことのように思い出せます。
私の合格した高校は、苦労を掛け続けた母の母校でもありました。
同じ制服を見せてあげられる。これで普通の学生に軌道修正が出来た。セーラー服と冬の空気の匂いがこれからの人生を祝福しているようでした。

4.一度ずれた人生はなかなか元には戻らない

高校生活は楽しいものでした。学力が近い人が集ると、変な腹の探り合いもなく関わる人皆、愉快な仲間たちでした。調子に乗った私は「生徒会書記」や「文化祭実行委員」などリア充街道を走り抜けていました。

ちょっとエンジンをふかしすぎたのですね。
秋に文化祭が終わると、次の日に”アレ”がやってきました。「なんだか体調がよくない」のアレです。
確かに誰が見てもわかるレベルで張り切っていた私、燃え尽き症候群のような要素もあったのでしょう。
今日だけは、自分を甘やかしてしまおう。
そう思ったが最後、私が自分に厳しくなる日は訪れませんでした。

2日も休めばしっかり学校に行き辛くなりますし、生徒会やらなにやら派手に動いていたら尚更。失速したのは明らか。居もしない誰かに嘲笑われているような気がして余計に体が動いてくれませんでした。

中学と違うのは、高校には「留年」という制度があること。もう義務教育ではありませんから。
あっという間に出席数が足りなくなり、あと1日休んでしまったらあなたは留年しますと宣告されてしまいました。12月でした。春まで踏ん張れば出席数はリセットされる。でも自尊心がズタボロになった私は(自分で勝手に自滅しているだけということに気が付かないのです)、もう1日たりとも登校することはできなかったのです。

その頃になると、もう家族にも弱いところを見せられなくなりました。
というより、思えば私は人生で一度も家族に自分の弱いところを相談したことがありません。そういう生きづらい人間に自分で自分を作ってしまったのです。
家族が心配そうに私に声をかけるその音すら、腹立たしくて堪りませんでした。私を心配しているのではない、自分が安心したいだけでしょう?そう何度か母にぶつけたこともありました。
今なら思います。「そりゃそうだろう」と。それの何がいけないのでしょう。でも当時の私にとってはいけない事でした。無償の愛、ならぬ無償の無関心以外欲しくなかったのです。

5.もう一度軌道修正したい(高校編入/上京編)

何度でも言います、このままではいけない。
でも不登校というレッテルから逃れたい、それも自分の努力ではなく”新しい環境”で。私に残された選択は、新しい場所へ行くことでした。しかし、不登校になったから学校を変えるというシナリオは自尊心の高い私にとって許されるものではありませんでした。何か尤もらしい理由を作らなくてはならない、前向きな理由で新たな地に向かわなければいけない。
自尊心お化けなんです。こうやって文章にして振り返るとより感じます、これは割と病気です。
今はこんなにあっけらかんと自分の所為であることを認められますが、当時はそんなこと私が許しませんでした。そして私は出会ったのです、最高の言い訳に。

それこそが、私の現在の仕事にもつながる「エンタメ業界」への道でした。
女優にになりたいから上京する!すっげーカッコいい理由です。マジで最高の言い訳です。
ここまで決まれば行動力の早い私、都内で開催される俳優養成ワークショップに履歴書を送り見事通過。時同じくして芸能活動をしながらでも通学できる通信制サポート校をリサーチ、編入面談の日取りまで組みました。
併せて、学生マンションの候補を2件ピックアップ、面談と同じ日に内見を予約しました。この間たったの1週間…その気合あれば学校行けるじゃん…
自分でも思いますが、それとこれとは別問題でした。

もう逃げ場はないというくらいに上京までの段取りを固めた私、
一度決めたらテコでも動かない、加えて今まで死んだように引きこもっていた娘がハツラツとプレゼンをする姿に諦めた両親は私を東京に送り出すことを決めました。

16歳での上京、旅立つその日
小学校からの同級生たち6人ほどがそれぞれの高校をさぼって見送りに来てくれました。まるで夢に向かって走る友人を応援してくれているようでした。一応その設定でしたから。色紙まで頂いたのです。
そして、私は自分が勝手に作ったレールに乗って進み始めたのです。
高校1年の1月でした。


20代後半になってようやく向き合えた”不登校”

そこから先の話は、少し趣向が変わってくるのでまた次の機会にお話したいと思います。

ただ、無理やり一人暮らしを始めた私は、強制的に大人にならなくてはいけなかったので
あのどうしょうもない引きこもりからは少しは脱却することが出来ました

…数年後にまた事件は起こるのですが…(笑)
それは次回のおたのしみに。

ここではただ、私の体験談をつらつらとお話してきました。
”不登校”というワードは、デリケートであることに違いはないと思いますが、皆さんが思っている以上に身近なものであるし、何がきっかけで不登校になってしまうかなんて分からないものだと思います。
立派な理由などなくとも、不登校にはなるんです。そしてそれが一番厄介だったりするのです。

この記事をご覧くださった方の中には、検索ワード不登校などでたどり着いた人が多いと思います。ご自身が不登校なのか、ご家族が不登校なのか、理由はそれぞれだと思いますが多くの人が悩んでたどり着いていると思います。
ごめんなさい、私は素敵なアドバイスができません。なぜなら私は今も”不登校の自分”と闘っている最中だからです。

導入部分で言っていた、”かっこよく生きたい欲”は今も不登校のレッテルと格闘しているダサい自分の現れです。そういう設定で死ぬまで生きなきゃいけないゲームを作り出してしまったのです。
滑稽でしょう、自分でも分かっているのですがリセットの仕方が分からないのです。
そんな私は、今、こうやって自分の性格を笑ってネタにできるようになってきました。そして出来ることなら穏便にこのゲームから引退したいなと思っています。とっても重い鎧ですが、少しずつはぎ取って本体の弱っちい自分を、そろそろ愛してみても良いかなと思えるようになってきたのです。

私から言えることは、不登校体質は治すものではなく付き合っていくものであるということです。
私が今困っている人に何かできるとしたら、この滑稽な自分を晒すことだと思います。こんなにバカみたいな生き方している人が居る、まだ自分の方がマシだわ。そう思ってもらえたら本望です。

嘘をついても、かっこ悪くても、じぶんを守ることが一番優先していいことです。
私は、へったくそな自分の生き方も趣があって愛おしいですね

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