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『裸の聖書』22. 新生児さえもすべて絶滅させよ: ヤハウェの言葉 -1

こんにちは、もんぱちです❣
情報戦争につき、必要な情報をできる限りお届けするため『裸の聖書』を翻訳して拡散しています。

最近プライベートで少し環境の変化があり、翻訳に割く時間がタイトになってきました。なので、週一更新でいこうと思います。

ヤハウェが登場しましたね。
しかしその人物像は慈悲深く神秘的な存在とはとうてい思えません。ボブ・ディランも同じように感じたから、象徴的な曲を作ったのかもしれません。本当に聖書は神について語っているのでしょうか?

前回の記事はこちら↓↓↓

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新生児さえもすべて絶滅させよ: ヤハウェの言葉 -1

「神はアブラハムに言った、『わたしのために息子を殺せ』。アブラハムは『まさか、わたしをからかっているのでしょう』と答えた。」

1965年のボブ・ディランの芸術を象徴する曲であり、聖書の引用がふんだんに使われている曲『追憶のハイウェイ61』の冒頭の歌詞だ。
曲の歌詞では、対話は劇的である。イサクを殺すという考えに抵抗するアブラハムに、神は逆らったらどうなるかを告げる:

「神は言った、『好きなようにしたらいいアブラハム、だが次にわたしが来るのが見えたら、逃げたほうがいい。』」

イサクの犠牲は―父親が息子を屠ることを決意した後、天使によって土壇場で阻止されたが―創世記第22章に登場する。
イサクは背中を岩に押しつけられ、ナイフの刃はすでに喉元に向けられている。息子は本当に殺されようとしている、しかも残虐な方法で。
デンマークの偉大な哲学者セーレン・キルケゴールは、1843年に出版されたエッセイ『おそれとおののき』の中で、アブラハムを『信仰の英雄であり、並外れたキリスト教の模範』と定義している。
一方ボブ・ディランは、この『神聖な』命令を単純で残忍な脅迫としか見ていない:お前が息子を殺す決心をするか、さもなければわたしがお前を殺すだけだ。
マフィア映画―そのほとんどが実際の事件に基づく物語―のファンなら、あまり啓発的とは言えないエピソードを思い浮かべるかもしれない。逮捕された殺し屋たちは、まさにこの種のぞっとするような犯罪から『キャリア』が始まったと告白する:ボスへの絶対的な忠誠心を証明するために、友人や親類さえも殺すのだ。
誤解は解いておいた方がいい。自分の子どもを殺すことを求められて恐怖におののく人が、冒涜的な意図を持っていると見る人はまずいないだろう。そして率直に言って、キルケゴールに敬意を表しつつも、このような衝撃的で残酷な要求の中に、キリスト教的なものはおろか、超越的で愛情深い神性を見出せる人がいるのだろうか?
「答えは、もう一度言うが、非常に簡単だ。聖書は宗教書ではない。実際、この本は神について語ってなどいない。」とマウロ・ビグリーノは言う。
忠実な信者たちが2千年もの間向き合ってきた、霊的な神について語っていないという意味でだ。
では、旧約聖書は誰について語っているというのか?
ヤハウェだ。その中で言及されている多くのエロヒムの一人であり、若いヤギのように生け贄に捧げられようとしていたイサクの子、ヤコブの子孫が割り当てられたエロヒムである。
そしてこれは単独の出来事ではない。ある時期、やはり『ボス』の命令によって、長子は屠殺用の肉となった。
ぞっとする?そう、しかし聖書的だ。

『わたしは彼らを彼ら自身の供え物で汚し、すべての長子を生け贄に捧げさせた』とエゼキエル書の中でヤハウェ自身が認めている。
『彼らをひどく狼狽させ、わたしが主であると認識させた』、つまり主権者であり、絶対的な指揮官であると、彼は認めたのだ。
一言で言えば、冷酷だ。人命などまったく顧みない。容赦ない残忍さで命じられた虐殺に次ぐ虐殺。
そう、『ヤハウェは彼の民であるイスラエルの民の敵に対し、常に無慈悲であることを示してきた。』
彼の目的は何だったのか?
「単に領土を征服し統治するためだ。」
真実は、聖書は本質的に戦争について書かれた書物である、とビグリーノは続ける。そして実際、この種の出来事が山ほど書かれている。パターンはいつも同じだ。『ボス』が命令を下し、部下がそれを実行する。そして、部下たちはためらいもなくそれを実行する。実際、彼らは本当に熱意と情熱をもって殺人を行う。
「例えば、ヨシュア記を引用してみよう。第10章には、イスラエルの民がヤハウェの命令を非常に満足して実行したとある。」
ヨシュアは、勝利を収めた戦いの記録のようなものをまとめる中で、征服した多くの場所を列挙している。
「ヨシュアはイスラエルの民全員を率いてデビルに引き返し、そこを攻撃した。彼はデビルとその王、およびそれに属するすべての場所を占領し、彼らを剣で打ち殺し、そこにいるすべての生き物に絶滅の災いをもたらした。彼は誰ひとりとして生かしておかなかった。」と記されている。
その後リブナへ移り、そこでも同じように振る舞った。そしてその繰り返しだ。リストは非常に長い、呆れるほどに。戦士たちは大挙して、血の海を作り出した、男も女も、子どもも老人もだ。誰1人として逃れることはできなかった。
「こうしてヨシュアは国全体を征服した。高地も、ネゲブも、低地も、水の湧き出る麓も、そしてすべての王たちもだ。」
さらに、「イスラエルの神ヤハウェが命じられたように、一人の生き残りも許さず、すべての生き物に絶滅の災いをもたらした。」
ヤハウェの命令により、イスラエル人は最も平和な共同体であっても虐殺することに何のためらいも持たなかった、とビグリーノは指摘する。
「士師記には、彼らがライスに到着したとき、平和に暮らす人々を見つけたと書かれている。住民は無害で、敵対的ではなかったので、彼らは安全だと感じた。しかも、ライスは彼らを助けてくれそうな町から遠く離れていた。そのため、彼らダン族の者たちは到着するやいなや、その平和な民を剣で打ち殺し、町を焼き払った。」
エロヒムの残忍さを浮き彫りにするもう一つのぞっとするような話は、民数記の31章にあり、ミデヤン人を絶滅させるための闘争について書かれている。
「ここで注目すべきは、ミデヤン人はアブラハムの直系の子孫であり、イスラエル人と非常に近い親戚であったことだ。しかし、ヤハウェの命令は彼らを全滅させることだった。」
しかし今回は、そうはならなかった。31章には、モーセが『遠征から帰ってきた軍の指揮官たちに腹を立てた』とある。
モーセは彼らに言った。『女たちを全員生かしておいたのか?今すぐ、子どもたちの中のすべての男たちと、男と結ばれたすべての女たちを殺せ。』
命令は繰り返されなければならなかった:皆殺しにせよ。
では女の子たちはどうなったのか?




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新生児さえもすべて絶滅させよ:ヤハウェの言葉-2へ続く
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QAJF隊員のnote


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