サラ・モリス「サクラ」と都市のスケープ
大阪中之島美術館開館プレイベントということで、なにわ橋駅の構内にあるスペースで映像作品を上映していた。
大都市大阪の諸相を切り取ってつなげた50分にわたる映像作品で、工場内部から交番にいたるまで様々な局面が映し出される。ジャンルとしてはドキュメンタリーなのだろうけど、(けど、なんて言ってはいけないかも)極めて美的に構成されている。都市は、とくに都市のデザインされていない部分はつねにすでに奇妙だ。異なる時代の無数の建築物が入り乱れ、人間が手の加えようのない天文現象を背にしたそれらの上を人が行き来している。
こうした都市の様々なスケープは、たとえば映画なんかにはめ込まれているとこってりと感傷的であったり、日常とかけ離れた境遇に放り込まれた主人公とかの現実世界との乖離を強調するために使われたりすると思うのだが、ここには物語もキャラクターもない。
抽象的な視覚情報は、意味みたいなものの次元をすっ飛ばして――あるいは、気付かせないままに――脳、あるいは私たちの意識にダイレクトに到達してくるように思える。こうした映像を「あっスカイビルだ!」という仕方で楽しむこともできるんだ、と驚きながら、徹底した美意識、あるいは美的な構成意識と、どちらかといえば陳腐に思える批評性とを眺めて、50分という時間がすぐに過ぎた。
会場を出て梅田までブラブラ歩いていると、その小一時間の間にすっかり視力が矯正されたかのような感じに驚いた。全てのものが過剰に美しく見える時間だったにしても、なにかこう、見るべきものがクリアに見え、向こうから飛んでくるかのようだった。それは大阪の真ん中で大阪のあちこちを写した映像を見たことによるのかもしれない。スナップが好きだし、色んなものを見ようとしているつもりだったけど、そういう目はちょっとしたことの積み重ねですぐに曇る。そういうときにこれを、この場所で観られてよかったと思う。
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