会話のカリカチュア、天使と(ジム・ジャームッシュ『パターソン』覚え書き)
ところはニュージャージー州パターソン。市と同名の主人公パターソンは、スマホもPCも持たず、バスドライバーをしながら日々ノートに自作の詩を書き留めている。夜は犬の散歩に行き、バーでビールを一杯飲んで帰る。妻は仕事をしていないようだが、絵を描いたり、室内を装飾したり、ギターを弾いたりしている。
このパターソンを、普通の意味で人物だと思ってはいけない。市内を回遊しながら車中の会話を聞いている彼はさながらヴェンダースの天使たちで、しかし聞いていると思うのは画面がそれをパターソンの顔と交互に映すからであって、実際には運転に集中しているのかもしれないと言えるくらいには、彼と乗客は切り離されている。終始穏やかで達観したような彼の激しさが愛の詩の中でだけ表明されるが、愛の詩が、あるいは詩が、個人に宛てられうるものなのか分からない。
観客がおそらく最も違和感を抱き続けるのは、彼と妻ローラの会話だと思う。パターソンの返事は常にほんの少し遅れ、そしてほんの少し正しすぎる。それは彼に何かしら記憶の問題があることをほのめかしているようにさえ思う。バーに新しい写真が貼られれば気づくし、出会う人の名前も出来事も記憶しているし、出会った少女の詩も覚えている。しかしローラとの会話では、単にからかっているとも感じにくいような忘れ方をするし、犬にノートを破かれたときに彼女が「最近の詩をいくつかでも読んでくれていたら、私が覚えていたかもしれないのに」と言うのも示唆的だ……が、ここから何が言えるかまだちょっと分からない。
書きためた詩がバラバラに無くなってしまい、気晴らしにであろう散歩に出かけたパターソンは、気に入っている滝(滝というものウィリアム・カーロス・ウィリアムズから来ているモチーフなのだが)の前で妙な話法を使う(というかあまり英語が上手くない)日本人と出会う。彼は詩を愛し、自らも詩を書いている。この男もまた、普通の意味で人物だとは思えない。以下は彼の台詞である。
but may I ask...you are from here in Paterson, New Jersey?
...
Excuse me again... but are you knowing the great poet, William Carlos Williams here in Paterson, New Jersey?
...
May I ask, you too are a poet of Paterson, New Jersey?
...
I come here to the city of your interesting poet...William Carlos Williams who lived and made his poems here in Paterson, New Jersey.
...
Also, Allen Ginsberg is growing up here. Also, Paterson, New Jersey.
"Paterson, New Jersey?"という、わざわざ州名をつけて繰り返すのは詩におけるリフレインといえると同時に、パターソンその人を個人という単位から切り離す。パターソンは地名であり主人公の名であり、彼も愛読する詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの代表作の題でもあるわけだから。男はパターソンに一冊の白紙のノートを贈って去る。白紙のページの方が可能性を見せることがあるからと言って。彼もまた天使だ。
漠然とだが、映画っていうのは生きた人間の1つの肉体を使ってそこに極めて抽象的であったり複数的であったりすることがらを重ね合わせてしまえる稀有な形式なんだなあと思ったりもした。
初ジム・ジャームッシュ、初アダム・ドライバーでした。
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