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♡寄稿のお知らせ♡『異界観相 vol.2』「顔を上げて、口を閉じて――小石清「半世界」論」

 なんだかいまいち覚えていない理由でバタバタしており、すっかり宣伝が遅くなってしまいました。『異界觀相』、昨年は山中散生の詩について書かせていただいたんですが、今年は写真家、小石清の連作を論じております。持っているだけでかっこいいのでぜひお求めください。

 さて、小石清です。今年の始めに東京都写真美術館で行われた「アバンガルド勃興 近代日本の前衛写真」展に「半世界」10点、《疲労感》、《叫喚》が展示されており強い印象を受け、「迷子なのか?」というテーマをいただいたときに、これしかないと思ったのでした。(写真図版は紙面に引用させてもらってるので是非見てくださいね。)「半世界」は彼が従軍カメラマンとして中国南部に赴いた際に撮影された写真がもとになっている連作なのですが、ジャーナリスティックな写真とは異なり、写っているものはなんだかよく分かりません。彼は戦前の大阪で、実験的で鮮烈なイメージをつくりだす新興写真の騎手として活躍した人物だったのです。あのマン・レイが秘密にしていたソラリゼーションの方法も、苦心に苦心を重ねて再発明したりしています。しかし、戦況が深刻になるにつれ、前衛は共産主義だということになって弾圧が強まり、写真関連の物資も制限されていく一方、優れた撮影技術を持つ写真家たちは、戦時宣伝のために国にリクルートされることになります。そうした状況で、南支と呼ばれた異郷で何を見出し、何を作り得たのか……といったことを書いています。

 日本の戦後の写真については木村伊兵衛から森山大道から、かなり色々なことが語られていますが、戦前については随分言説が少ないです。飯沢耕太郎による歴史化が主要な参照軸になると思いますが、ごくおおざっぱに言えば、絵画のようなイメージを作るピクトリアリズムから、新即物主義やシュルレアリスム(この2つを「や」と並べるのは本当はへんてこなんだけど、しかしなんだかそんなことになっている)の影響を受けた新興写真へ、という流れがあり、その原動力となったのは各地の写真クラブを中心としたアマチュアの団体でした。ようはブルジョワのおぼっちゃんの集まりですが、そこで作られていった作品はとにかく見ていて面白いし、技術的にも重要なものです。さらに、大阪のリーダー格だった安井仲治は理論的、歴史的な洞察にすぐれていた人物でした。

 かたや小石はというと、なんだかそうでもない。写真雑誌に掲載されたエッセイなんかを見ると、しばしば言を左右にし、つかみ所のないことを書いているし、厳粛なというよりはうっとりしたところの多い人のようです。しかしまあ、写真乾板(フィルムの前身だったガラス板)を割ってから現像したり、夜景の写真の上で時計の写真を動かしながら焼き付けたり、不思議なことを色々やっています。彼が著した『撮影・作画の新技法』を読んでいると、見えるものをまず過不足なく定着させるという透明な技術と見たことのないイメージを出現させるカラフルな技巧は表裏一体なんだな、と思わされます。『コレクション・モダン都市文化 第41巻』に再録されているのでぜひ。

 そんなとにかく面白い写真を撮った(というか作った)小石清ですが、褒められ驚かれそれなりに語られている一方で、いまいち作品が分析されているとは言えません。それは小石特有の事態ではないと思うのですが、それはともかく、色々な評を読んでみると、とりわけ「半世界」について象徴的、隠喩的な解釈をしているものが非常に目立つんですね。それは一体なんなのかということ、もし作品がそうした言葉を誘発しているのだとしたらどうしてなのか、それを考えた上でもう一度、彼の置かれた歴史的状況と達成を導き出してみよう、というようなことをしています。

 vol. 2はまだしっかり読めていないのですが、みたところ、すごい詩と短歌が載っています。vol.1 の小説はめちゃくちゃ面白い。伊東さんの巻頭言もイチオシです。一緒に盛り上がりましょう。

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