無言に耳をすますパフォーマンスフェスティバル 『ZIPPED』

 お口チャック、という意味での"zipped"。言葉を制限したパフォーマンスフェスティバルがオンラインで開催されていて、オンデマンド配信で見ました。BGMや台詞は使用せずに行われるけど、音を重要なところで使ったパフォーマンスが割とあったな、という印象。それから、オンライン配信ならではなのだろうけど、カメラワークを使用したものも多かった。

 視覚的、身体的なものについて書く自分の言葉の貧相さが恥ずかしいのだけど、とりあえず気になったものについてだけ書き留めます。

 百瀬文さんの「I.C.A.N.S.E.E.Y.O.U」についてはnoteに書かなかったかな、と思ったがtumblrだった。乱文だけど内容についてセルフ引用。

画面のなかで、ものがよく見えないときにする目をつぶって開いて、という動作をしている人がいる。観客に向かって。しかしいっこうに像を結ばないらしく、顔中の筋肉を使った強いまばたきがくり返される。のを、観客は鏡像の位置でぼーっと見ている。けれども、この瞬きはモールス信号なのだという。この人は、くりかえし"I can see you"と伝えている、けれどその動作は見えていない人の動きで、映像のなかの人は私が見えないにもかかわらず私はそれをみて、しかもその発せられたメッセージを分かっていない(後から知った)。
https://mononohon.tumblr.com/post/190354306463/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E3%81%A7%E3%81%BF%E3%81%9F%E3%82%82%E3%81%AE

 それをZoom上で行うというものだが、当日のみだったのでこれは観られていない。

久保田舞「Thread the Needle Day」:ダンス、なのだと思う。物体に制約された身体(これは勝手な解釈かもしれない)が、椅子や机の隙間をまさに「縫う」ように動く。最後に糸が外れた体は物体から遠ざかっていく。自由でないと思われる体も、自由になったと思われる身体も振り付けは同じようで、拘束されたさまを描いているに違いない動き、その体の動きの自由さに感嘆する。

渡辺はるか「prey/pray/play」:これも1人で演じられる踊りの混じったパフォーマンス、あるいはお芝居込みのダンスだろうか。食べることについて考えていたら分からなくなるようなことを踊る、これもすごかった。体が動くのだけど、その体を外部から切ったり持ち上げたりして食べようとする自分がいて、どうして2つの相容れない理屈の動きが1つの体の上に出現できるんだろう。ダンスは面白い。

冨士山アネット「Unrelated to You Ver. ZIPPED」:手話を使ったパフォーマンス。構成は『お嬢さん』と似てる。私は手話が中途半端に分かる、というかあまり分からないのだけど、そういう人にととってめちゃくちゃスリリングな内容だと思う。ここからはいわゆるネタバレになってしまう。演者の南雲さんが同じことを3回するのだけど、最初は字幕なし、次に偽りの字幕、最後に本当の日本語訳が字幕で出て来る、という流れで、真ん中のときの「あれ、言ってるのと違うよね?」と思う瞬間、実は少しだけある字幕と手話が一致している瞬間、「私が分かってないだけでめっちゃ意訳するとこうなるの?」みたいなモヤモヤ。手話がどれだけダンスっぽくないか、あるいは手話がどれだけダンスっぽいか、言葉だと思われたときにどれだけ文字ばっかり見られるか、手話がどれだけジェスチャーっぽいから何となく分かるヨ~~と思われちゃうか、何かの当事者はどれだけ本当のことを言ってくれないか、説明を付けられたらどれだけどれだけ「分かって」しまうか、といった問題提起の詰まった内容だった。英訳まで読む余裕がなかったけど、そっちはどうだったんだろう(ちぇるふぃっちゅ的な)と考えるのは勘ぐりすぎかも。

 配信はまだ見られるので是非。


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