Art Project Kobe 2019 Trans- グレゴール・シュナイダー≪美術館の終焉―12の道行き≫
私が産まれたのは地震があった1ヶ月後で、地元の人に年齢や生年月日を言うと「それはそれは」みたいな反応をされることが高校生ぐらいまでよくあった。今では少なくなったが、古めかしい家屋を見ると、そこは震災で焼けも潰れもしなかったところだと分かる。復興と開発と記憶と、どれも終わらないこととして、普段は何も考えていないのだが。
今回の展示の舞台になった場所は、神戸の観光地が集まる顔みたいな地域から少し離れていて、おしゃれなお兄さんお姉さんが少なくて、そもそも人自体が少なくて、私は少し馴染みのある場所だった。馴染みと言っても、サブカルくなりはじめた高校生の頃に新開地のあたりをうろつきはじめ、大学に入ってからはその辺りまでバイトで出かけることがたまにある、という程度なのだが、そういう場所はよりくっきりとかつての痕跡や変遷を留めているように思える。
そういう地域をうろつきながら、美術館ではない展示群を見て回ることになる。諸処のアレコレで今日は全てを回れなかったので、幾つかだけれど書き留めておく。
第4留:メトロ神戸≪条件付け≫
卓球場がリニューアルされて、古本屋の様子も変わり、なんだか照明が明るくなり、壁もきれいになった気がすることに驚きながら会場に来た。展示がどこからどう始まるのか全く知らないままで、まごつきながらチケットをもとめ、扉を開けた。真っ暗な空間があり、二度曲がると扉がある。そこを開けると、作りかけの浴室のようになっている。左手に鏡、右に進むと洗濯機を置く用みたいなスペースと、古めかしい換気扇。床が僅かに傾斜している。次の扉を過ぎるとまた暗い空間で、二度曲がると扉がある。以下繰り返し。無機質な浴室に電車の音が響いてくる。
同じ部屋が続いていくのだが、扉が閉じると進んだ側に取っ手はなく、引き返せないようになっていると気付いたのが三室目。換気扇の紐を引くと、外側の景色が描かれた書き割りが覗くことに気付いたのが四室目。そして立て付けが悪いらしく引き返せない仕掛けが成立していない浴室の換気扇の紐は、引いても蓋が開かない。
実は暗い空間にも扉があり、そのドアノブにはカバーがあって開かないようになっている。オバケ屋敷の舞台裏に繋がるような、着ぐるみがその向こうで頭を脱いでいそうな扉。ところがその扉たちのなかに1つだけ取っ手のカバーがなく、開くものがある。おそるおそる――もしかして、初日だけど、誰かがぶっこわして、中にスタッフはいないから、誰も気付かないまま、だったりしたら、言った方がいいのかしらん、と思いながら――回してみると、メトロ神戸の光が差し込んでくる。やっぱりなんだかいけなかったような気がして、私はその扉を閉じ、おそらく順当に思われる順路をたどった。というのはつまり、同じ部屋を繰り返す道を選んだ。
その構造物を出てそのウネウネを外側から眺めると、暗い空間にあった扉が壁に並んでいるのが分かる。そこを通って来たはずなのに、扉があることに全然気付いていなかった。そして、私がそっと閉じた扉から、ちょうど観客が一人出て来るのを見た。楽屋、意地悪な大人がことあるごとに思い出している、幻想の後ろには必ず舞台装置があるという現実の約束事、と、それを忘れたふりをして楽しむものだというフィクションの約束事の双方を裏切るように、裏側を秘匿しない、存在する用のない、いわばトマソン的な扉なのだった。
第3留:旧兵庫県立健康生活科学研究所≪消えた現実≫
次に訪れたのは、かつての衛生研究所。全てが真っ白に塗りつぶされた5階では、その外側となるのがむしろ内側なのだった。メトロ神戸の展示でどうやら脱出ゲームみたくいじりまわす必要がありそうだと気付いた、あるいは条件付けられたため、重い鉄のレバーを引くと、なにか分からない、医学的な作業が行われていたに違いない、しんとした鉄とコンクリートの部屋が現れたりもした。
電気のスイッチだって好きなように押せる。学校とかにある、下側のボタンを押して飛び出た部分を横に回して手前に引っ張る式のレバーを操作すると配電関係のwhat's-its-nameが現れる。さすがに触れる勇気が出ない。たぶん、ふつうに考えて、そんなに恐るべきことは起こらるはずがない、なんと言っても我々は廃墟を探検しているわけじゃなく、これは21世紀の現代アートの展示なんだから、お客さんは安全に決まっており、そういう制度が守られていない訳がない、それを危なくする形でなんか制度とかを批判するのは絶対にだいぶ古いし、と思いながらも、少しこわい。ふつうのホワイトキューブだったら加湿器どころか壁やパネルにさえ触らないわけで。触れることも壊すこともたやすい、ということに慣れ始めると、展示を見る人の体ではなくなる。それは五感で体感!的テーマパーク的ソーシャリーエンゲージド的明るく楽しい遊園地的ITでワクワク的体験とは全然違う緊張感で、貨物用エレベーターが作動しないことをやっと確かめられたのは三度目に見たときだった。
6階には地震でめちゃくちゃになったかのような部屋が展示されている。しかしそれまでに、その建物が使われていたときの張り紙や掃除当番かなにかの表が地震のずっと後の日付を示していたことを見ているのだし、カレンダーがプリントされたホワイトボードの17のところに思わせぶりにマル印が付けてあるけれど(阪神淡路大震災は1月17日の明け方に起こった)、その曜日が実際とはずれていることも知っている(地震は平日だった)。だからこれは無かった地震。変な場所に扉がある。机の上に置かれたクリップをカチカチしていると、スタッフがニコニコしながらこちらを見ていた。好きなだけ触ってください、ということでよかったのだろうか。美術館という制度にすっかり躾けられたわたしは、そんな小物や建物の装置以外に手を触れる勇気なんかなかった、というか、そういったもの以外に触れるなんて思いつきもしなかったのだが。
7階は動物を扱っていた場所らしい。白く塗られた部屋と響き合うように、あらかじめ灰色で埋め尽くされた空間だった。扉っぽいものを片っ端から触ってみる。窓を開くと六甲山が見える。蒸した建物内と比べて爽やかな風が吹き込んでくる。9月のよく晴れた、ほんの少し秋を感じさせる、展示、と呼べるのかさえ分からない(さっきまで)密室(だったと思われていた)の外側が急に開ける。身を乗り出せば飛び降りられるくらいに突然。
次の部屋は勝手に開けて入る。なんと鍵が付いている。それを閉めてしまえば、あとから来る観客を閉め出して一人で楽しむなんてこともできてしまう。(えっちできるな、と今思った。)動物をどうしていた部屋なのかよく分からないけど、水場がたくさんあって、床に直接水が流れるようになった、ホースでもつなぐようになっているのだと思われる蛇口を試しにひねってみると、水が出た。ヒエッと声を出して慌てて止めたのだが、シンク(?)がある他のもひねってみると、出る蛇口と出ない蛇口がある。怖くない、怖くない、と思って、もう一度、最初の蛇口をしばらく開いて、その部屋を出た。
最後は屋上となる。屋上によくあると思われる空調かなにかの大きな装置をかいくぐって移動すると、カラフルななにかがある。遊具、みたいだけど、なんとも言えない、不釣り合いな物体だ。無機質というのではなく、いや、それが無機質に思われることが、これまでみてきたものの残留するなんかなのではないか、と考えた。
そうして非常階段を降りる。いちいち建物の中を覗き込む。内側からは見えないようになっていた各階の廊下が覗かれ、当然誰も居ないそこは廃墟然としている。
第8留:神戸市立兵庫荘≪住居の暗部≫
地下鉄海岸線、御崎公園を降りて少し歩いたところにあり、かつて港湾労働者の安価な宿泊所だったそうだ。ここは触ってはいけないのだが、研究所の白い空間と対になるように全てが真っ黒に塗りつぶされている。いや、塗りつぶしではなくて、スプレーか何かだ。元からあったものがそのまま、腐敗や風化を免れるためみたいに、均一に真っ黒になっている。照明もなく、渡されたペンライトを握ると何も見えなくなる。廊下の非常口の明かりだけが、その場所が何者かによって管理された――わたしたちは安心安全な――展示であることを思い出させるなか、観客たちは亡霊のように小さな光を携えてさまよっている。
ノエビアスタジアム近くの大きな道路沿いは本当にピッカピカで、神戸の西の方といったらそういう場所が多いのだけど、そんなところを少し入ると、高度経済成長期の痕跡が何もかもが真っ黒に凍っているのだった。
第9留:神戸市営地下鉄海岸線・駒ヶ林駅コンコース≪白の拷問≫
またしても地下道。地下道はいい。草一つ生えないし、日に当たらずに済み、わずらわしい信号もなく、風は吹かず、気温はたいてい丁度いい。しかし両脇に店舗のない地下道というのはふしぎに怖い。地下駐車場や立体駐車場ぐらい不気味だ。そこにグアンタナモ収容キャンプを証言をもとに再現したという小さな展示がある。一人ずつ荷物を全て預けてから入るようになっていて、それはお話のなかで警察に捕まるときのプロセスに似ている。前の人が出て来るのを待つあいだ、ふっと、いつか何かで見た、アメリカ軍の兵士がにこやかに拷問だか処刑だかをした後の写真が頭に浮かぶ。扉を開けて入ると――重たい目の扉を開ける、という行為を、今までにないぐらい高い頻度で行った一日だったのだが――二つまた扉があって、そこに監房が並んでいる。そして、今まで見てきたインスタレーションがどこまでも監房に似ていたことを改めて思い出す。
もう一つの扉は開かないようになっていた。明らかに選びやすかった、開く方を選んだのだった。
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サイトスペシフィックな作品群について語るとき、自分とその場所との関わりを言わなければならないような気がした。もしかしたらそんなことはどうでも良かったのかもしれないけど、今日受けた感じ、というのがやっぱり、自分の神戸に対するなんらかの感情と関わるのだろうし、そう言えばなんで地震の文脈でこれを見ていたんだっけ?なんかステートメントにそういうこと書いてあったんだっけ?と悩んでいるところ。今日行けなかったところも、会期中にどうにか踏破したいね。
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