見出し画像

複製技術時代の猫ちゃん、およびドクター・マーチンからの予言

京都市京セラ美術館東山キューブで2023年2月12日まで開催されている「アンディ・ウォーホル・キョウト」展に行きました。

《靴》1950年代

 《靴(Shoe)》と題され、靴のように見えるが、靴ではない。足を入れるための入り口を持たないカタマリだ。革を切ったり曲げたり叩いたりしてハイヒールのパンプスを作るための木型である。しかし表面には金箔が貼られ、さらに金色の細かいレリーフがついている。といってもガラス箱におさまって仰々しく展示されようとしたものではなく、I.ミラー社のクリスマス広告に使われたプロップスだったとのこと。同じ形の商品を量産するための型がそれぞれによそいきの楽しげな装いを得て、生産工程の単調さはすっかり覆い隠されている。

 商業イラストレーターだった50年代から80年代の《ダイヤモンドダストシューズ》シリーズに至るまで、ウォーホルは繰り返し靴を取り上げた。身につける人間抜きに崇拝され欲望され、同時に商品として流通するフェティッシュである靴を。 

《ピエールおじさんに似ていた猫》、1954年

 その靴の向かいに吊されたイラストレーションは《ピエールおじさんに似ていた猫》という。にじみ線技法を用いた猫の線画のわきには、ペンで直接字が書かれている。“purr purr”という喉を鳴らす声、タイトル、そしておそらく威嚇の鳴き方を表す”shoo”という文字だ。こんなところに靴(シュー)と共通する音が忍び込んでいる、あるいはしみ出している。同じ技法でいくつもの靴を描いた《失われた靴を求めて》の原題は“A la Recherche du Shoe Perdu”で、もちろんプルーストの大著をもじっているわけだが、Shoeの部分だけが英語のままだ。 

Shoe, shoo, shoe.
シュゥ シュゥ シュゥ。

 駄洒落と偶然に過ぎないものにこだわってみてもいいだろうか。《ハイヒール》をはじめとするいくつかのドローイングのキャプションに「ドクター・マーチンのアニリン染料」と書いてある。なんという執着、わざわざ靴の染料を絵に転用しているのだろうかと訝ってよく調べると、Dr. Martinと綴るこれはインクのブランドで、靴の方はDr. Martens。しかもアイコニックなワークブーツが誕生したのは1960年、これらのイラストよりも後のことだった[1]。であればなおさら、この音声上の類似はどこか不気味な過去からの予言ではないか。もしそれがウォーホルの後の作品について何かを語るとしたら。

 猫と靴のイラストで用いられるテクニックは、工場での大量生産的なものとは一線を画すものの、複製技術の領域にある。というのも、浸透性の低い紙に書いた下絵に少しずつインクをつけてインクをよく吸う紙の上に転写するというまどろっこしいプロセスを踏むのがこのにじみ線(ブロッテド・ライン)と呼ばれる方法で、そこには写真をはじめとする光学的な複製技術では顕在化しない手触りが刻まれてしまうからだ。それは工業製品に慣れ親しんだ時代・社会において逆説的に要請され、喜ばれたものに違いなかった。

 いまもって彼の名を広く知らしめているキャンベルスープの缶やブリロの箱はシルクスクリーンを用いており、機械的な生産を模しつつも、決してレディメイド品を転用したものではない。にじみ線もシルクスクリーンも、手作業の転写によって段階的にイメージが出来上がる。そういう面でここには接続がある。

 こうしたウォーホルの代表的な作品は、これまで初期の活動とある程度結びつけられてきた[2]。しかし、本稿で指摘した偶然の一致としてのズレをはらんだ反復は、形式や方法によって否応なく生じ、効果として目指されるものとは性質を異にする。シュー、あるいはクツという音が靴という物体に起源を持つのでないのと同様、猫とピエールおじさんの間に遺伝的なコピーの関係もない。これは少なくとも、ドクター・マーチンについては作家の意図しないところで起きてしまった反復だった。形にも意図にも起源を持たないコピー。

 だが、このようなオリジナルなき反復こそが、後年のカモフラージュ柄を用いた作品において再び顕在化することになる。林道郎はこれをジャスパー・ジョーンズのアメリカ国旗と比較している。迷彩は絵の外に強力なリファレンスを持たない図柄であるため、正しい色彩と変更された色彩といった上下関係を持たない、だからその無限の可能性に開かれた差異は、高度資本主義経済下における差異化への狂奔の結果無意味になった――死臭のする――差異にほかならないのだ[3]。

 そのとき、シューという音の出現、猫とおじさんが似ている(気がする)こと、あるいは印刷にも皮革製品や布製品の染色にも用いられたインクのブランド名がブーツのブランドとたまたま一致してしまったことは、どこかもっと、楽しげである。夢の中で、抑圧されたものが駄洒落のように同音異義語の形で現れることがあるとしたら、これらの少しずつ位相を違えた反復は、初期作品のなかにすでに引かれていた逃走線――トラウマティックな、あるいは資本の掌の上で繰り返される反復からの、あるいは資本の掌の上で転がされることに共犯的かつ批判的だったと言われるようなクールなアンディからの――だったと考えることはできないだろうか。



[1]ブランド公式サイトの記述によれば、ミュンヘンで1947年に正式に生産が開始されたクッションソールがイギリスで目にとまり、60年にアイコニックな8ホールブーツが誕生したという。 <https://jp.drmartens.com/brand/history.html>
キャプションにインクのブランド名が記載されるのは、もしかしたらその後のどこかの時点で誰かがいいことを思いついたのかもしれない。
[2] ハル・フォスターは『第一ポップ時代』のなかで、初期のにじみ線技法からシルクスクリーン、小便絵画まで続く(物理的接触を基板とした)インデックス性を、絵画のイコン性に反しうる一貫した要素としてあげている。
[3] 林道郎『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない4 アンディ・ウォーホル』Art Trace、2005年。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?