幼少期の話。1■おばあちゃんとの確執

 幼い頃、母が歯科の麻酔事故でしばらく寝たきり状態になった。それは確か、私がまだ幼稚園の年中さんか年長さんくらいのころ。

仕事が忙しく、早く出ては遅く帰る父と
ひと癖もふた癖もある父方の祖母、4つ年上の姉、
そしてひとり気丈に戦い、私や姉の友人たちからはちょっと教育ママに見られていたけど、とても優しくてとても厳しくてでも抜けてる、そんな母

5人ひとつ屋根の下、ひとつドアの2世帯暮らしを始めたのは、私が2歳になる少し前。

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祖母は元々土地持ちの娘さん且つ、亡くなった祖父は元軍医だったようでお金に困らずに生きてきた人。
裏を返せば、お金を出せば、人を動かせるとおそらく信じていた人。

亡き祖父が脳梗塞で倒れた朝ですら、祖母は体調の悪い祖父のことを足蹴にしていたという話を母から聞いたことがある。

そんな癖のある、いや最早、癖の塊でしかない祖母との同居で我が家の崩壊は始まったのかもしれない。

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 麻酔事故にあった母は、動くこともままならないため、暫く広い客間に布団を敷いて寝ていた。
それまで母に送り迎えしてもらっていた私は、隣の幼馴染のお母さんに連れられて数日幼稚園に通ったのを覚えている。

起き上がりたくても起き上がれず、横になっていた母を祖母が祖父のお花の水をかえるフリして足蹴りしているのを見た。

「おばあちゃんひどい!!おばあちゃんなんで大っ嫌い!」

泣きながら叫ぶ私を、母が止めようとしていた。

結局祖母は母が横になるとやってきては足蹴りにして
「あら失礼?あんたいつまでん横になっとってから邪魔かー!役立たずが」
と罵っていたらしい。
私じゃ力不足、留められなかったし、父は仕事が忙しくて遅くしか帰らないし、帰ってきても疲れているのか機嫌が悪かったからあまりそういう話はできなかった。

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小学校1年生になり、
母はある程度回復し、元気にPTAの会合やらに足を運んでいた。

ある日、母が不在の時、私はおばあちゃんと喧嘩した。
きっかけはなんだったか忘れてしまったが、
「おばあちゃんなんかもう知らない!出ていって!」と言った記憶だけはある。

その日私は1Fのトイレに閉じ込められた。

正直どのくらい閉じ込められていたのか分からない。
ただ、鍵を開けても出れないようにされていた。

「おばあちゃん!開けて!」

と言うと、

「減らず口が!!しばらくそこにおりんしゃい!」

と相手にされず。

1畳あるかないかのその広さに1人長い間、小1の子供にはさすがに怖い。

幸いにもトイレには窓があったため、
私はなりふり構わず、
「誰か~!!誰か助けてください~!!!」と
声を上げ続けた。

元々声も大きい方だったので、
向かいの商店のおばさんやお隣の幼馴染のお母さんが気づいて、玄関まで来てくれたものの
「大丈夫です!今躾をしているので!」と
祖母が追い返してしまった。

不安で涙が込み上げてきたが、
負けるもんか、と泣きながら歯を食いしばった。

幸いトイレはあるし、最悪トイレの上の水もあるから
どうにかなるだろう、と幼心に思っていた。
(今考えると気丈な小1すぎるが…)

しばらくして、母がPTA会合を早退して飛んで帰ってきた。幼馴染のお母さんがわざわざ学校に出向いて伝えてくれたらしい。

帰宅するなり、母に謝られ、私は安心して泣き、祖母は「わたしゃ悪くない!ひなこがちゃーんということばきかんけんたい!」と責め、自室へと引きこもられてしまった。

母はずっと私に「怖かったね、大丈夫?ごめんね」と言っていた。
私は過去にも短時間だがトイレに閉じ込められたことがあること、機嫌が悪い時に祖母と話すと見えないところで手の甲をつままれていたこと、
その後、必ず飴玉を渡されて
「お母さんには内緒やけんね」と
口止めされていたことを話した。

カンカンに怒る母。
祖母の部屋に怒鳴り込むも鍵をかけた向こうから祖母も負けじと汚い言葉をかけまくる。

「私にはいいですけど、子供たちにまで手を出すなんてあんまりじゃないですか!それでもこの子達のおばあちゃんなんですか!?」

と母は泣きながら怒っていた。

しかし祖母が変わることは愚か、これからももっと酷い仕打ちを重ねてくることになる。

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