コロナ時代、雑誌が教えてくれたこと
半年前、多分そのごろ私は10以上のメール送っていた。イラストが一つのライフスタイル向けのショピングになりつつある、いわゆるトレンドを探る記事のためだったのだが、あちこち彷徨ってた先は安西水丸さんの絵、清涼感有り、私にはどこかメランコリーなその絵まで続いた。生まれ持ち人並みなことは大嫌いなせいでもあるが、とにかく最近のバズってることだけで記事を書きたくはなかった。安西さんの絵、そこに込められてるお話を少しでも頂きたかったと思う。スイッチからは随分前に安西さんの絵をプリントしたTシャッツを発売されており、今は、ここにいらっしゃらない安西さんのお話を直接聴くことは出来ず、スウィッチの齋藤さんと言う方がら頂くことができた。それが、もうはや半年前。それから途切れたメールでのやり取りは、突然届いた齋藤さんからのお知らせメールでまた繋がり、その一通のメールで私は、当時は知らなかった、絵に込められた思い、時代を生きる上、人々がもつ弱々しい、しかし素敵な何かをやっと知らされた気がした。ありがとうと、思う。
SWITCHも311の時、当時は別の特集が決まっていたのですが、震災を体験し急遽変更となったのです。
ただ紙が確保できず、印刷所も機能せず、書店も棚や本の整理で大変な中、
それでも雑誌があるべき姿を、少部数でも世に発行するという使命というか、プライドのようなものがございました。
私、10年以上雑誌を作ってきた私にとっては、雑誌は多分ところところ暮らしのヒントをたくさん与えてくれたと思う。今更だけど、ありがとうとしか、言うようがない。
時間の速さをより実感させるのは、いまだに止まったままの私の本のことだと思う。本来なら、もう書店で売られてるはずのだった一冊の本は、まだ編集のところか、これからの目処も立たない状態で、少し悲しくもなる。東京の若き職人さんのお話を頂き、これからの東京、引いては生き様や生き方を考えてみたいと思い、始めさせていただいたものだが、韓国にはその時、なぜか不買運動が激しくなった。どんな思いで出作られたとしたも、やはり本は売るもの。仕方ないことは分かっていても、私と十数人の方々の時間は忘れかけている。それは、確かに少し悔しい。今は、恐る恐るコロナウィルスのことで、何一つ文句も言えない時期になっちゃたのだが、雑誌は、時代を反映するつつ、時代を切り開いていくものだと思っていた。先月、イタリアのヴォーグは、真っ白のブランクファイトの表紙で一冊の本を作り上げたが、編集長のエマニュエル・ファルネティさんの言葉が、なんの縁もないのにくせに、痛くて、胸苦しくて、ただありがたいと思った。
白は何よりもまず尊敬の念を表す。そして、生まれ変わり。暗闇の後の明るさ。いろんな色の集まりでもある。白は自分を危険にさらしながらも戦い続けてきた人々の制服の色。考える時間と空間。そして沈黙を守ること。それはつまり、この時間と空間をアイデア、思考、物語、詩、音楽、思いやりの気持ちで満たすための色でもある。また、1929年の世界恐慌の後、洋服が一変して白になったことをほうふつとさせる。当時人々は白い服を着ることで純粋さ、未来への希望を表した。そして何よりも、白は降伏ではない。そこにあるのは埋められゆく空白のページと、新しい物語の始まりだ
自粛を要請され時代に、会社員でもない私は、言えば家にこもっていても何一つ不便ではない、構わない人間なのだが、こんなに体が鈍く感じられ、憂鬱になり、近所のスーパーにもお出かけしたいと思うのは、人は、元々不理性的な動物な訳かもしらない。ポパイは4月号のカーバーを、4年間アルバイトをやってたスタフ、雑誌の雑務から表紙モデルへのデビューを成し遂げた元スタフを起用し青空の素敵な一枚で飾ったし、スウィッチの齋藤さんは半年前の私とのやり取りを覚えていてくれたし、私はマスクをつけ、消毒剤をバックに入れ、なるべく人が少ないところを探し、アイスコーヒー一杯とほんの少しの休みが取れる。今のウィルスの影響はいつまで続くのかわからないし、それに抗がうことも多分できないし、そもそもなぜこんな恐ろしい時代になったのかは、もっと無知なことなのだが、なんあら一番近くの日常、すぐそばにあるものを考えようと思う。切り口は、割とそう言うほんの少しの、小さな息抜で生まれるかもしらないと言うのも、まったく一緒な訳だから。春がもっと愛おしくなった。それだけは、ありがとう。
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