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FM大阪「ニューミュージックフォーラム」公開録音 "BACK YOU UP CONCERT" 高石ともや&ザ・ナターシャー・セブン(1977年10月16日放送)

FM大阪「ニューミュージックフォーラム」公開録音 "BACK YOU UP CONCERT" 高石ともや&ザ・ナターシャー・セブン(1977年9月28日、大阪・厚生年金会館大ホールにて収録)

放送曲目:
1. 私を待つ人がいる / There's Someone Waiting For Me
2. 夜明けを待ちながら / If I Love You I Don't Care
3. 陽気に行こう / Keep On The Sunny Side
4. チューニング / Tuning (5弦バンジョー・ワーク・ショップ編実演)
5. キラキラ星 / Twinkle Twinkle Little Star
6. 天才バカボン / Genious Fool-bon
7. フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン / Foggy Mountain Breakdown
8. 私に人生と言えるものがあるなら / Faded Roses
9. 籠の鳥
10. きれいな娘さん / Fly Around My Pretty Little Miss
9. [ぼくのなまえを知ってるかい]※曲名不詳
10. ユメカシーラ
(Encore)
11. 八ヶ岳

演奏者:
高石ともや: Vocal, Guitar, Fiddle
城田じゅんじ: Banjo, Vocal
坂庭しょうご: Guitar, Vocal
木田たかすけ: Contrabass, Vocal, etc.

「NEW MUSIC FORUM / BACK YOU UP CONCERT」1977年9月28日プログラム

 小学5年生のとき(1973年)にラジカセがやってきて以来、ポップスにはまっていきましたが、初めて「コンサート」というものに行ったのは、1977年、中学3年生の秋でした。ラジオ番組の公開録音。小学生の頃は仲が良かったものの、中学に入ってからは疎遠になっていた高石ともやファンのT原くんが応募し、無料招待の同伴者として何故か誘ってくれたのでした。

 番組は、FM大阪「ニューミュージックフォーラム」(日曜日、13時00分~13時55分)。公開録音は、1977年9月28日(水)に、大阪「厚生年金会館」大ホール(2012年以降、改装され「オリックス劇場」となっています)で行われ、10月15日(日)にその模様が放送されました。たまたま残っていた雑誌「週刊FM」に掲載された1977年7月31日(日)の「FM大阪」の番組表によれば、番組パーソナリティは、虫明亜呂無さんと佐井好子さんのようですが、彼らのことは覚えておらず、公開録音や放送があった頃も同じであったかどうかはわかりません。この番組については、「自切俳人の幻の放送局」という番組内番組(コーナー)が特に強く印象に残っています。自切俳人こと北山修氏の番組です。この番組で、イエロー・マジック・オーケストラを初めて聞いたことを印象深く覚えています。「細野氏がまた変なことを始めましたよ」というようなことを話していました。細野さんは、当時、雑誌連載で「次は●●ミュージックだ」みたいなことばかり書いており、イエロー・マジック・オーケストラも企画色が強いお遊びに思えたため、自切氏の言に頷いたものでした。

 番組名にある "ニューミュージック" とは、由来や定義には諸説ありそうですが、リスナーとしては、フォークソングの系譜上にある自作自演の音楽だが、ギター一本の弾き語りではない、サウンド面にも工夫を凝らした和製ポップス、くらいに受け取っていました。高石ともや氏は、日本のフォークソングのオリジネイターのひとりであり、バンドとは言え、フォークソングのさらにルーツを志向した音楽なので、「ニューミュージック」と呼ぶのはいささか語弊がありそうですが、「幻の放送局」のパーソナリティ、自切俳人氏との縁での登場となったのかもしれません。

 出演は、第一部が茶木みやこ、第二部が高石ともや&ザ・ナターシャー・セブン。厳密には、茶木みやこさんの演奏が「初めてのコンサート」ということになります。
 茶木さんの部の放送は残していないのですが、バンドが、森園勝敏氏抜きの四人囃子、もとい三人囃子であったことを記憶しています。この日も演奏していたはずの古谷一行氏が金田一耕助を演じたドラマ「横溝正史シリーズ」(1977年4月2日~10月1日、毎日放送)のエンディング曲「まぼろしの人」が後年気になり、改めてレコードを入手したところ、シングル盤にはグッド・グリーフというバンド名が記されていました。当日、メンバー紹介を聞いて、「四人囃子だ」と思ったのですが、バンド名は覚えていません。もしかしたら、"三人囃子" がグッド・グリーフだったのかもしれません。

茶木みやこ「まぼろしの人」b/w「風の橋」(1977年5月1日発売)

 第二部の高石ともや&ザ・ナターシャー・セブンの部は、自切俳人氏によるイントロダクションで始まりました。この頃のザ・ナターシャー・セブンは、カントリーやブルーグラス、各地の民謡を含むフォークソングのルーツを探求し、まとめ、演奏する「107 SONG BOOK シリーズ」に取り組んでいる真っ最中であり、コンサートも、その実演の趣きがありました。
 人気曲である「陽気に行こう」は、第1集『陽気に行こう。オリジナル・カーター・ファミリーをお手本に編』(1976年12月発売)のアレンジで演奏され、沸き起こった観客の手拍子を高石さんが制止した光景をまざまざと思い出します。カーター・ファミリー奏法による演奏を聞いてほしい、ということだったのだと思います。

『陽気に行こう。オリジナル・カーター・ファミリーをお手本に編』

 第2集『フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン。5弦バンジョー・ワーク・ショップ編』(1977年3月発売)からは茶目っ気込みで、「ワークショップ」部分を再現していました。バンジョー奏者、城田じゅんじ氏をフィーチャーしたコーナーでもあり、"From west sunrise, and east sunset. /  (What's happened?) / This is alright. This is alright." と歌われる「天才バカボン」の英訳バージョンには爆笑させられました。もちろん、驚異の「フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン」の実演もありました。

『フォギー・マウンテン・ブレイク・ダウン。5弦バンジョー・ワーク・ショップ編』

 第3集『陽のあたる道。オールド・タイミー&ブルーグラス編』(1977年6月発売)からは、これも人気曲「私に人生と言えるものがあるなら」が演奏されましたが、ソロコーナーがない木田たかすけ氏のために、木田氏のヴォーカルをフィーチャーしたバージョンも演奏されました。この時点での次回リリース(1977年12月発売)、第5集『春を待つ少女。オリジナル・ソング編 』で全曲の編曲を担当した木田氏の活躍が予告されています。

『陽のあたる道。オールド・タイミー&ブルーグラス編』

 コンサートの一週間前、1977年9月20日に発売されたばかりの第4集『きれいな娘さん。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ編』からは、「夜明けを待ちながら」と「きれいな娘さん」。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ New Lost City Ramblers が取り組んだ古い音楽が1920年代、1930年代のものであることに寄せて、日本で言うなら大正時代、と大正14年発表の「籠の鳥」(千野かほる 作詞、鳥取春陽 作曲)が歌われました。
 ところで、第1集の「オリジナル・カーター・ファミリーをお手本に編」に倣えば、ここは「ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズをお手本に編」となるように思うのですが、一行に収まらなかったからでしょうか。

『きれいな娘さん。ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズ編』

 坂庭しょうご氏のソロコーナーがない、ということでか、「カントリーでもブルーグラスでもよくやる曲」と紹介しつつ、歌詞は山田太郎「新聞少年」(八反ふじお 作詞)のパロディという曲が歌われました。しかしながら、すみません、カントリーにもブルーグラスにも不詳なため、何という曲かわかりません。

 この年、1977年7月には、自切俳人作詞・作曲による「孤独のマラソン・ランナー」を、自切俳人とヒューマン・ズー、高石ともや&ザ・ナターシャー・セブン、それぞれがシングルとしてリリースしています。ヒューマン・ズー版に入っているセリフというか、ツッコミをよく真似したものでした。この日のコンサートでも、ラストに演奏されたような気もしているのですが、放送にはなかったのだったか。

 一回目のアンコールだったように記憶しているのが、「孤独のマラソン・ランナー」に続く自切俳人氏との共作「ユメカシーラ」(自切俳人作詞、杉田二郎作曲、ヒューマン・ズー編曲)。1977年7月に報道され話題になった、ニュージーランド沖で引き揚げられた巨大生物の遺骸「ニューネッシー」を題材にした歌で、できたばかりで、この日が初披露だと話されていたように記憶しています。「逃げ出せ 恐竜」「叫べよ 恐竜」のあとに、ガオーッというシャウトが入りますが、コンサートでは、客席にもシャウトするように促していました。このあと、みんな(大阪市営地下鉄の)「四つ橋駅」まで歌いながら帰るといい、「西梅田駅」まではどうかと思うが、というようなことを言いながら。そう言えば、「厚生年金会館」には何度か行きましたが、「四つ橋駅」から迷ってしまい、気が付いたら心斎橋の三角公園に出たという大失敗が思い出されます。
 「ユメカシーラ」は、ザ・ナターシャー・セブンの他、作者である自切俳人とヒューマン・ズー、杉田二郎さんもコンサートで演奏されていたそうですが、スタジオ録音のレコードは、ザ・ナターシャー・セブンによるシングル盤のみです。かなりあとになって、という記憶がありましたが、1978年5月20日発売とのこと。

高石ともや&ザ・ナターシャー・セブン「ユメカシーラ」b/w「街」

 さらに拍手は鳴り止まず、二回目のアンコールで、「八ヶ岳」が歌われました。高石ともや作詞、杉田二郎作曲のこの曲も、このときが初披露だと告げられていました。家族とともに生きていく気持ちを新たにする若い夫婦を描いた歌で、中学生ながら、じんと来たものでした。この曲もまた、レコード化を待ち望んでいましたが、杉田二郎版が1978年2月にリリースされたものの、高石ともや版は、1979年6月発売の「107 SONG BOOK」シリーズの第11集『想い出の赤いヤッケ。完結編』を待たねばなりませんでした。

『想い出の赤いヤッケ。完結編』

 2015年4月5日、川西市「絹延橋うどん研究所 うどん屋の2階」に、加藤千晶ガッタントントリオプラスを聞きに行った日のこと。当時、見ることがなかったし、おそらく中学生の手には届かなかったであろうザ・ナターシャー・セブン編著『107 SONG BOOK』(1976年、七人の会出版)が会場の本棚にありました。自由に閲覧してよいというので、初めて手にとり、しげしげと見入りながら、めくることができました。「構成と編集をしたひと」「表紙の絵をかいたひと」といったかんじでクレジットがあるのですが、末尾に「この本を買ったひと」と書き足されていて、いいなと思いました。冒頭の写真は、そのときの記念写真です。


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